晴嵐改の生存確認ブログ

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

いじめるな!

2008年05月02日 | 読書
いじめるな!/香山リカ×辛淑玉
いじめるな!―弱い者いじめ社会ニッポン (角川oneテーマ21 A 80)

読み終えて、これはなるべく多くの人に読んでもらいたい、と思いました。
もっとも、私は本を読み終えた後でこの手の感想を持つことが多いのですが……。もっと多くの人に共有されていれば、世の中が変わるかもしれない。そういうことは山のようにありますけど、一向に広まっていかないですよね。

まぁ、それはそれとして、この本を読みながら、色んなことを考えさせられました。
自分自身の弱さも痛感しましたし、過去の体験と照らし合わせて「やっぱり昔の上司がやってたアレはパワハラだったんだな」と思ったりもしました。

大人になったらいじめはなくなるのかな…と思っていた時期もありましたが、そうではないんですよね。手法が複雑高度化して洗練された結果、外から見えにくくなっているだけで、やっぱりあるんですよね、いじめが。本当に、うんざりです。

どうして、いじめが無くならないのか。
理由を考えていくと、やっぱりストレスだと思うんですよね。ひずみ、きしみ、という表現がしっくり来るのかなと思うんですが。特にバブルが弾けてからの日本社会は、あまりにもストレスが強すぎるように感じています。
蓄積されたストレスは何らかの形で発散されなければなりません。それが、相対的に弱い立場の人に向かうとき、それはいじめという表現形を取るのではないかと思います。

だから、いじめは仕方ないというのではないです。
少し前のテレビ番組で、職場いじめによって生産性が低下するという話をやっていましたが、安易にいじめに流れてしまうことで、私たちが失っているものは少なくない筈です。
どうにかして、いじめをなくしていかないとダメだと思います。

そうは言っても、日本は子供の頃から何かと同調圧力の強い社会構造ですから、いじめが生み出されやすいし、固定化されやすいというのはあるかもしれません。
いわゆるKY(空気読めない or 空気読め)という言葉がありますけど、こういう言葉が当たり前に使われる環境こそが、まさにいじめを生み出していくんだと思うんですよね。

例えば、クラス内の「空気が読めない」といじめの対象になるとか、冷静に考えたら無茶苦茶ですよ。その人が何か悪いことをしたわけではないんですから、全く不当な暴力でしかない。けれど、それが公然と受け容れられてしまう。
皆が空気読んでいるのに、一人だけ何を勝手なことしてるんだ……となって、空気を読めなかった、あるいは読まなかった人間を排除する正当性が生まれる。恐ろしいことだと思います。

どうせいじめなんて無くならない――などと変に開き直らないで、いじめを生み出す社会構造と向き合って、この抜き差しならない状況を変えていかないといけない。そうでないと、私たちは更に多くのものを失うような気がします。


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