なんと、文吉は半世紀ほど生きてきましたがこんなすごい地震ははじめてです。
今回の地震により、文吉はたくさんのボランティアの方々に大変お世話になりました。
でも、文吉の経験なんか被災に会われた東北方面の方々に比べたらたかが知れています。
報道を見聞きするにつれ、その悲惨さは想像を絶する世界になっていました。
今、自分でもお手伝いできることはないかと考えています。
本当に微力ですが、何かしらできるんではないか。
そこで、思いついたのが「俺にはブログがある」ということです。
被災に会っている方々、親戚、知人、友人の安否が気がかりになっている方々。
このブログのコメント欄を掲示板代わりに使用していただけるんじゃないか。
また、自分の体験談を語っていただくのも何らかの一助になるんではないかと思います。
今回に限ってコメント欄への実名をあげて安否確認等をされてもかまいません。
とりあえず、とっかかりの意味でミクシーにもアップしている文吉の体験を以下、書き込みます。
2011年3月11日
14:46
突然揺れました。
文吉は仕事中で、お客さんからの電話を受けている最中でした。
相手も電話の向こうでキャーキャー言い出したので電話は打ち切りました。
それから防災用のヘルメットを取り出してかぶります。
普段バイクのヘルメットをかぶりなれている文吉ですが、こんなダサいヘルメットをかぶったまま死にたくないなというのが第一感想です。
しばらくたつと揺れが納まったので、職場の仲間と携帯やワンセグ、インターネットなどで情報の収集です。
館内放送で逐一会社状況が流れてきます。
11階以上の階では危険回避のために水道を止めます。トイレにも行けません。
15階では階段の壁に亀裂が入ったそうです。
自宅に電話してみたら、マンションの11階の文吉宅は本棚が落ちて、なかの本や小物が部屋に散乱したり、食器棚から食器が落ちて割れたりしているとのこと。
幸い、妻に怪我は無いようなので安心しました。
そんなこんなで、これ以上は仕事にならないので18:30までは後片付けなどをして、帰宅することにします。
帰宅困難な者は会社で待機しても良いのですが、たまたま隣の課のOさんが池袋まで歩くというので、同行することにしました。
交通網は全て止まっていて、道には車が微動だにしないで渋滞しています。
青山からキラー通り、明治通りを通って池袋方面へ進みます。
周りは同様に歩くサラリーマンがいっぱいいて、心強いのやら邪魔くさいのやらわからない状態で行列の中に飲まれこみます。
新宿の手前のところで動いているバスを発見しました。表示を見ると「池袋」行きです。
百メートルくらい行ったところでバス停を見つけて並びます。
しかし、先ほど追い抜いてきたバスが停留所に到着するまで10分以上かかっています。
しかも、やっと着いたと思ったら、5人降りて、27人乗りこみましたが文吉の前にはまだ20人ほどいます。
仮に次のバスに乗れたとしても30分以上かかりそうです。
バスは諦めてまた歩き始めます。
新宿を過ぎたころにボランティアの休憩所がありました。
ちいさな区民ホールのようなところを開放して、疲れた人や道のわからない人、トイレなどを求める人たちに地域の人たちが案内しています。
二人ともトイレを我慢して歩いていたので本当に助かりました。
なかでは地図と缶入りの水を無償で配っていました。
その地図を頼りに5分後にまた歩き始めます。
ついでに何人かの知人に安否の電話をしてみますが、だれにもつながりません。
しかもこういう時に限って携帯の電池が切れかかっています。
これからはかなり節約して携帯を操作しないと本当にやばい状態です。
そんな時にもっちゃんからの電話がつながりました。
とりあえず生きていることがわかったので、「今、池袋に向けて歩いている。電池がないから切るよ」のひとことで連絡終了。
おなかがすいているので、通りすがりの定食屋で腹ごしらえをします。
ただでさえ下戸の文吉ですから、せっかくのOさんの好意でも、今回はビールをお断りさせていただきました。
ちょっとでもアルコールを入れたらここから先歩けなくなりそうです。
サンシャイン60のビルが見えてきたころに、新目白通りにぶつかります。
Oさんとはここでお別れです。お疲れ様でした。
20:20
やっとの思いで池袋に到着しました。
地図で確認すると約12KMほど歩いたことになります。
池袋についても電車は全面ストップです。
サウナに行こうと思ったら、安全のため休業しています。
