あっとせりざわさん。

福岡在住ひねくれ会社員せりざわさんの、見たコト聞いたコト買ったモノ。(マニア風味)

20年前のあの日。~日航機事故に寄せて~

2005-08-12 23:56:50 | 真面目な話
20年前。私は当時10歳。
小学4年生の夏休みを、ばーさん家でのんびり過ごしてた。
当時の鹿児島は民放TVが3局。キー局では土曜に放送されていた「オレたちひょうきん族」は、鹿児島では月曜の19時からの放送だった。
祖父と祖母は、居間で「クイズ100人に聞きました」
私は別の部屋で「ひょうきん族」これが月曜のお約束だった。

始まってしばらくして、ニュース速報のテロップで第一報。
確か墜落とかではなく「消息不明」ってのが最初だったと思う。
なんだか背筋をぞっとしたものが走って、私は祖父たちのいる居間に。
すると祖父たちは既にNHKにチャンネルを合わせていた。

その夜はとても長かった。
少しずつではあるけど、明らかになっていく事実。
落ちたという目撃証言、見つかる機体の一部、読み上げられる搭乗者名簿・・・
普段はわりと早く寝ていた私だったが(そりゃそうだよな、小学生だし)、その夜だけは0時近くまで起きていたと記憶している。

何より、眠るのが怖かった。

翌日、翌々日、さらに次の日・・・
お盆で親戚一同が会しているというのに、私はひたすらTVと新聞ばかり見ていた。
流れるのは、ひたすらあのニュースだけ。
搭乗者名簿はいつしか「亡くなった方のお名前」に変わった。次々と無機質に読み上げられていくそれは、子供心に底知れぬ怖さを植えつけるのには十分だった。
それゆえに、生存者が発見されたときは驚きと安堵感があったのを覚えている。

うちの母親は、ちょっと元気がなかった。
数年後に聞いた話だが、母は学生時代、坂本九のファンだったそうだ。
元祖御三家がブームの頃で、周りは西郷輝彦とか舟木一夫とかに熱を上げる中、うちの母は数少ない九ちゃんファンとして、結構変わり者扱いだったらしい。
とにかく、ショックだったそうな。


20年経った今年。ついさっきふと思った。
何年かに一度、このような「あってはならない大事故(事件)」が起こってしまうわけだが・・・当時のようにえもいわれぬ恐怖を感じた子供たちが、20年後に今の私と同じように、こんな回想をしたりするのだろうか?

阪神大震災の20年後。
NY同時多発テロの20年後。
尼崎脱線事故の20年後。

ちなみに私は、いまだに飛行機が苦手だ。




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