バッカス カラヴァッジョ作
本名 ミケランジェロ・メリージュ・(ダ・ カラヴァッジョ)
1571年ミラノで生まれ 幼少時にはペストで荒廃したするミラノを離れ
一家で近郊のカラヴァッジョ村(親の出身地といわれる)に移っています
バロック絵画を代表する画家で写実的、現実的、劇的な光と影の使い方が特徴で
レンブラント フェルメール ベラスケス ルーベンスなどの画家に
影響を与えているといわれます
ミラノの画家に弟子入りしたものの役人を負傷させる事件を起こしローマに逃亡します
彼は素行が悪く 喧嘩や賭博、傷害事件や器物損壊等数々の問題を起こしています
極め付きは35歳の時 球技場で賭けをめぐり争いとなり一人の男を刺し殺してしまいます
(ラケットを使う球技で勝敗にお金が掛けられていたといいます)
この事件で死刑宣告を受けます しばらくの間はローマやその近郊に潜伏していたようですが
ローマの司法権が及ばないナポリへと逃げます
その後マルタ騎士団の統治するマルタに行き騎士となりますがまた事件を起こし投獄されます
ここを脱獄してシチリア島に逃れますが騎士団の追手に追われナポリに戻ります
その後ローマの有力者などの働きかけにより恩赦が出され
恩赦を受けるためローマに向かう途中に熱病に罹り死去 38歳の生涯でした
この部分だけ見れば女性といわれてもおかしくない気がしますが男性の神様です
言わずと知れたお酒の神様 正確にはワインの神様の様です
ワイングラスひとつとってもそのガラスの質感などまるで写真のように写実的
ウフィツィ美術館から見たヴァザーリの回廊
メディチ家のコジモ一世がヴァザーリに依頼して造らせたもので
政務の場所であるヴェッキオ宮殿やウフィツィと
居住していたアルノ川対岸のピッティ宮殿を結ぶ
およそ1キロに及ぶ回廊です 町を歩く危険を(暗殺など恐れて)避けるため
作らせたといわれます メディチ家の人たちは一歩も外に出ることなく
行き来できるようになっていました
右端のウフィツィ美術館を出るとすぐ川に沿って進みしばらく行ったところで
アルノ川にかかるベッキオ橋を通り対岸へと通じています
下(一階)の部分はアーケードになっていて自由に通れます
橋の両側には貴金属などのお店が軒を連ねています
ヴェッキオ橋 (ポンテ・ヴェッキオ=古い橋)フィレンツェ最古の橋
第二次世界大の時 連合軍の進軍を防ぐためアルノ川にかかる橋は
ドイツ軍によって爆破されたけれどもこの橋だけは歴史的価値を尊重され爆破されずに残りました
この橋の歴史は古く 古代ローマの時代に川幅が最も狭いこの場所に橋がかけられたのが始まりで
洪水によって二度流され現在の橋は1345年に再建されました
再建された当時は市内の食肉業者が集められたといいます
解体で生じた汚物などを川に流していたそうですが あまりに悪臭がひどくて
フェルディナンド1世のときに食肉業者を撤去して 金銀細工や宝飾の業者を集めたといわれます
貴金属などを扱うお店が軒を連ねています
どのお店もきらびやか
お店によってそれぞれ個性があります
ここは時計を扱うお店
歴史を感じさせる古い建物
橋の中ほどにある彫刻家チェッリーニの胸像
シニョーリア広場にあるペルセウスの像を作った人です
元は金細工師で 金細工師の父としてここに建てられたそうです
橋の中ほどにはお店が途切れて川が見渡せる場所があります
橋のまん中から見たヴァザーリの回廊
橋の真ん中から見た対岸方面
緩やかな流れのアルノ川