それならとマンガ喫茶に行ったらこちらも店を閉めています。
駅の地下構内ではたくさんの人がへたり込んで途方に暮れています。
ベテランのホームレスの人たちは段ボールの素敵なおうちで暮らしていますが、にわかホームレスたちはそんな技術を持っているはずもなく、ただへたり込んでいます。
ざっと500人くらいはいたんじゃないでしょうか。
公衆電話にはたくさんの人たちが順番待ちしています。
文吉も5分ほど並んで、やっと自宅に連絡とることができました。
歩き疲れた文吉の足はパンパンで、太ももの付け根が痛くなりました。
しばらく、池袋界隈を歩きまわってどこかいい場所ないかとさがしていたら、ありました。
池袋劇場がボランティアで避難所になっています。
なかに入ると体育館のようなフローティングの控室に思い思いの格好でみんなゴロねしています。
男性と女性は別々の部屋になっています。
ゴロ寝なら文吉の得意技です。
着ていたジャンパーを毛布代わりに被って1,2の3で爆睡しました。
3月12日(土)
04:20起床しました。
思っていたより、よく眠れました。
無料になっている自販機を発見しましたが、すでに全品売り切れです。
しかたないので、有料の自販機でホットコーヒーを買ってとりあえず一息入れます。
駅の構内にもどったら、昨日よりいくらか少なくなっているようですが、にわかホームレスの人たちが疲れて眠りこけています。
07:30
やっと有楽町線が動き出しました。
発車間隔は通常よりあいていますが、帰ることができます。
08:52
やっと自宅に帰りつきました。
自分の部屋を覗いてびっくり。惨憺たる状態です。
PCが壊れなかったので、とりあえず良しとしますか。
*************************************************************************************************************************************
何かできることはないか?
もし、あなたが被災地の方々へ一言、励ましのメッセージを送りたいと思ったら
ここをクリックしてください。
きっとあなたの思いを届けます。
東北方面地震の被災者の方々へ心よりお悔やみ申し上げます
【文吉からのお願い】
バイク好きの人たちのブログランキングです。決して怪しいところではありません。
今回は特にここをクリックしてランキングを上げればより多くの方に見ていただく機会が増えると思います。
人気blogランキングへ
今回の地震により、文吉はたくさんのボランティアの方々に大変お世話になりました。
でも、文吉の経験なんか被災に会われた東北方面の方々に比べたらたかが知れています。
報道を見聞きするにつれ、その悲惨さは想像を絶する世界になっていました。
今、自分でもお手伝いできることはないかと考えています。
本当に微力ですが、何かしらできるんではないか。
そこで、思いついたのが「俺にはブログがある」ということです。
被災に会っている方々、親戚、知人、友人の安否が気がかりになっている方々。
このブログのコメント欄を掲示板代わりに使用していただけるんじゃないか。
また、自分の体験談を語っていただくのも何らかの一助になるんではないかと思います。
今回に限ってコメント欄への実名をあげて安否確認等をされてもかまいません。
とりあえず、とっかかりの意味でミクシーにもアップしている文吉の体験を以下、書き込みます。
2011年3月11日
14:46
突然揺れました。
文吉は仕事中で、お客さんからの電話を受けている最中でした。
相手も電話の向こうでキャーキャー言い出したので電話は打ち切りました。
それから防災用のヘルメットを取り出してかぶります。
普段バイクのヘルメットをかぶりなれている文吉ですが、こんなダサいヘルメットをかぶったまま死にたくないなというのが第一感想です。
しばらくたつと揺れが納まったので、職場の仲間と携帯やワンセグ、インターネットなどで情報の収集です。
館内放送で逐一会社状況が流れてきます。
11階以上の階では危険回避のために水道を止めます。トイレにも行けません。
15階では階段の壁に亀裂が入ったそうです。
自宅に電話してみたら、マンションの11階の文吉宅は本棚が落ちて、なかの本や小物が部屋に散乱したり、食器棚から食器が落ちて割れたりしているとのこと。
幸い、妻に怪我は無いようなので安心しました。
そんなこんなで、これ以上は仕事にならないので18:30までは後片付けなどをして、帰宅することにします。
