田舎暮らし~南信州四季折々の記

南アルプスと中央アルプスをのぞむ田舎での四季折々のつれづれの記写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

イタリア旅日記 NO27 ヴェネツィア 街を歩く  

2018-04-27 07:18:31 | 旅行

 

  雲一つないヴェネツィアの街 日陰はまだしのぎやすいけれど日なたは暑い 

            

 サンマルコ広場から離れてぶらぶら街を歩きます

 建物の間を運河が通ってゴンドラが行きかい 典型的なヴェネツィアの風景が広がっています

 建物をつなぐ橋の上からは観光客がゴンドラをのぞき込んでいます

  下を船が通る都合上か 橋は太鼓橋の形をしています

       

 運河をめぐるゴンドラは 大まかな形はほぼ同じようですが飾りや内装は様々です

 楽団や歌手が乗り込んで演奏してくれるものもあります

                

             

 ヴェネツィアングラスのショップ内で製作の様子を見せるパフォーマンスをしているおじさん

 このおじさんはヴェネツィアを紹介する雑誌か何かで見たことがあるような・・・

 溶かしたガラスを伸ばしたりつまんだりして 飴細工のように動物の形を手ぎわよく作って見せてくれました

 ヴェネツィア共和国は貿易品として重要だったヴェネツィアングラスの製造技術が外部に流れることをおそれ

 1291年にすべての工房をムラーノ島へ移し 職人はもとよりその家族、販売者も移住させたと言います

 この政策には火災を防ぐ目的もあったようです

 アメとムチの法令によって技術は切磋琢磨されてシャンデリアやテーブルまで作られるようになったといいます

 現在もヴェネツィアングラスといえばムラーノ島です

 本島にもヴェネツィアングラスをあつかうお店はあるので購入できますが 

 きちんとしたところでないとコピー品などを買う羽目になってしまうようです

         

 ショップに入ってみると天井にはヴェネツィアングラスでできた豪華なシャンデリアが

         

 ショーケースの中にはいろんな形、色、サイズのグラスが置かれています

 左端の中段、下段あたりのスペースを拡大してみると ↓

         

 透き通ったきれいな色がよくわかります 小さなペアグラス一組で値段は5桁でした

 

         

 ヴェネツィアングラスとともに有名な工芸品にレースがあります ヴェネツィアンレースがそれです

 レースの工房兼ショップに行きます

              

 

 手作りの作品はとても繊細で美しいです が 値段はかなり高額になります

 お土産屋さんなどでお手頃な価格で売っているものは機械で作ったものが多いようです

         

       テーブルの上にディスプレイされた品々

       

 壁には比較的小さな品が展示されています

 この中の青い丸印の 幼子を抱いた女性(キリストを抱く聖母マリア?)のレースを買ったのですが 

 (拡大してみると ↓)

        

 縦が15㎝弱 横8㎝位の大きさのもので日本円で7000円くらいでした

 小さいながらも黒いバックに白いレースが存在感を示しています

 こういうところで買い物ついでにトイレを借ります お店のトイレはほとんどが無料で使わせてもらえます

       

       こんな倉庫のような空間の奥にレースのお店はあります

 

       

      お店には日本人の女性もいて日本語で会話できます 看板にも日本語の表示があります

 最近では中国からの観光客が多いので中国語の表記や看板、ガイドパンフレットがとても多い気がします

 

 

 

         

         

 

 

 

 


イタリア旅日記 NO26 ヴェネツィアの牢獄  

2018-04-24 14:25:43 | 旅行

 

 大評議会の部屋には世界最大の油絵といわれるティントレット作の(天国)という作品があります

 この部屋は1000人以上の収容が可能といわれる大きな部屋で柱はなく

 天井にも壁にもこうした絵画が描かれています      

        

 正面のこの(天国)という作品は縦7メートル、横22メートルという大きさ

 これを仕上げるのにはティントレット一人ではなく 彼の息子や多くの弟子たちが手伝ったといわれます

       

      三方の天井下には 歴代の元首が二人づつ描かれた肖像画が飾られています

 

               

 廊下の突き当りにあるこの窓はヴェネツィアングラスで出来ているそうです 少し離れたところから見ると

 まるでレースがかけられているように見えます

        

        近づいてみれば所どころに淡い色味が入っています

    

            

           窓の外にはヴェネツィアの風景が広がっています            

        

       大小の船が行き来して活気のあるヴェネツィアらしい風景です

    

       ここには尋問や裁判で刑が確定した者を収監する牢獄があります

       

