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なんか唐突に終わってしまいましたね、この「ジパング」(原作がまだ雑誌連載中なので、キレイに完結することはハナから期待していませんでしたが・・・)。
ただ、今回の終わり方は、何とも「かわぐちかいじ」作品らしいなと思いました。
「ジパング」の作者かわぐちかいじの代表作と言えば「沈黙の艦隊」になるのでしょうが、こちらの作品もアニメ化(TVシリーズではありませんでしたけど)され、ちょうど今回と同じようなパターンで幕が閉じられていました。
具体的には、「戦闘シーンの多いエピソードが終了したところでバッサリ終了、アッサリ完結!」ってカンジです。
かわぐちかいじという人は「政治」や「歴史」、また「正義」や「大義」などといった事柄に関し、明らかに一家言を持った人物で、作品中の端々でそのことを表しています。
プチヲタ個人としては、かわぐちかいじの理念は嫌いじゃありません。
しかし、この方の主張は「夢想」にも近い理想主義的なモノ(「沈黙の艦隊」の場合で言うと、「諸外国から独立し、独自の指揮権を有する、核をも装備した常設国連軍の創設」という主張)であるため、皮肉にも「リアリティ重視」が売りの「かわぐち作品」では、その作者の主張のみが作品の中で「浮いている」という奇妙キテレツな「ねじれ現象」引き起こし、結果として物語が尻窄みになってしまっています(「沈黙の艦隊」も、前半から中盤までの「戦闘編」は社会的にも話題になったけど、中盤以降の「政治編」になると徐々に人気が・・・。作者が本当に世に問いかけたかったテーマは後半の方に置かれているハズなのに)。
原作を未読のため(てか、ホント最近マンガ「すら」読んでいない。ネットがあると本の重要度って極端に落ちるなぁ。出版不況って話も納得ですワ)、アニメ版だけで一応の評価を出したいと思うんだけど、正直なかなか甲乙つけ難い作品です。
まず構成的に見ると、前作「沈黙の艦隊」でプチヲタが「欠点では?」と思った部分が改善されていたのが目に付きました。
その「欠点」というのは、主人公(=作者の分身)の海江田があまりにも前に出過ぎていること。
「沈黙の艦隊」では、作者の主張の代弁者としての海江田があり、物語から「独善さ」を消すための中和剤として、一般論を振りかざすライバルの深町が用意されていたように思うのですが、作者の意思が強く出過ぎるあまり、半ば海江田の「一人称」的な作品になっていたような気がします。
その点「ジパング」では、海江田的存在の日下(字、あってる?)と深町的存在の角松の立場がイーブンに描かれ、きちんとバランスが保たれていました。
次に設定面ですが、護衛艦に巡航ミサイル「トマホーク」が搭載されていることに疑問(作品中では空母に対する攻撃に使われていましたが、普通そのような用途に用いられるのは対艦ミサイルであって、「トマホーク」のように「対地」攻撃がメインの巡航ミサイルを護衛艦に積むのは、「専守防衛」を掲げる自衛隊的にはあり得ないように思う次第)を感じたこと以外は、プチヲタとしては特に気になるところはありませんでした。
プチヲタより格段に「ミリヲタ」の友人などは、護衛艦に装備された各種ミサイルについて色々言っていましたが、ンなコト分からなければ気にもなりません。なので、気にしません(笑)。
で、肝心のストーリーについては、アニメ版全26話だけで結論を下すと、やっぱ「並」(1回くらいなら観ても損はしないってレベル)どまりではないかと・・・。
いかに原作が未完で、あそこで話を切るしかなかったとはいえ、どうにも消化不足の感が否めません。
特にラスト数話の「日本上陸」編はいらなかったと思います。
僭越ながら言わせてもらえば、プチヲタなら日本に到着する直前で話を終えていたでしょう。
本作中にあったシーンをそのまま使い、遠くに横須賀の夜景を望みながら、艦長と角松の
「あそこは我々の知る日本ではない」
「・・・しかし、帰るしかないでしょう。船には港が要ります」
という会話の後、横須賀の街の灯に向かって進む護衛艦のシルエットを後方から遠望してエンドロール。
これだって中途半端な終わり方には違いありませんが、どうせ未完が確定しているのなら、一番余韻の残りそうな場面で幕を引いたほうがイクないですか?