帰宅困難な者は会社で待機しても良いのですが、たまたま隣の課のOさんが池袋まで歩くというので、同行することにしました。
交通網は全て止まっていて、道には車が微動だにしないで渋滞しています。
青山からキラー通り、明治通りを通って池袋方面へ進みます。
周りは同様に歩くサラリーマンがいっぱいいて、心強いのやら邪魔くさいのやらわからない状態で行列の中に飲まれこみます。
新宿の手前のところで動いているバスを発見しました。表示を見ると「池袋」行きです。
百メートルくらい行ったところでバス停を見つけて並びます。
しかし、先ほど追い抜いてきたバスが停留所に到着するまで10分以上かかっています。
しかも、やっと着いたと思ったら、5人降りて、27人乗りこみましたが文吉の前にはまだ20人ほどいます。
仮に次のバスに乗れたとしても30分以上かかりそうです。
バスは諦めてまた歩き始めます。
新宿を過ぎたころにボランティアの休憩所がありました。
ちいさな区民ホールのようなところを開放して、疲れた人や道のわからない人、トイレなどを求める人たちに地域の人たちが案内しています。
二人ともトイレを我慢して歩いていたので本当に助かりました。
なかでは地図と缶入りの水を無償で配っていました。
その地図を頼りに5分後にまた歩き始めます。
ついでに何人かの知人に安否の電話をしてみますが、だれにもつながりません。
しかもこういう時に限って携帯の電池が切れかかっています。
これからはかなり節約して携帯を操作しないと本当にやばい状態です。
そんな時にもっちゃんからの電話がつながりました。
とりあえず生きていることがわかったので、「今、池袋に向けて歩いている。電池がないから切るよ」のひとことで連絡終了。
おなかがすいているので、通りすがりの定食屋で腹ごしらえをします。
ただでさえ下戸の文吉ですから、せっかくのOさんの好意でも、今回はビールをお断りさせていただきました。
ちょっとでもアルコールを入れたらここから先歩けなくなりそうです。
サンシャイン60のビルが見えてきたころに、新目白通りにぶつかります。
Oさんとはここでお別れです。お疲れ様でした。
20:20
やっとの思いで池袋に到着しました。
地図で確認すると約12KMほど歩いたことになります。
池袋についても電車は全面ストップです。
サウナに行こうと思ったら、安全のため休業しています。
それならとマンガ喫茶に行ったらこちらも店を閉めています。
駅の地下構内ではたくさんの人がへたり込んで途方に暮れています。
ベテランのホームレスの人たちは段ボールの素敵なおうちで暮らしていますが、にわかホームレスたちはそんな技術を持っているはずもなく、ただへたり込んでいます。
ざっと500人くらいはいたんじゃないでしょうか。
公衆電話にはたくさんの人たちが順番待ちしています。
文吉も5分ほど並んで、やっと自宅に連絡とることができました。
歩き疲れた文吉の足はパンパンで、太ももの付け根が痛くなりました。
しばらく、池袋界隈を歩きまわってどこかいい場所ないかとさがしていたら、ありました。
池袋劇場がボランティアで避難所になっています。
なかに入ると体育館のようなフローティングの控室に思い思いの格好でみんなゴロねしています。
男性と女性は別々の部屋になっています。
ゴロ寝なら文吉の得意技です。
着ていたジャンパーを毛布代わりに被って1,2の3で爆睡しました。
3月12日(土)
04:20起床しました。
思っていたより、よく眠れました。
無料になっている自販機を発見しましたが、すでに全品売り切れです。
しかたないので、有料の自販機でホットコーヒーを買ってとりあえず一息入れます。
駅の構内にもどったら、昨日よりいくらか少なくなっているようですが、にわかホームレスの人たちが疲れて眠りこけています。
07:30
やっと有楽町線が動き出しました。
発車間隔は通常よりあいていますが、帰ることができます。
08:52
やっと自宅に帰りつきました。
自分の部屋を覗いてびっくり。惨憺たる状態です。
PCが壊れなかったので、とりあえず良しとしますか。
*************************************************************************************************************************************
何かできることはないか?
