まずは清水さん行こう !
おみやげ屋さんを散策しながら散策も素敵ですよ。
時は平安の世、嵯峨天皇を乗せた牛車は地主神社へと向かっていた。
天皇が皇居からお出ましになることは国の一大事であり、もちろん多くのお伴を従えての「行幸」である。
では、なぜ、嵯峨天皇は地主神社への行幸を決意されたのであろうか。
薬子の変。
それは、平安京を揺るがした最初の危機であり、嵯峨天皇を苦悩させた骨肉の争いであった。
病のために皇位を退いた実の兄を、薬子らが復位させようと企て、平城京への遷都を謀ったのである。
花を愛で、詩歌をよくする嵯峨天皇にとって、肉親が謀反にかかわったということは、ことのほかお辛いことであっただろう。
幸いにして、歴史は嵯峨天皇に味方し、その謀反は失敗に終わった。
嵯峨天皇がいかなる対処を施したゆえに、平安京を守ることができたのか、史実はそれを伝えてはいない。
しかし、地主神社には、ひそかに語り伝えられている物語がある。
坂上田村麻呂との出会いである。
このめぐりあいによって、平安京は都の姿をとどめ、様々な王朝文化を育んだのだ、と。
いにしえの都人は、桜の木には神が宿ると信じた。
今なお地主神社には、桜の古木がご神体として祀られているほどである。
その蕾がほころぶことは、大いなるご利益の現れであった。
おそらく嵯峨天皇は、桜の樹の下で田村麻呂とのご縁を感謝し、ただ深く祈ったのであろう。
地主の桜よ。
地主権現よ。
どうか、この都が永久に平安でありますように。
田村麻呂との縁を授けてくれたように、この都にも素晴らしいご縁が多く訪れますように…」
地 主 桜
一本の木に八重と一重の花が同時に咲く珍しい品種。
嵯峨天皇行幸の折、地主の桜のあまりの美しさに、三度、御車をお返しになった故事より、別名「御車返しの桜」とも呼ばれる。
京に都があった頃は、『白川女の花使い』によって、毎年禁裏御所にもこの桜が届けられた。
現在の地主桜は、円山公園のしだれ桜等の桜守として知られる、佐野藤右衛門(考証:井上諍蔵)によって献木された。
さくら祭りの頃、背後の黄桜(ウコンの桜)と共に満開となり、その気品と風格のある美しさで境内は華やぐ。
アクセス
JR「京都駅」から100・206系統の市バス「五条坂」~徒歩10分、または奈良線「東福寺駅」から京阪「清水五条駅」~徒歩25分
■料 金: 清水寺の入山料:300円
■期 間: 2019年4/14(日)
開門時間 9:00~17:00
お休み 無休
住所 京都府京都市東山区清水1丁目317
お問い合わせ先 地主神社
Tel:075-541-2097
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