法然上人がお亡くなりになられた日を期して行われる上人の遺徳を偲ぶ忌日法要。
知恩院で一番大きなかつ重要な法要です。
法然上人がお亡くなりになられた後、その忌日に上人の門弟たちが修した「知恩講」に由来します。
もともと「御忌」という言葉は天皇や皇后の忌日法要を指していましたが、大永4年(1524年)当時の天皇である後柏原天皇より「知恩院にて法然上人の御忌を勤めよ」という「大永の御忌鳳詔」が出されました。
これより法然上人の忌日法要を「御忌」と呼ぶようになりました。
18日午後から25日午前中までの8日間、日中・逮夜の各法要が勤められます。
御忌法要の中心である導師は通常、坪井御門跡猊下がお勤めになられますが、全国の浄土宗寺院から選ばれた僧侶がお勤めになることがあります。
特に日中法要は二導師形式で行われ、坪井御門跡猊下が導師として御出座の下、唱導師が「御諷誦」という節のついた上人を讃える文章を読み上げます。
この御忌の期間中、法要以外に国宝三門楼上内にて夜通し行われる「ミッドナイト念仏 in 御忌」や「吉水講詠唱奉納大会」など様々な行事・催しが行われます。
由来と歴史
法然上人は、平安の末、長承2年(1133)4月7日、美作国(現在の岡山県)久米南条稲岡庄、押領使・漆間時国の長子として生れました。
幼名を勢至丸といいました。勢至丸が9歳のとき、時国の館が夜襲され、不意討ちに倒れた時国は、枕辺で勢至丸に遺言を残します。
「恨みをはらすのに恨みをもってするならば、人の世に恨みのなくなるときはない。
恨みを超えた広い心を持って、すべての人が救われる仏の道を求めよ」という遺言でした。
法然上人を祖師と仰ぐ浄土宗の総本山として、知恩院の地位が確立したのは、室町時代の後期とされており、また、知恩院の建物が拡充したのは、徳川時代になってからのことです。
徳川家は古くから浄土宗に帰依しており、家康は生母伝通院が亡くなると知恩院で弔い、また亡母菩提のため寺域を拡張し、ほぼ現在の境内地にまで広げたのです。
その後も火災に見舞われるなど、伽藍にいくたびかの盛衰はありましたが、多くの人々の支援によって乗り越え、こうして800年以上、念仏の教えはここに生き続けてきました。
■場 所: 知恩院
■期 間: 4/18~/25(※毎年同じ日程です)
■時 間: 「ミッドナイト念仏in 御忌」:4/18 20時~翌朝7時
■料 金: 無料(申込不要。毎年同じ日程です)
■アクセス: 市バス206「知恩院前」 ■お問合せ: 075-531-2111
■詳細ページ:http://www.chion-in.or.jp/index.php
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