行ったり来たり

海の見える神戸と、山と田んぼの岡山を行ったり来たり

雪の日に

2019-01-28 | 日記
鹿やタヌキの足跡の無い
まだだぁれも踏んでいない
前夜から降り積もった雪の上を
長靴の足跡つけながら
畑の入口に向かいました

レトルトのカレーライス
そのままでは・・・面白くないので
小さなじゃがいもや、里芋、玉ねぎ、カボチャ
そして雪の下のニンジンなど柔らかく煮て
ペースト状にしてプラスです

畑の入口には
小学校で使うような小さな椅子があります
相方さん作のモノです
その上に20センチくらいは積もってるような・・

真っ白な雪を掻き分けかき分け
下に有ろうニンジンを・・・手さぐりで・・・
それは小さなちいさなニンジン数本を持ち帰り
ストーブの上に・・・
野菜の煮える美味しそうな匂いが・・・部屋中に・・


日持ちするから、非常食にでもと
娘が置いて帰ってくれた、きしめん
そのお鍋の残りをスープ代わりに
2食のきしめんで
前夜の鍋、明くる日のお昼、そして夜と・・・
まぁ・・・年寄りの食べる量なんて・・・こんなものです


このお正月明けに
我々がダウンしたと知ったら
自分達一家も散々な目に遭っていたというのに
非常事態用食料と銘打って・・・
小さなレトルトの食材を送ってくれたのもありがたいことでした
感謝・感謝です


先日見た
孤独のグルメという番組で
すき焼きが美味しそうでした
スペアリブとフレッシュローリエで作ったポトフも
まだいくらか残ってはいるのですが・・・


朝から冷凍庫を探して
薄切り肉を見つけたので・・・
これはもう、すき焼きです

コンニャクは最後の芋で作ってあります
粕汁用に作ったのですが・・・あの芋を冷凍するのは
どうも…すぐに忘れて・・丸々1個分
力が入り過ぎたのか・・・少し柔らかめのができています
作り溜めた味噌に味醂を足したタレで
刺身こんにゃくとして食べるのには丁度の柔らかさです


今日は
テレビの豚肉すき焼きではなく
牛肉のすき焼き(関西ではこれが普通と思うのですが・・)
コンニャクは手切で糸風に切ったモノ
そして圧巻は
ずっと以前にお嫁ちゃんから貰った
お祝い用のお麩
めでたい松竹梅風の模様のある
きっと、お食い初め用に買い求めたものみたいです

今日はその鮮やかな
おめでたい綺麗なお麩が入った鍋で
地味―――ナ食卓を鮮やかにして戴きましょう♪


わたしは
またもや・・・足跡の付いていない雪の上を
わずかな菊菜を求めて
転ばないように気をつけて
下の段まで下りて行きました
幸い
どこの畝に菊菜が残っていたのか
覚えていたので・・・
雪を掻き分けて数本ムンズと持ち帰りました

ひとりが1食に食べる分など
ホントに知れています
こうして食べる分だけ
食べる時に採ってきて、食卓に上げられるのが
田舎暮らしをしていて、最高だなぁと思う瞬間です


絵心があれば
あの雪が積もったばかりの
はたまた
雪が降りしきるさまを
ササット描き止められたら
どんなに素敵だろう
せっかくの田舎暮らしなのに
こんなに絵になる風景なのに・・・
ハッと心うたれるのも・・・
ここならではのこと・・・と思える時です
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3度目の

2019-01-18 | 日記
珍しく
神戸に1週間も滞在しました

ふたりともが
体調不良の状態での移動だったので
メガネが出来上がるのを
ゆっくり待ってから・・・
と・・常より長く、ゆっくり無理せず
不要な外出は控え
必要最低限の食材は
最寄りのスーパーで調達し