ま、アニメの製作現場には「ミリヲタ」な方々もたくさんいるので、戦闘シーンを山ほど描けただけで満足なのかもしれませんケドね・・・(^^;)。
ただ、今回の終わり方は、何とも「かわぐちかいじ」作品らしいなと思いました。
「ジパング」の作者かわぐちかいじの代表作と言えば「沈黙の艦隊」になるのでしょうが、こちらの作品もアニメ化(TVシリーズではありませんでしたけど)され、ちょうど今回と同じようなパターンで幕が閉じられていました。
具体的には、「戦闘シーンの多いエピソードが終了したところでバッサリ終了、アッサリ完結!」ってカンジです。
かわぐちかいじという人は「政治」や「歴史」、また「正義」や「大義」などといった事柄に関し、明らかに一家言を持った人物で、作品中の端々でそのことを表しています。
プチヲタ個人としては、かわぐちかいじの理念は嫌いじゃありません。
しかし、この方の主張は「夢想」にも近い理想主義的なモノ(「沈黙の艦隊」の場合で言うと、「諸外国から独立し、独自の指揮権を有する、核をも装備した常設国連軍の創設」という主張)であるため、皮肉にも「リアリティ重視」が売りの「かわぐち作品」では、その作者の主張のみが作品の中で「浮いている」という奇妙キテレツな「ねじれ現象」引き起こし、結果として物語が尻窄みになってしまっています(「沈黙の艦隊」も、前半から中盤までの「戦闘編」は社会的にも話題になったけど、中盤以降の「政治編」になると徐々に人気が・・・。作者が本当に世に問いかけたかったテーマは後半の方に置かれているハズなのに)。
原作を未読のため(てか、ホント最近マンガ「すら」読んでいない。ネットがあると本の重要度って極端に落ちるなぁ。出版不況って話も納得ですワ)、アニメ版だけで一応の評価を出したいと思うんだけど、正直なかなか甲乙つけ難い作品です。
まず構成的に見ると、前作「沈黙の艦隊」でプチヲタが「欠点では?」と思った部分が改善されていたのが目に付きました。
その「欠点」というのは、主人公(=作者の分身)の海江田があまりにも前に出過ぎていること。
「沈黙の艦隊」では、作者の主張の代弁者としての海江田があり、物語から「独善さ」を消すための中和剤として、一般論を振りかざすライバルの深町が用意されていたように思うのですが、作者の意思が強く出過ぎるあまり、半ば海江田の「一人称」的な作品になっていたような気がします。
その点「ジパング」では、海江田的存在の日下(字、あってる?)と深町的存在の角松の立場がイーブンに描かれ、きちんとバランスが保たれていました。
次に設定面ですが、護衛艦に巡航ミサイル「トマホーク」が搭載されていることに疑問(作品中では空母に対する攻撃に使われていましたが、普通そのような用途に用いられるのは対艦ミサイルであって、「トマホーク」のように「対地」攻撃がメインの巡航ミサイルを護衛艦に積むのは、「専守防衛」を掲げる自衛隊的にはあり得ないように思う次第)を感じたこと以外は、プチヲタとしては特に気になるところはありませんでした。
プチヲタより格段に「ミリヲタ」の友人などは、護衛艦に装備された各種ミサイルについて色々言っていましたが、ンなコト分からなければ気にもなりません。なので、気にしません(笑)。
で、肝心のストーリーについては、アニメ版全26話だけで結論を下すと、やっぱ「並」(1回くらいなら観ても損はしないってレベル)どまりではないかと・・・。
いかに原作が未完で、あそこで話を切るしかなかったとはいえ、どうにも消化不足の感が否めません。
特にラスト数話の「日本上陸」編はいらなかったと思います。
僭越ながら言わせてもらえば、プチヲタなら日本に到着する直前で話を終えていたでしょう。
本作中にあったシーンをそのまま使い、遠くに横須賀の夜景を望みながら、艦長と角松の
「あそこは我々の知る日本ではない」
「・・・しかし、帰るしかないでしょう。船には港が要ります」
という会話の後、横須賀の街の灯に向かって進む護衛艦のシルエットを後方から遠望してエンドロール。
これだって中途半端な終わり方には違いありませんが、どうせ未完が確定しているのなら、一番余韻の残りそうな場面で幕を引いたほうがイクないですか?
ま、アニメの製作現場には「ミリヲタ」な方々もたくさんいるので、戦闘シーンを山ほど描けただけで満足なのかもしれませんケドね・・・(^^;)。
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