 この石造りで鉄格子の見える建物が牢獄で 宮殿のすぐ横に作られています

 宮殿からここに行くには ↓ この橋を渡っていきます

 ため息橋と呼ばれている橋で白大理石でできているそうです

 罪人が牢獄へ入れられる際に 最後に目にするヴェネチアの風景を見てため息をついたということで

 ため息橋と呼ばれるようになったそうです

       

                    

         この橋の下には運河が通っていてアドリア海へとつながっています

            

            

 橋の中にある透かし彫りの小窓からのぞくとこんな風に外の様子が見えます 

 こうしてヴェネツィアの街を見て 何を思いながら牢獄へと向かったのでしょうか

            

 牢獄の中は見学者用に明かりがあるのですが薄暗くて 当時は昼間でもかなり暗かったのではないかと思われます

            

            通路は石畳になっています

            

 石造りのためか、何か冷たい感じが漂い 牢獄なので当たり前ですがとても閉鎖的な空間です 

 以前見学した昔の網走刑務所の方がもっと開放感があったような気がします

        

       頑丈な鉄格子がはめられています

             

        

 ここには丸い小さな穴があります これは食事を差し入れるための穴だそうです

 石の壁が分厚いものであることがよくわかります

       

      鉄格子にもいろんな作りの物があります

          

         頑丈な鍵が取り付けられています

          

        分厚い重たそうな扉です

          

          

          

 これは受刑者が牢獄の壁に描いた落書きだそうです なんて書いてあるのか読めないのが残念です

              

 この厳重な牢獄から唯一脱獄した人物がいます 

 プレイボーイとして名をはせ映画にもなったジャコモ・カサノヴァという人です

 彼は女優の母と俳優の父の間にヴェネツィアで生まれたといわれていますが 

 本当の父親は夫婦が所属していた劇場を所有している貴族グリマーニだったそうです

 そのおかげで彼は当時中流~上流家庭の子供しか望みえなかったパドヴァの大学で学び

 16歳で法学博士号をとったといいます

 彼が魔術や妖術に関心を持っていたことなどから宗教裁判所で有罪を言い渡され投獄されます

 鉛の監獄といわれた警戒厳重な牢に投獄されてから5年後に脱獄に成功しフランスのパリに逃亡します

 脱獄後サンマルコ広場のカフェフローリアンでコーヒーを一杯飲んでからフランスに向かったという逸話もあります

         

      

       

            

 

       

 

 

 

        

         

        

  

 


イタリア旅日記 NO25 ヴェネツィア  

2018-04-10 19:50:50 | 旅行

 

 武器を展示してある部屋があります 中世の武器や武具がたくさん展示されていて興味深い部屋です 

 

      

 全身を覆う金属製の鎧 重さは20キロ位~重たいものでは40キロもあったそうです 

 

 

      

      クロスボー 

引き金を持ち短い矢を発射するもので 狙いが定めやすく飛距離も通常の弓より伸びるそうです

 

     

 

             

                                    寸分のすきもなく体が覆われている

      

       

       馬用の兜も作られています 装飾の施された楯 両手で使えるように柄の部分が長い剣

 この剣はそばで見るとかなり大きなもので 長身で体力のある者でなければ使いこなせなかったと思います

 

            

            ロング・ソード(大刀) まっすぐな両刃の剣で 

 鉄が貴重だった当時は騎士だけが持つことのできるステイタスシンボルであったといいます

 刃渡りは80~90㎝位あり幅は3~5㎝位 斬ることのみならず突くことにも対応できたようです

 

         

         矢を入れる入れ物もきれいに装飾されています

 

 

          

        ハルバード( 斧槍 ) 

 複雑な形状をしていて 突く、斬る、たたく、引っ掛けるなど多用途に使える武器です

 長さは2~3・5メートル 重さは2・5キロ~3・5キロくらいあるそうです 

 突き刺すなど通常の使い方のみならず 騎馬戦士の首や手足、武器等に引っ掛けて引きずり落としたり 

 歩兵の足に引っ掛けたりと多用途に使える武器だったようです

 形はさまざまなものがあり 武器としてはもちろん、美術品としての価値もあるようです

 金属の鎧は斬る行為に対しては強度があったようですが 突く、叩く、打つ、というような行為に対しては

 若干弱い面があったようです

 

        

 兜の制作工程がよくわかる展示 頭部を守る金属の上に徐々に装飾が施されていくようすがわかります

 下層の者はシンプルな物で 位が高くなるほど派手で豪華な装飾が付けられていたようです

   

       

 楯の先端がとがっていて攻撃の武器にもなるように作られています

 

      

 刃先が厚いこの槍(真ん中の4本)は儀礼用として使われるものもあり、そうしたものは装飾が施されていて

 刃もこぼしてあり軽く作られているそうです

  

      

 

      