引き落とし額と通帳の残高の差にギョッとし
慌てて郵便局に走りと・・・
それはそれなりに・・・大へんではありましたが・・


地震の日から24年
今年もやってきました
もう
地震が起こったことすら
知らない人が増えているとか
テレビで言っていました

あれから24年
懸命に生きてきただけで
幸せなことに
子供達は伴侶に巡り合い
子を授かり親となり
それぞれ独立して生活しています


わたし達の周りでは
ご主人が亡くなり
そして友人である本人も亡くなっていっています


ちょうど
神戸に移動した時
その友人の遺品整理の場面に出くわしました


少し年上の彼女は
モノを大切にし
家もきちんと片づけて
お料理の得意な、社交的な人でした



その人の大事にしていたモノたちが
次々と壊され運び出されていっていました
期限を決めて、全てを処分するということで
買い手が付いたということでした


あとに残った者にとっては
大へんなことでしょう
ましてや
男の子なら、母親のモノなどは・・・

相方さんとて
母親のモノを片っ端からベランダへ出して
捨てる気満々でした・・・シンガーの足踏みミシン
まだまだ使えるスカーフなど・・・

貧乏性のわたしは・・・
勿体ない・モッタイナイと言いつつ拾らってたような・・

箪笥の中のモノは
お義姉さんに確認してもらって、相談しながら
ひとつづつ片づけたように思います

それでも
家の中には
まだまだ手つかずのトコロが沢山あります


その遺品整理の
エレベーターやトラックに載せるため
バリバリ壊しているような
切り刻んでいるような音を聞きながら

わたしは
お尻に火が点いたように
鏡台の前やテレビ台の中、本棚のトコロと
目に付く所から・・・・片付けを始めました
とてもじっとしてはおられませんでした・・・


相方さんは
ものすごくきちんと
ゴミの分別をし、種類別に捨てていってくれました
あとは
手持無沙汰に
テレビの方を向いて
一日を過ごしていたように思います


ここ数日で
義兄、友人のお姑さん、義妹のお父さん
・・・3人の訃報を聞きました
それぞれ家族の思いもあってか
将来を見据えてか・・・葬儀のあり方
お墓に対しての考え方も
変わってきているのか、いろいろなようです
持たない、作らない、永代供養・・・・

そろそろ
わたし達自身の有りようも・・・考えとかないと
というと・・・
相方さん
そんなの、残った人の好きなようにしたらええ・・・
だって・・
ま、それもそうですが・・・
なにしろ先立つモノも発生することなので・・
また頃合いを見て・・・話してみましょう



こっちに帰って来て
あら!1週間も居たのね(神戸に)
柱の日めくりをめくりながら
思わず発したものです

シ―ンと冷えわたる部屋の中で
温かいお茶を飲みながら
冬は寒いだけの
ここもまたヘンに落ち着くから不思議だな、と
年月の経過を感じたものでした
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母のこと

2019-01-16 | 日記
母には
義兄のことは・・・しばらく伏せてありました
顔を見て直に話そうと思ったので

式後直ぐに伝えた弟達にも
言って何をして貰おうでもなく
ただ事実の事後伝達をしただけです


今回の移動では
ふたりともが体調低下の為
いつものように家へ帰るまでに
母の元へ立ち寄れませんでした

それで次の日の
用を済ませた後に廻って貰いました

頃合いを見て
義兄の死を伝えると

えー人やったのになぁ、まだ若いのに
もう一度会いたかったなぁ
あんた(わたし)を嫁がせてくれた人でしょ
って・・・・結構!しっかり覚えていてくれてて!
感動したものです


そう
義兄は、ほんとにえー人で
飄々としていて
頭がすこぶる良くて
それでいて、偉ぶらず
気さくな人でした

よっ!ちゃーさん(わたし)ぜんさんおるか?
ぜんさんとは当時の上司の名前です
彼も若いのに頭がキレて
庁内でも有名な出世頭の一人でした

義兄はアマ棋士で
時には
トップの女流棋士を連れて来たりしていました


相方さんを紹介して貰った時のこと
食事の後か、最初からそこだったか忘れたのですが
北野クラブという
神戸ではちょっと有名なクラブで
美空ひばりの歌を
空で何曲も歌ってくれました


