旅、所変われば品変わる!興味津々。

今度は何処の国でコーヒーを飲もうかな。

唐代(西暦733年)の墓碑に「日本」と国名が記されていました。

2017-11-17 23:58:59 | アンダー ザ ローズ

 

西安の西北大学博物館を訪れたとき 玄宗皇帝から埋葬時に優秀な役人だった為 官職の地位を授かったと記された墓碑を見ました。玄宗皇帝が楊貴妃と一緒になる6年前の事だそうです。

 

中国の歴史年表を調べてみますと717年に第9次遣唐使としてとして阿倍仲麻呂、吉備真備と一緒に長安に入り、競うように勉学に励んだようです。正式官僚として朝廷に仕え 活躍ぶりは優秀で埋葬時に「尚衣奉御」を与えられたそうです。名前は「井真成」で日本人らしからぬ氏名ですが墓碑には出身は国号日本と記されています。「日本」と記された墓碑は歴史上最古の例だそうです。又、「井」と言う姓に中国や日本国内でも「井上」「葛井」などと想像されていますが不明のようです。その話は2005年NHKで放送された新シルクロードで「井真成」(堺雅人)のものでした。実物を見て大感激でした。

 


羨ましい光景でした。

2017-11-13 01:39:01 | 中国体験 経験 実験 発見

中国広東省韶関のある禅宗で有名なお寺に参拝しました。時間は午後の二時頃参拝するのに山門前で羨ましい光景に遭遇しました。

私と同じ位の歳でしょうか。中国では何処に行っても若い人ばかりです。高齢者は何処に行ったのだろうか。ガイドに聞くと家で子守みたいですよ。との事。この写真はずばりそれであった。年金は退職時の給料の70%(?)は貰えるらしい。給料の良い人は生活出来るらしいが給料の少ない人は物価が上がっているので退職時の給料の70%ではきついようです。私の河南省石家庄の友人は55歳で定年で部長職であった為か高給だったそうです。この数年は趣味の釣りにい1週間のうち4日はそれに費やしているようです。この画像と同じかな。孫と午後から一緒にいられるなんて羨ましい限りの光景でした。

 

 


中国人の訪日観光団の添乗員は資格が必要、11月1日から

2017-10-31 00:46:46 | 中国体験 経験 実験 発見

中国人観光客が大勢日本に来て、大変な外貨を落として頂いていますね。報道によると悪徳中国人ガイドが専門商店に連れ込み違法なコミッションを受け取っているとの事。その悪評を払拭する為か中国政府は、海外観光旅行の添乗員にこの資格証を持つ事を義務ずけました。条件は厳しくガイドクラスは四つ星以上。クラスは中級以上です。この中級はなかなか取得が難しいようですね。私の友人のものです。

 日本に来る観光団体のガイドは2017年11月1日から必携です。何か不信があれば正規の添乗員であれば提示を求めれば提示する筈   です。


偉大なる経済力を垣間見た積載車と遭遇

2017-10-29 00:08:15 | アンダー ザ ローズ

 

             洛陽から三門峡へ高速道路を移動中「ななんだ・・・・・この車は!」

 中国製の乗用車をなんと上段と下段をあわせて14台も乗せたトレーラーに遭遇した。三門峡市の峡県へ移動する

途中のパーキングエリアでトイレ休憩中に出会ったので写真を一枚。このような積載車が5台止まっていた。

さすが乗用車販売台数がアメリカに次いで二番目にのし上がった国を目の辺りにした光景。

中国は電気自動車を数年後には100%にするそうです。

中国の友人が雨が降ると喜んでいた。理由は「雨で汚染された空気が洗い流され、青空がみえるから」と。 自動車の排ガスが凄いため。石原慎太郎元知事がコップにトラックの排ガスの黒い粉を記者会見の席上で振りまいていたのを思いだした。

 


タクラマカン砂漠横断で食べたナン

2016-04-10 01:39:42 | 中国体験 経験 実験 発見
スエーデンの探検家ヘディンや玄奘三蔵法師も印度への修行途中に食べたかな。 
 
 
 
 
 

大変気にいっているのがナンです。トルファンでもクチャでも必ず手にいれて旅行しました。保存食ですね。観光時間の予定がずれ込み、昼食までに一寸何か食べたい時に、絶好でした。ナンはどこでも同じような額で一個1元前後でした。今回は買った場所はアスターナ古墳の入り口前で、クチャのキジル千仏洞をでた村で。これは人々の一般食ですからどこでも売っていましたが。しかしウルムチでは余り目につきませんでしたね。愛知のSさんはナンを大量に買ってお土産にしたか、ご自分で食されたか・・・・・・・。バンメンもいいですね。

バスのタイヤにホースで水をジャブジャブとかけて・・・・大丈夫?

