“酔っぱらって、つい、許しちゃうのよね”
その言を聞いたとき、二つのsituationが頭によぎった。ぼくとの、あの日のことを言っている、のか。それとも、今までのご自身の傾向について、言及しているのか。しばし逡巡したのち、思い切ってぼくは彼女に尋ねた。“それって、ぼくとのことですか、一般論として、ですか”
この時とっさに彼女は、ぼくを傷付けてはいけないと、“一般論として”と答えたと、後から伺った。ぼくはその時、彼女の回答を、“これまでも、よくあったんだ”と、捉えてしまった。
真面目で情深く、優しく正直で、嘘がキライな彼女の言とは思えなかった。事実、このことはぼくの思い込みと、communication不足からくる勝手な誤解で、彼女のことを深く知るにつけ、その印象と、誤解との解離の狭間でぼくは、いわば勝手に苦しみ、心配した。
人を思い通りすることが出来るなんて、大きな思い上がりであり、不遜な考えだ。嫉妬も心配も、全ては己の欲の大きさの表出であり、己の欲が成せる技そのものだ。だからぼくは、普段自制したが、ついつい生来の心配性を彼女にぶつけ、彼女を傷付けた。
“なぜ、そんなことを言うの?”“わたしは、そんな女では、ありません”
では、あの言は?
一度、酔う前に、膝を詰めて自分の心配を彼女に吐露し、それは、彼女からの優しさ故の誤解であることを理解し、己を恥じ、自分の非礼を彼女に詫びた。彼女は、自分のコトバが足りなかったこと、そして“コトバは難しいですね”と、漸く微笑んだ。
事実彼女はお酒~特に日本酒が好きで、したたか酔うと記憶を無くすことがある。そんな時ぼくは、公衆の面前で、人知れずかなり過激なおいたをし、彼女は苦しそうに、ぼくの求めに応じたりした。だが、あとで聞くと、“え~”と彼女は驚いたものだった。しかし、酩酊状態でも相手によって態度を変え、何より、彼女のタワマンの、何重ものセキュリティを無意識にクリアする様は、圧巻であった。
長くなりました、続きます。