記念に
1年に1度はここに来ようね
なぁ~んて言ってたのに
今だに実現はしていません
まだ有るのだろうか・・・


人を惹きつける
魅力のある義兄の紹介する人だから
相方さんと一緒になったのかもしれません・・



母は
結婚なんて到底無理ソなわたしに
相手を見っけてくれたから?
えー人って言った?
いいえっ!そこんところは
そういう意味も少しはあったかもしれませんが
人間まるまる裏表のない
本音で生きてる人だから・・・・と思います
母をも惹きつける魅力的な人
義兄は話術も豊富で
人を楽しませるのが上手でした


わたしを可愛がってくれた人
またひとり失ってしまいました・・・

義兄に関しては
母と意見は一致みたいです


そんなある時は
しっかりしている母ですが

何度も同じことを聞いてきたり
トンチンカンナことを言ったり
その時々で違います
自身の兄弟姉妹のことも
聞く度に人数が違って来たり
名前が・・・・不確かだったりです
そういうわたしも・・・・一度聞いても
昔の人数の多さ・・・覚えきれません


大正生まれの母・・たしか今年のお誕生日で94歳
若い時は運動神経も素晴らしく良く
マラソンなども一等賞・・・
ウソカホントカ
昔は米俵を背負って、峠を越えたと言います

下着も自分で作る授業を受けていたようで
母は、布団の打ち直しも自分でし
和服の洗い張りもしていました
昔の人は・・・みんなそうだったんでしょうか・・・

師範学校を出て、教師をしていた母
きっちりしていたんだろうな・・・
結婚して、苦労して
内職もしセールスまでもしながら子育てをし
お金を蓄え、父と家を建てた人です

浪費家のわたしには・・・とても真似ができません


あれで
家に籠ってさえいなければ
もっとしっかりしてたかも

一緒に岡山に来てくれたなら
畑や花やできたかも
好きな土いじりも励みになるかも
でも・・・晴れの国をうたい文句にしているのに・・
めっちゃ寒いもんね・・
母は夏より冬の方がいいとは言っていますが
あそこの冬は・・年齢的にキツイかも・・


母には
母の思惑があるんだろうけど
あんな過ごし方を
人生の最後にさせたくはなかったなぁ
って、まだ生きているんですが・・・・

わたしが習ったことは
人生最後まで人間らしく生きる
周りの者は、そのように扱う、接するだった

母を訪ねる度
母のほとんど1日を過ごすベッドを見る度
ほんとにこれでいいのかなぁ・・・・と思ってしまうのです


軽いのはスルッと滑り落ちる
重いのでいい・・・・母は重い毛布を
3枚も4枚も重ねて上布団にしていました


軽いのは(羽毛布団)さっさと2階へ持っていってしまった
言いようもあるものです・・・
なにしろ
一緒に住んでいないので・・・
母の言うことか、弟達の言うことか・・・
もう
わたしは、どっちの味方もしないことにしました

わたしはわたしのできることだけする
母の気持ちを尊重して
自分達の生活を第一に
身の丈に合った手助けをする
もし
助けをわたしに言ってきたら・・・何はさておき
一番に手伝う・・・そうできるためにも
自己管理をしっかりしておかなくては・・・・なぁ~んにもできない

母に食事や身の回りのことをしてあげられないのは
バチが当たってるんだと思っている
お義母さんを最後までちゃんと見てあげられなかったから・・・

へんなわたしのコダワリデス

今となっては
孫がどんなおむつをしているか知りません
母がどんな下着を身に付けているかも
全く知りません・・・・
きっと
自分も同じ道を辿ることになるでしょう・・・
してきたことは、自身に返るといいますから・・・
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ナニガオコルカわからない