もし、あなたが被災地の方々へ一言、励ましのメッセージを送りたいと思ったら
ここをクリックしてください。
きっとあなたの思いを届けます。
東北方面地震の被災者の方々へ心よりお悔やみ申し上げます
【文吉からのお願い】
バイク好きの人たちのブログランキングです。決して怪しいところではありません。
今回は特にここをクリックしてランキングを上げればより多くの方に見ていただく機会が増えると思います。
人気blogランキングへ
ありがとうございます。
いやあ、こんなにすごいことになるとは誰がよそうしていたでしょう。
あの阪神淡路大震災の千数百倍の規模のエネルギーとは。
津波に火事に原発の放射能漏れとは。
まるで地震被害のオンパレードです。
こちら関東でもまだ余震があります。昨日もけっこう大きな揺れがありました。
でも、こんなのは全然たいしたことはありません。
被災地の方々には本当にお気の毒で、早い復興をお祈りするばかりです。
お見舞い申し上げます。
計画停電の影響も大変そうですね、近畿は地震も今のところは皆無状態で申し訳なく思っています。できる限り無駄な行動をつつしみ、自宅謹慎で消費に影響の出ないように努力しております。このまま収束してくれることを強くお祈り申し上げます。
よりによって当日東京にいたとは。
まさしく災難でしたね。
文吉も組合幹部の時代がながかったけど、さすがに余震の中での団交は経験ありませんね。
東京は大変でしたね。
実は僕も何の運命のいたずらか、
その日は東京出張中でした。
本社でみんなで一晩明かしました。
それはそれで貴重な体験と思います。
福島、宮城のあの地獄絵図と比べたら、
東京の帰宅難民なんて不幸に入らない
ですよね。
・・・余震のなか、団交を続ける会社役員
には「アホか?」と思いましたが・・・。
いやあ、本当に大変でしたね。
よく考えたら、もう少し時間がたってたら
有楽町線が池袋までは動いたんですよねえ。
文吉が歩いた12kmがまるで意味のない話になってしまいました。
でも、命があるだけありがたいと思います。
私は、帰宅できず会社に泊りました。
と、いうか仕事をしてました。
全国のネットワークの状況をチェックしたりで殆ど寝れませんでしたが、屋外の寒さからは逃れられました。
次の日の午後にガラガラの有楽町線で帰宅しました。
文吉の名推理によると、あなたは”もっちゃん”ですね。
では、その推理を説明しましょう。
文吉の友人にもっちゃんと言うやつがおりまして、彼はとってもズボラな性格をしております。
ズバリ、もっちゃんの”も”まで入力して面倒くさくなったものと思われます。
でも、気持ちがやさしくて器の大きい文吉はそんなことは気にしません。
さて、明日から関東でも停電が実施されます。
これに協力してできるだけ、電気を付けないようにすることもひとりひとりができる大きな協力になると思います。
いっとくけど、これって、”もっちゃん流自家発電”のことではありませんからね
今回の大地震は本当に凄い体験でした。
翌日からのメディアを通して、東北地方の方々の”涙”を見るに付け、私にも何か出来る事はないかと、考えていました。私に出来る事など、極々僅かかもしれませんが、全面的に協力したいと思います。