あっとせりざわさん。

福岡在住ひねくれ会社員せりざわさんの、見たコト聞いたコト買ったモノ。(マニア風味)

そしてここからがツイラクロンの本番。

2005-08-23 23:25:32 | 真面目な話
で、QMAやる前に今日は簡易裁判所に行ってきました。
実はここ2週間で3回目なんですけどね。

目的は、債務整理の手続。

わけあって23歳の頃から溜め込んでしまった債務を、「特定調停」という手段でなんとか清算していこうということです。

たまーに、気が向いたらこんなことになっちゃったいきさつとか返済状況とかいろいろ書いていこうかなーと。自戒の意味も込めて。

とりあえず、私が贅沢しそうになってたら止めてください(笑)

・・・まずはQMAのプレイ回数を(苦笑)


20年前のあの日。~日航機事故に寄せて~

2005-08-12 23:56:50 | 真面目な話
20年前。私は当時10歳。
小学4年生の夏休みを、ばーさん家でのんびり過ごしてた。
当時の鹿児島は民放TVが3局。キー局では土曜に放送されていた「オレたちひょうきん族」は、鹿児島では月曜の19時からの放送だった。
祖父と祖母は、居間で「クイズ100人に聞きました」
私は別の部屋で「ひょうきん族」これが月曜のお約束だった。

始まってしばらくして、ニュース速報のテロップで第一報。
確か墜落とかではなく「消息不明」ってのが最初だったと思う。
なんだか背筋をぞっとしたものが走って、私は祖父たちのいる居間に。
すると祖父たちは既にNHKにチャンネルを合わせていた。

その夜はとても長かった。
少しずつではあるけど、明らかになっていく事実。
落ちたという目撃証言、見つかる機体の一部、読み上げられる搭乗者名簿・・・
普段はわりと早く寝ていた私だったが(そりゃそうだよな、小学生だし)、その夜だけは0時近くまで起きていたと記憶している。

何より、眠るのが怖かった。

翌日、翌々日、さらに次の日・・・
お盆で親戚一同が会しているというのに、私はひたすらTVと新聞ばかり見ていた。
流れるのは、ひたすらあのニュースだけ。
搭乗者名簿はいつしか「亡くなった方のお名前」に変わった。次々と無機質に読み上げられていくそれは、子供心に底知れぬ怖さを植えつけるのには十分だった。
それゆえに、生存者が発見されたときは驚きと安堵感があったのを覚えている。

うちの母親は、ちょっと元気がなかった。
数年後に聞いた話だが、母は学生時代、坂本九のファンだったそうだ。
元祖御三家がブームの頃で、周りは西郷輝彦とか舟木一夫とかに熱を上げる中、うちの母は数少ない九ちゃんファンとして、結構変わり者扱いだったらしい。
とにかく、ショックだったそうな。


20年経った今年。ついさっきふと思った。
何年かに一度、このような「あってはならない大事故(事件)」が起こってしまうわけだが・・・当時のようにえもいわれぬ恐怖を感じた子供たちが、20年後に今の私と同じように、こんな回想をしたりするのだろうか?

阪神大震災の20年後。
NY同時多発テロの20年後。
尼崎脱線事故の20年後。

ちなみに私は、いまだに飛行機が苦手だ。




鹿児島。

2005-03-06 17:43:51 | 真面目な話
ながーく更新してませんでしたが。

仕事もながーい間忙しいしよ。

で、鹿児島出張から帰ってまいりました。

鹿児島ゆーたら私の出身地。
ばーさん家では毎日のように芋焼酎で晩酌。
都会ほどごみごみしてないし、仕事も気分的にのんびりできましたよ、ええ。

で。今回同行した同僚(熊本人)いわく、

鹿児島の女性の言葉って、なんかいいですよね。
熊本弁とか、まるでケンカみたいだし」


だって。まぁ博多弁もそう聞こえるところあるしねー。

でもねー、今回の仕事に関して言えばさ、

たまたま今回一緒に仕事した女性がほとんどそういうおっとりキャラだった、ってだけなんすけど?(笑)

苦節

2004-11-20 23:57:32 | 真面目な話
そのレッズ、ついにステージ優勝ですよ。
Jリーグ発足から苦節12年・・・ついに掴んだ栄冠です。
なにしろ、J発足のときからなぜか浦和が好きだった俺・・・

あのチームの凄さは、何よりもサポーターの熱さなんですよね。
最初のあんなよわっちぃころから、それに反して恐ろしいほどのサポーターの熱狂ぶり。
・・・ま、たまに暴走してたけどね。

あー、そういえばJ2に降格したときもあったな。
でも、それでもやっぱりサポーターは熱かった。ていうかそれを挟んでますます熱くなった。

俺は、選手が具体的にどうとか、そういうことにはこだわってない。
俺は当初から、サポーターも含めて、あのチームの雰囲気が好きなんだなー。

今日は一人で祝杯あげようっと。