泉心堂治療院

せんしんどうちりょういん

「道」の医学、「流れ」の医学

2020年11月18日 | Weblog

「道の医学」はいわば「流れの医学」だと思います。

「流れ」とは、物事が「道」という範囲と連続性のある空間に従って進むことであり、

物事は「道」にしたがうことで、「流れ」となり、一定の規則性が生まれます。

そして、「道の医学」とは、この「流れ」を「ととのえる」こと。

つまり、「道の医学」は「流れの医学」とも言えるのです。


「流れの医学」にとって重要な要素を挙げますと、

①方向性、②規則性、③連続性になります。

①方向性

流れの医学を実践する上で最も注意しなければならないのは、進む道の方向性です。

誤った方向に進んでしまっては、逆効果を生み出す可能性すらあります。

進むべき道の方向性をしっかり見定め、より良い方向に導くことが重要です。

②規則性

「流れ」が進むべき道を外れることがなく進むように導きます。

③連続性

「流れ」が滞りなく進むように導きます。



「道の医学=流れの医学」を実践するにあたって、

特に気をつけなければならないことがあります。

それは実践する者(術者)が流されてしまってはいけないということです。

例えば、時速50キロで走る列車を見るとき、

自分が静止状態で見るのと、

同じ方向に同じスピードで平行して走る列車から見るのと、

同じ時速50キロですれ違う列車から見るのでは、

それぞれ見え方が異なってくるはずです。

もちろん、それぞれの状況からの見え方があることを知ったうえで、

それらを把握できることも大切ですが、

自分自身がどのような状況にあるのかを認識しないままに

相手の「流れ」を判断してしまうのは良くありません。

相手の「流れ」を見極めるためには、

まず自分自身の立ち位置をしっかり認識しておくことが重要です。

その立ち位置こそ、「中庸」によって認識できるものです。



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内臓と「こころ」と「無用の用」:道の医学

2020年09月23日 | Weblog

心臓の機能は血液をポンプのように送り出し、

体内を循環させることは誰もが常識として知っていることです。

そして、精神活動は脳の機能であることも同様に知っています。

 

しかし、我々は古来より「心(こころ)」の存在を心臓の位置に感じてきました。

そして、この「心」こそ心臓における「無用の用」に他なりません。

 

中国医学では、古来より内臓と感情を関係づけて病気の診断や治療に結びつけてきました。

つまり、感情は内臓という「器」から生じる「機能」の一つであると考えていたのです。

その代表が心臓における「心」の存在です。

つまり、心と心臓は同じ「場」に宿る、文字通り一心同体の存在ということです。

この不可分性こそが無用の用の医学、すなわち「道の医学」の特徴になります。


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丹田と「無用の用」その2:道の医学

2020年08月26日 | Weblog

例えば丹田が骨盤の中に存在すると認識しているならば、

骨盤の中の空間という「場」が丹田であり、

丹田は骨盤の「無用の用」ということになります。

 

また、骨盤は両脚によって支えられているため、

丹田は、ワイングラスのように脚に支えられた器の中の空間(無用の用)に存在する「場」ということになります。

つまり、この場合の丹田は下半身全体における「無用の用」です。

 

そして、丹田は身体全体における重心の役割をはたしているとされています。

この場合の丹田は重心としての「場」であり、

上半身、下半身あわせた身体全体における「無用の用」とし存在していることになります。

 

また、深呼吸の際、丹田に空気を出し入れする感覚を意識するならば、

丹田は、呼吸の「場」として「無用の用」を担います。

 

このように、同じ丹田という「場」であっても、

「場」の性質は状況に応じて変化し、

「無用の用」を生み出す「器」の構成も変化する特徴があります。

 

そして、「場」の性質と「場」を構成する要素について考察し、役立てるのが

「無用の用の医学」つまり「道の医学」の考え方です。

 


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丹田と「無用の用」:道の医学

2020年08月19日 | Weblog

「丹田」といえば、

東洋医学や健康法の分野、伝統芸能やスポーツなど身体技法の分野

などにおいて重視される概念だと思います。

 

一般的には下腹部に存在し、

深い呼吸(腹式呼吸)の際に意識するポイント、

身体のバランスや重心の要(かなめ)、

精神を集中させる際のポイント

などとして認識されています。

 

これほど意識され、重要さが認識されている部位であるにもかかわらず、

人体を解剖しても、

当然ながら「丹田」という臓器、組織を見つけることはできません。

 

なぜなら「丹田」とは意識・実感の中に存在するもので、

我々の身体には「丹田」という「場」が存在するということなのです。

それは「無用の用」に他なりません。

 

それ以外にもヨガなどの「チャクラ」など、

実体のない「場」は様々あると思います。

それらの「場」と、「場」を形成する要素について考察し、役立てるのが

「無用の用の医学」つまり「道の医学」の考え方です。


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ツボと「場」・その2:道の医学

2020年08月12日 | Weblog

以前、ブログの記事「ツボと中庸・その2」において、

同じツボであっても、下痢・便秘などの相反した症状に効くような例が数多くあるというツボの二面性について挙げ、

身体の状態を過不足のない「中庸」の状態に調えることがツボの役割であると紹介しました。

これもツボは「場」に働きかけ、調整するという作用によるものです。

下痢・便秘という場合であれば、

大腸における「無用の用」からなる「場」を調えることで、

下痢・便秘の状態から平常(中庸)に復す役割をするのがツボだということです。

ただし、下痢・便秘の原因には様々あり、

胃腸のコンディションが悪いこともあれば、

精神的な要因が深く関わっていることもあります。

ツボは胃腸や神経系統など、それぞれの要因に作用することで

大腸という「場」を平常(中庸)へと調えるのです。


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