旅、所変われば品変わる!興味津々。

今度は何処の国でコーヒーを飲もうかな。

重慶大足・寶頂山で恐ろしい石刻を見てきました。

2016-03-31 23:07:18 | 中国体験 経験 実験 発見

 寶頂山の石刻 地獄変相

この世の半数の人が落ちるといわれる地獄。
この動画に描かれた地獄は決して他人ごとではありませんね。
死後、このような地獄におちる可能性も十分あるようですねミナサン。

歯車で刻まれていますね。

煮えたぎった釜に入れられている

これは煮えたぎった油の釜にぶち込まれる寸前の図

八つ裂きにされる寸前、以上が実際例でしょうか。

                                      地獄変相の全体石刻像です。

 悪いこと、行えば、死後は地獄の苦しみを受けることになり、善行を、行えば、死後は天国の楽を受けることがでるとのことです。それを判断する人は六大王だそうです。

 

   

唐代や代に流布した説話にも、冥界に召喚されて、閻魔となった人間の話が見られる。清廉潔白で国家を支えた優秀な官吏が、死後閻魔になったという説話も出来、北宋の政治家・包む 

 


レストランのウエイトレス募集条件を発見

2016-03-30 12:10:08 | 中国体験 経験 実験 発見



湖南省長沙市内をブラブラと散策。ある海鮮レストランの前に来て一人「フムフム」と納得。社会主義社会も資本主義社会も人材募集は同じだなあ・・・・・と。
ウエイトレスの募集条件は次の通り。
①客室責任者:数名(女)身長162センチ以上。
②店前での招き入れ係り:数名(女)165センチ以上
③客室ウエイトレス:数名(女)160センチ
④客室への料理運び員:(男)168センチ以上
年齢は22歳迄。五官端正。形象好。気質佳。吃苦耐労。有相関工作経験者優先。
当ビル3階「阿一鮑魚」 とありました。吃苦耐労が気に入りました。
その結果の人材は



年齢は22歳までとか。 そう言えばレストランで食事をする時、オジサンやオバサンは見当たりませんでしたね。 見てもレストランの入り口まで運ぶところ迄でとかね。 でもこの募集だと22歳以下の容姿端麗、五官に欠陥が無く、辛い仕事にも文句を言わず、さながら「おしん」的な男性がその役割のようですね。日本でもそうですが、中国社会では年寄りは一体何処へ行ってしまったのでしょうか。ご老人は中国の社会でも住み難くそうですね。

 

 

 


江西省でホロ付屋根バイクを発見

2016-03-29 00:44:49 | 中国体験 経験 実験 発見

江西省醴陵でバスからこんなバイクを発見しました。「所変われば品変わる」と中学校の社会科の時間に先生から教えていただきましたが。日本でも自転車で傘を付けるのをみますよね。オートバイは・・・・・・・・・・。

普通の三人乗り、少々危なそうだなぁ

運転手以外に三人乗っているぞぉ

 

  カラフルな屋根ですね。バイクタクシーかなぁ

変形 日傘風ですね

         バイクタクシーの客待ちかな?

 

           新種かな

  

 

 


西安で阿倍仲麻呂の一生を想像する

2016-03-22 17:17:11 | 中国体験 経験 実験 発見

 

 江蘇省鎮江市の北固山の甘露寺の阿倍仲麻呂の歌碑をみつけました。阿倍仲麻呂と言えば、「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」という百人一首の歌で覚えていました。不勉強の私にはその程度の知識しか持ち合わせていませんでした。この句は、753年に一時帰国を許されたときに読んだものとされています。北固山の歌碑には、この歌を漢詩の五言絶句の形で刻まれていました。

翹首望東天 神馳奈良辺
三笠山頂上 想又皎月円

 (中国江蘇省鎮江市甘露寺境内 )

 

 西安市興慶宮公園にある阿倍仲麻呂紀念碑 

 阿倍仲麻呂は第九次の遣唐使船で吉備真備らと717年3月入唐(20歳)

(当時の遣唐使船・中国捜狐comより)

 

阿倍仲麻呂 (中国捜狐comより)

 長安にいた頃を想像して描いたであろう晩年の仲麻呂の肖像画。770年(在唐54年)唐の都・長安にて没した73歳。唐の太学に学び科挙に合格、唐朝の諸官を歴任した。

 晩年の阿倍仲麻呂 (中国捜狐comより)

 


西安碑林で面白いものを見つけました。

2016-03-22 01:51:58 | 中国体験 経験 実験 発見

西安碑林を時間を掛けて一番奥で拓本をとっているの陳列室を見たあと自由行動。周りの建物や売店などをブラブラと散策。ある一角に面白いものをみつけました。

 

写真だけを取ってホテルに戻り「百度」のネットで調べました。

马桩でした。馬止め、または馬繋ぎは明清時代(1368~1911)に建物の門前に建てられ家畜などをつなぎ止めるために用いられた石柱。柱の上部に様々な動物・人物が彫刻されています。

更に「捜狐」 で調べたところ 

石彫の馬止めは中国北方特有の漢民族間の石刻芸術品で、陝西省渭北高原にある澄城県に際立って密集しており、その数量と品種は全中国においても他には無く唯一であろう。そのものは過去において大きな地主や退職し郷里に帰った有力者、富裕者の家の馬止め石柱。硬い石に彫刻されたもの。高さは2~3メートル、その厚みは22センチから30センチで玄関正面の両側に建てられており建築物の様式だけではなく、北京 紫禁城太和殿の前にある一対の獅子と同じ意味をもっている。

富裕を誇示するのと、魔除けの意味を持つ。一般的にはその家の標柱を表している。とのことでした。

 


玄宗皇帝の唐代、日本国名記載の墓碑銘(井真成)を見てきました。

2016-03-15 14:12:05 | 中国体験 経験 実験 発見

 

西安で西北大学博物館で阿倍仲麻呂や吉備真備らと遣唐使として留学した井真成の墓碑銘(実物)です。中国の政府役人として功績があったとして没後(36歳で没)政府の功労者としての墓碑銘に井真成の功績を書かれたもの。それが発見され現在は西北大学博物館に展示されているものです。国名を「倭の国」ではなく日本と書かれた資料としては有史上最初ではとの説もあるようです。

    

この時代は古都長安は華やかな玄宗皇帝と楊貴妃の時代だそうです。その時代の歌舞を唐楽宮で鑑賞してきました。阿倍仲麻呂も吉備真備も井真成もこの艶やかな歌舞をみてビックリしたのでは。

 

 朝日新聞に掲載された井真成の記事は次の通り。