      火薬が持ち込まれるようになるとこうした武器も登場

 

        

 

               

             大砲 このころの物はさほど威力はなかったそうです

 

 

       

 

 

   


イタリア旅日記 NO24 ヴェネツィア  

2018-04-08 09:38:28 | 旅行

 

 かつてヴェネツィア共和国の政庁と総督の邸宅だったドゥカーレ宮殿に向かいます

 今は美術館として開放されています サンマルコ広場に面しサンマルコ寺院とは隣接した場所にあります

      

      これは中庭にある青銅製の井戸です

 海洋都市だったヴェネツィアでは雨水を地中にしみこませて自然にろ過し、井戸からくみ上げるようにしていたようで

 市内の各所にこうした井戸があったそうです

      

      細かい彫刻が施されています これは1500年ころのものだとか

 

      

 これは怖いおじさんの顔のように見えるのですが(ライオンの口)とか(真実の口)とか言われる物です

 密告の手紙を投函するためのポストのようなもので言わばヴェネツィア版の目安箱

 市内にはこういったものが何か所かに設置されていたようです

 これらの密告書は治安維持や汚職防止機関である十人評議会に届けられるようになっていたようです

             

  天井などが金で装飾された(黄金階段)と呼ばれる階段を上って行きます

 

       

 漆喰の上に24金の金箔が貼られ輝いています ヴェネツィアの芸術家を総動員して造られたといわれます 

 漆喰はヴェネツィアのような湿気の多い場所には向かないため市内にはわずかしかないそうです

 この黄金階段は政権の高官や貴族専用のものでそれ以外に上がることができたのは

 外国からの賓客のみだったようです

 ふんだんに金を使った装飾は総督の権力を見せつけ、ヴェネツィアの繁栄を誇示するのに充分役立ったのでは・・・

      

 階段を上ってすぐの四角の広間(各部屋に行くための控室のようなところ)の天井にある 

 ティントレット作 ジローラモ・プリウリ総督の肖像画 公正と平和の寓話を示唆しているといわれます

 金の装飾に囲まれたこうした絵が天井いっぱいにあります

 

       

 四つの扉の間(重要な部屋に入るための正式な控室)にある ティツィアーノ作 祈りをささげるグリマーニ総督

 十字架を持つ女性の前でひざまずき忠誠を誓っている総督が描かれています 

 この女性は聖人ではなくヴェネツィアを象徴的に擬人化したものだそうです

          

          内部は芸術作品に溢れています

      

      謁見の間にある(レパントの海戦の勝利を感謝するヴェニエル総督)

 レパントの海戦は スペイン、教皇、ヴェネツィアの連合軍がギリシャのレパントで

 オスマン軍とたたかった海戦で連合軍が大勝します(マルタ騎士団なども連合軍に参加していたようです)

 戦闘開始からわずか数時間で決着がついたそうです

 当時キプロス島をオスマン帝国に占領されたのを機に地中海の覇権を争った戦いで

 ガレー船(櫂でこいで進む舟)が主力だったようです ガレー船が主力となる戦いはこれが最後といわれます

 この戦いには(ドン・キホーテ)の作者セルバンテスも従軍しています

 彼は数発の銃弾を受け左手の自由を失ったとも切断したともいわれています

       

       

       

       元老院の間 議会が開かれた場所

       

 この部屋に飾られている絵画には背景にさりげなくヴェネツィアの風景が描きこまれています

 この絵の背景はサンマルコ広場からサンマルコ寺院です

       

       

       十人委員会の間 総督と強い権限を持った限られた議員によって重要事項を評議した場所

 ヴェネツィア共和国は権力の集中を避けるため総督も議員も選挙で選ばれています 

 独裁は堅く戒められ総督の世襲は認められていません 自由、平等、公平を第一にして千年にわたり共和制を守りました

 ヴェネツィアは歴史上最も長く続いた共和制だといわれます

 歴代総督の中でただ一人 体制転覆、独裁、世襲君主になるようクーデターをおこした人物がいます

 マリーノ・ファリエロ55代総督でこのクーデターは失敗に終わります

 マリーノは処刑されたのち四肢を切り刻まれたといわれます

 その他に十人の協力者が処刑され宮殿の外につるされたそうです

 マリーノは記録抹殺刑にも処され、彼に関するものはすべて処分されてしまいます

 宮殿のなかに代々(初代から76代)の総督の肖像画を飾っている場所があるのですが

 一か所だけ黒い幕の中に(マリーノという者が罪を犯したため処刑された)とだけ書かれた箇所があります

 

       

       

       歴史を感じさせる肘掛付きの長いす

       

       窓からは老舗ホテルの屋上テラスが見えます そのむこうは海