スカパー漂流記

CS放送「スカパー」で放送されている番組について語れればいいなぁと思う次第でございまして・・・

File-056 攻殻機動隊S.A.C総集編 (for スカパー183ch)

2005年07月01日 | Weblog
 プチヲタがここ最近で一番ハマった作品の「総集編」の登場です!
 今回放映される総集編の正式タイトルは「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX The Laughing Man」 Σ( ̄□ ̄;)長っ!。
 で、面倒なので以後は本作を「SAC」と表記します。

 「攻殻機動隊」は士郎正宗の漫画が原作ですが、その名を広く世に知らしめたのは、あの押井守が監督した劇場版アニメ「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」でした。
 この作品がアメリカで「(月間?)ビデオ・セールス第1位」に輝いたことがちょっとしたニュースになり、多くの人間が「攻殻機動隊」という作品の存在を知ることになったのです。

 ただ、「攻殻機動隊」という作品は「ヲタクがヲタクに向けて描いたヲタクの書」であり、あの「トップをねらえ」の原作者にして今は中途半端な「文化人もどき」に成り下がってしまった岡田斗司夫をして「自分より頭の良い人間が描いたマンガを初めて見た」と言わしめた、ヲタたち絶賛の欄外解説(漫画の「コマ」の外に、内容に関する考証や解説がびっしりと書き込まれている)などは、「一般人」はもとよりプチヲタのような「なんちゃってヲタ」さえも拒絶するのに十分なものでした(笑)。
 
 で、その「小難しくクセのある」原作を、話を難解にすることで有名(笑)な押井監督が映像化した「GHOST IN THE SHELL」は、予想に違わず思いっきり「パンピー排斥」な方向に突っ走っていて、プチヲタも見事に弾き出されたクチです(T_T)。
 とにかくこの時までの「攻殻機動隊」のスタンスは、原作も映画も「ついて来られるヤツだけついて来い!」という姿勢丸出しで、とても「一般的」な作品とは呼べないシロモノでした。

 しかし、そこは世界に冠たる「アニメ大国・日本」です。
 プロダクションI.Gの若手スタッフたちが、この「ヲタクの書」をキチンとしたエンタテインメントへと作りかえてくれました。
 それが本作「SAC」です。

 ではここから、プチヲタが考える「劇場版」と「SAC」の違いについて述べていきましょう(原作漫画は読み始めて数分で速攻ギブしたので、プチヲタには何も語る資格がありません。^_^;)。
 まず物語の「主題」ですが、「劇場版」の難解なそれをプチヲタなりに解釈すると、「人の魂(思考)を電脳化によって電気的に存在させることが可能ならば、血の通った肉体を持つことにどれほどの意味があるのか?」といった、かなり「哲学的」なものだったような気がします。
 でも人間は自分の意志で、即ち「主体的」に肉体へ魂を置いているわけではありませんから、この問いかけはまさに観念的な「哲学」であって、同様の疑念なり思索なりを持っている者以外には、「だからどうした?」程度の感想しか与えることができません。

 対して「SAC」は主題を「笑い男事件」という事象に置き、「観念」ではなく「現実」に物語の足場を築いています。
 つまり「劇場版」が「人間劇」であるのに対し、「SAC」は「政治劇」というスタンスなのです。
 そして物語の舞台を「現実」に据えることで、更に「攻殻機動隊」の「最大の長所」にして「最大の短所」をストーリーに組み込みやすくしました。

 「攻殻機動隊」の長所にして短所。
 これがあるがゆえに「ヲタク」は本作を讃え、これがあるがために「一般人」が本作を忌避するモノ。
 それは「精緻なSF考証の上に構築された、(ある意味)見事な世界観」です。
 劇場版は明らかにこの「世界観」を偏重する形で作られていましたが、「SAC」では「世界観はあくまでも背景でしかない」という基本に立ち返り、その上で「精巧な設定は描写としてビジュアル的に活用する」との手法をとりました。
 
 例えば大量のデータを処理するシーンだと、「○×テラバイトの伝達速度を持つ回線が・・・」と説明するのではなく、何体ものオペレーター・アンドロイドが複数のコンピュータを立ち上げ、目まぐるしくモニター上を流れる文字列や、次々に開くウインドゥを処理する姿を描写することで「超高速回線」の存在を「物語世界の中の現実」として観る者に「直観的」に理解させるわけです(ここを台詞で説明してしまうと「テラバイト」の意味が分からずにフェードアウトする視聴者とかが出てくる可能性もある)。

 ちなみに余談ですが、「ザ・コア」という映画の劇中、通信回線の容量が足りない云々の話が出る場面で、主人公がヲタクな助手に向かい(容量が足りないなら)「普段お前がセーラームーンを観ている回線があるだろう。アレを使え」みたいな台詞(英語で本当に「セーラームーン」って言ってます)を吐き、プチヲタ的には大ウケでした(たしかにヲタクが満足できる画質で動画を観るなら「ブロードバンド」しかない。笑)。

 さて、話を戻しましょう。
 上で説明したように、「SAC」では原作が確立した「世界観」を主にビジュアルを用いて表現しているため、「一般人」でもほぼストレスフリーで物語を楽しめます。
 で、そのストーリーもごくごくオーソドックスなものなので、ほとんどの人が素直についていけるでしょう。
 
 では最後に、本作「SAC」が劇場版と異なりえた理由について、プチヲタなりの私見をひとつ。
 思うにこれは「テクノロジー」に対する「製作者」サイドの「認識」の差ではないかと。
 つまり原作者や押井監督の世代にとって、現在のテクノロジーとは未来からやってきた「注視すべき興味の対象」であり、故にそれに固執してしまう。
 他方、若手クリエイターにとっての「現代テクノロジー」とは、物心ついたときから傍らにある、取りたてて執着すべきものでもない存在であって、どのようなテクノロジーも所詮は人間の営みの「背景」でしかないという認識。
 
 ま、手っ取り早い言い方をすれば、「ビデオが出来てTVの視聴スタイルが変わった!まったくビデオとは何と素晴らしい発明であることか!」と思ってる世代と、「ビデオ?単なる録画の機械でしょ?」としか思わない世代の「差」ってコトです(所謂ジェネレーション・ギャップってヤツですナ)。

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