2016-04-02 21:03:26 | 中国体験 経験 実験 発見


中国四川省へ行ったおりの経験です。大型観光バスで黄龍から成都への海抜3200メートルの坂道を一挙に下り1時間。急に「加水」と看板のあるところに急停車。ドライバーが小屋からホースを持ち出しタンクに水を入れだした。ガソリンタンクに水?・・・・・もう一本のホースでナント、ナント・・・・タイヤのブレーキに水をかける出した。「オイオイブレーキに水をかけて大丈夫かよ・・・・」「坂道がまだ続くのに・・・・・」車を運転する私は心配だった。後ほど運転手君に聞いてみる。水でブレーキを冷やす方法で常ににガソリンタンク以外に水のタンクも備えて山道を下る時に使用しているとの事。そういえば晴れているのに道路がビショビショに濡れていたり、下り坂道でタイヤのブレーキ付近から白い煙がたっていて、「ブレーキが熱も持ってシューが焼け切れるぞ!」と思った経験があった。
疑問解決だ!
水冷式ブレーキであったのだ。日本ではこのような場合、単にエンジンブレーキだけなのだろうか?尤も3000メートル級の山のところの道路を2時間以上も走る地区はありませんものね。





重慶大足・寶頂山で恐ろしい石刻を見てきました。

2016-03-31 23:07:18 | 中国体験 経験 実験 発見

 寶頂山の石刻 地獄変相

この世の半数の人が落ちるといわれる地獄。
この動画に描かれた地獄は決して他人ごとではありませんね。
死後、このような地獄におちる可能性も十分あるようですねミナサン。

歯車で刻まれていますね。

煮えたぎった釜に入れられている

これは煮えたぎった油の釜にぶち込まれる寸前の図

八つ裂きにされる寸前、以上が実際例でしょうか。

                                      地獄変相の全体石刻像です。

 悪いこと、行えば、死後は地獄の苦しみを受けることになり、善行を、行えば、死後は天国の楽を受けることがでるとのことです。それを判断する人は六大王だそうです。

 

   

唐代や代に流布した説話にも、冥界に召喚されて、閻魔となった人間の話が見られる。清廉潔白で国家を支えた優秀な官吏が、死後閻魔になったという説話も出来、北宋の政治家・包む 

 


レストランのウエイトレス募集条件を発見

2016-03-30 12:10:08 | 中国体験 経験 実験 発見



湖南省長沙市内をブラブラと散策。ある海鮮レストランの前に来て一人「フムフム」と納得。社会主義社会も資本主義社会も人材募集は同じだなあ・・・・・と。
ウエイトレスの募集条件は次の通り。
①客室責任者:数名(女)身長162センチ以上。
②店前での招き入れ係り:数名(女)165センチ以上
③客室ウエイトレス:数名(女)160センチ
④客室への料理運び員:(男)168センチ以上
年齢は22歳迄。五官端正。形象好。気質佳。吃苦耐労。有相関工作経験者優先。
当ビル3階「阿一鮑魚」 とありました。吃苦耐労が気に入りました。
その結果の人材は



年齢は22歳までとか。 そう言えばレストランで食事をする時、オジサンやオバサンは見当たりませんでしたね。 見てもレストランの入り口まで運ぶところ迄でとかね。 でもこの募集だと22歳以下の容姿端麗、五官に欠陥が無く、辛い仕事にも文句を言わず、さながら「おしん」的な男性がその役割のようですね。日本でもそうですが、中国社会では年寄りは一体何処へ行ってしまったのでしょうか。ご老人は中国の社会でも住み難くそうですね。

 

 

 


江西省でホロ付屋根バイクを発見

2016-03-29 00:44:49 | 中国体験 経験 実験 発見

江西省醴陵でバスからこんなバイクを発見しました。「所変われば品変わる」と中学校の社会科の時間に先生から教えていただきましたが。日本でも自転車で傘を付けるのをみますよね。オートバイは・・・・・・・・・・。

普通の三人乗り、少々危なそうだなぁ

運転手以外に三人乗っているぞぉ

 

  カラフルな屋根ですね。バイクタクシーかなぁ

変形 日傘風ですね

         バイクタクシーの客待ちかな?

 

           新種かな

  

 

 


西安で阿倍仲麻呂の一生を想像する

2016-03-22 17:17:11 | 中国体験 経験 実験 発見

 

 江蘇省鎮江市の北固山の甘露寺の阿倍仲麻呂の歌碑をみつけました。阿倍仲麻呂と言えば、「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」という百人一首の歌で覚えていました。不勉強の私にはその程度の知識しか持ち合わせていませんでした。この句は、753年に一時帰国を許されたときに読んだものとされています。北固山の歌碑には、この歌を漢詩の五言絶句の形で刻まれていました。

翹首望東天 神馳奈良辺
三笠山頂上 想又皎月円

 (中国江蘇省鎮江市甘露寺境内 )

 

 西安市興慶宮公園にある阿倍仲麻呂紀念碑 

 阿倍仲麻呂は第九次の遣唐使船で吉備真備らと717年3月入唐(20歳)

(当時の遣唐使船・中国捜狐comより)

 

阿倍仲麻呂 (中国捜狐comより)

 長安にいた頃を想像して描いたであろう晩年の仲麻呂の肖像画。770年(在唐54年)唐の都・長安にて没した73歳。唐の太学に学び科挙に合格、唐朝の諸官を歴任した。

 晩年の阿倍仲麻呂 (中国捜狐comより)