私の自転車にはGPSが密かに付けられている可能性が高いです。つまり、どこに自転車で行っても追跡されるので、それが嫌ならGPSを外すしかありません。普通、すぐ見つかるところには付けませんから、本体フレームの内側、ハンドルの内側、前輪や後輪のフォークの内側など、自転車の骨格のアルミ(スポーツ自転車は材質がアルミ)の筒の内側に付けることが多いです。しかしそこは予想されるだろうと思われてか、自転車に付いたパーツに埋め込んである可能性も高いです。外から削って内部を確かめるしかありません。地味な作業になりますが、自転車に付いているパーツは限りがありますから、辛抱強くやればそのうち終わります。
私はブクブク太っていて腹がかなり出ています。誰から見ても「醜い」としか言いようがないです。この事実についてかなり私への批判が集まっているようです。この批判は素直に認めざるを得ません。人は見た目が重要ですからね。私は若い頃、「見た目や体型だけ良くて中身が全くない」と批判されてボコボコにされ、散々嫌がらせされて精神的に参ってしまい、一度だけ精神病院に入院しました。退院してからはほとんど改善して、薬だけは飲んで経過観察状態でした。50歳くらいからその薬を限度ギリギリまで減らして生きる活力を取り戻し、50台半ばからは完全に薬を止め、完全復活しました。「見た目や体型だけ良くて中身が全くない」と批判されてボコボコにされて以来、見た目や体型など気にしなくなりました。完全復活してからはさらに拍車が掛かり、「見た目や体型などどうでもいい。人間にとって重要なのは中身だ」と思って好きに生きてきましたが、今現在、見た目や体型が酷くて醜いことをこれだけ批判されると、さすがに改めざるを得ません。まあ醜い体型を改竄してまともな健康体の体型にすることは難易度からすれば難しくないほうです。食生活を改めて生活習慣を改めればいいからです。どんなに努力しても出来ないことだって世の中にはありますからね。今日からやろうと思います。しかしですね、「見た目や体型だけ良くて中身が全くない」と批判されボコボコにされ、「中身があっても見た目や体型が酷く醜い」と批判されボコボコにされるのですから、人間は、「見た目や体型が良くてしかも中身がなければならない」ということです。これに当てはまらない人は皆んなボコボコにされる、ということになります。「見た目や体型が良くてしかも中身がある人」って、世の中にどれほどいるのでしょうか?どれだけいるかに関わらず、これに当てはまらない人は皆んなボコボコにされるのですから、日本はなかなか生きづらく他人に厳しい国だということです。
私は今、自宅に居てスマホでネットサーフィンしています。敵は周りから私のスマホに不正アクセスしています。YouTubeを観ていたら、「氷川きよし」さんの「ありがとうの歌」という曲があったので聴きました。メロディーが良く、素晴らしい模範的で普遍的な歌詞です。ピンと来て、素早く歌詞サイトで「ありがとうの歌」を検索したら、何と彼女のオリジナル歌詞らしい歌詞が出てきました。私が素早く検索したので敵は対応が遅れて、彼女のオリジナル歌詞が出てしまった、という結果になり、私はその歌詞を素早く自分の手帳に書き留めました。画面のスクリーンショットやダウンロードはダメです。後から私のスマホに不正アクセスされて改竄歌詞のものにすり替えられてしまうので、手書きが一番です。手帳に書き留めたあと、改めてYouTubeを観たら、彼女のオリジナル歌詞の「ありがとうの歌」が出てきました。歌詞改竄曲にされる前に阻止できて良かったです!こんな調子ですから、彼女の創作曲の歌詞はバンバン改竄されてしまっている、と思います。
先日、「歌は、わたしの人生」という曲についてブログに書きました。その後、その曲について分析したことについて書きます。この曲、メロディーがいい。歌詞もいい。その歌詞を下記に記載します。
「歌は、わたしの人生」
生まれたときから わたしには
いつも歌があったわ
今日までわたしを強く
ささえてくれた歌が……
時にはこの世の北風に
凍えながらそれでも
くじけず歌ってきたわ
心がのぞむままに
歌は、わたしの人生
わたしの生きる道
この命つづくかぎり
わたしは歌いつづける
泥んこ道でも かまわない
そこに歌があるなら
涙にまけずに歌う
明日に愛をこめて……
歌はわたしの祈り
魂の熱い叫び
ひたすらに歌の道を
わたしは歩きつづける
歌は、わたしの人生
わたしの生きる道
この命つづくかぎり
わたしは歌いつづける
いつも歌があったわ
今日までわたしを強く
ささえてくれた歌が……
時にはこの世の北風に
凍えながらそれでも
くじけず歌ってきたわ
心がのぞむままに
歌は、わたしの人生
わたしの生きる道
この命つづくかぎり
わたしは歌いつづける
泥んこ道でも かまわない
そこに歌があるなら
涙にまけずに歌う
明日に愛をこめて……
歌はわたしの祈り
魂の熱い叫び
ひたすらに歌の道を
わたしは歩きつづける
歌は、わたしの人生
わたしの生きる道
この命つづくかぎり
わたしは歌いつづける
この歌詞、確かに素晴らしいですが、「歌は人生」という曲名の歌詞として、あまりにも模範的で汎用的で普遍的です。どこからも文句が出ないような歌詞です。彼女の歌詞ならもっと個性的な歌詞になると思います。「天童よしみ」さんの方の「歌は、わたしの人生」という曲名は、正確に言うと、「歌は、わたしの人生〈remix〉」です。つまり、「エドアルド」さんの「歌は、わたしの人生」という曲とはちょっと違う曲、つまり、曲調が違う曲、ということです。曲調を変えるのは許されますが、歌詞を変えるのは許されないはずです。しかし、〈remix〉を曲名の最後に付け足して「歌は、わたしの人生〈remix〉」という違う曲名にしたのだから、違う曲、ということになり、歌詞を変えてもいいはずだ、という論理構成にした可能性がある、ということです。つまり、上記の歌詞は「改竄された歌詞」であり、「エドアルド」さんの「歌は、わたしの人生」の初期歌詞とは違う可能性があります。「改竄された歌詞」での「歌は、わたしの人生〈remix〉」を発表(発売)後に、「エドアルド」さんの同曲の初期歌詞(彼女のオリジナル歌詞)を「改竄された歌詞」に変更します。そうすれば彼女のオリジナル歌詞を消し去ることが出来ます。「歌は、わたしの人生」の初期歌詞(彼女のオリジナル歌詞)の作詞者が「たきのえいじ」さんで作曲者が「馬飼野俊一」さんで、同曲の改竄歌詞の作詞者が「たかたかし」さんで作曲者が「あらい玉英」さんだとすれば、同じ曲(同じ歌詞で同じメロディー)なのに作詞者が2人いて作曲者も2人いる事実の説明が付きます。彼女のオリジナル歌詞を消し去るために巧妙に仕組んだのだが痕跡が残ってしまった、という結果です。以上はあくまでも私の推測であり、真実は分かりません。もし私の推測が正しければ、この曲の初期歌詞CDを持っている人は世の中にたくさんいるはずですから、本気で探し出そうとすればゲットすることも可能です。