2019-01-11 | 日記
年が明けました

いつの間にか・・・

大晦日の家事の合間に
漏れ聞いていた紅白歌合戦ですが
昨年はついぞ聞こえてこなかったような・・
今では知らない歌ばかりだろうけど・・


娘からの連絡を今かいまかと待っていると
1本の電話が鳴りました
義兄の訃報の知らせでした


義兄は
わたしが勤めていた時
上司の許へよく来ていて
わたし達夫婦を引き合わせてくれた人でした
子供達、孫達に恵まれたのも、この義兄のおかげです


どうなるかと思っていた娘達も合流し
1日の夕食と2日の朝のお雑煮、お昼は
みんな揃っていただくことができました

我々年寄りは
明るい間に移動したいので
年末のオードブル、届いたおせち、全て中途半端に残したまま
後を留守番組に託して
神戸へ出発です

長男たちも最初の予定通り
その後直ぐに神戸へと帰ったようです


明くる日
故人一家と
姉夫婦、弟夫婦であるわたし達
神戸に戻っていた、我が家の長男のみの
ごくごく内輪だけの葬儀がありました


なにもかも初めての規模の
初めての形式の
でも心の籠った
故人と残された家族の意思が反映された葬儀でした

今では
キチンと気持ちさえ伝えれば
何でもできるんだな、と思ったものです


初七日はしないということなので
お骨揚げをした斎場から、岡山へ向かいました


どこかで着替えてからとも思ったけれど
元旦に遠くから到着した一家たちをほおりっぱなしで
後を全て託して出てきているので
兎にも角にも早く戻ろうと、帰りを急ぎました


ありがたいことに
お雑煮のお鍋や、中途半端に残った
大量のおせちとオードブルを残したままに出たにもかかわらず
きれいに整理されてあったのにはホッとしました
それだけで、気持ちがグンと楽になりました
感謝!


その晩遅く
おちびちゃんが、嘔吐をしたらしく
翌朝
敷布団4枚、掛け布団2枚、枕2つが
玄関脇に高く積んで置いてありました


我が家の台所が不衛生だったのか・・・
こういうことが起ると・・・いつも原因は
なんだったんだろと・・・気になります
もう、ナマモノは出さないぞと・・・その時は思うのです
留守番組は
出先で貰ってきたのかも・・・と気を遣って言ってはくれますが・・


カバー類など家でできるものは即洗濯
この曇天では直ぐに乾くはずなく
大きな布団はどうしたものかと困っていると
丸洗いのできる所を検索して
娘一家を見送った後
早く行こうと・・・言ってくれます


寒い中
慣れぬ土地を走り回ったせいか
次には、末っ子が、そしてお嫁ちゃんも・・・と
順繰りにお腹にくる風邪に罹ってしまいました


そして日曜日
その末っ子達も、翌日からは仕事・・・ということで
ワンちゃん2匹、猫ちゃん1匹と共に、家へと帰って行きました
大丈夫かしら・・・

そういう私自身
その前夜から・・・・それはもう!よくもまぁ・・
こんなに沢山食べてたもんだ!!
というぐらい・・・モドシテイマシタ・・・

食い意地の張った、食いしん坊のわたしのことです
ちょっとやそっとでは
ヤタラメッタにモドシタリハ・・・・しません・・


最終組を見送った後はバタンキュー
明くる日も・・・その次も・・・ヨロヨロと
起きてはできることのみ・・・お片付けです
末っ子が布団の洗濯に連れて行ってくれていたのが
大きく助かりました

やっと
終わったぁ~と思えたのは・・・9日水曜日

頭ズキズキ、足元フラフラがようやく収まってきたかと思ったら
今まで
どうもなかった相方さん
同じ症状になったのが・・雪掻きした後

それでも相方さんサスガデス
復活は早く

半日と一晩寝たら
移動してもいいよ・・・だって
わたし
又もや・・・フラフラがおこりそうです

夕べ炊いたおかゆさん
今洗ったばかりのタッパーに入れたり
今までストーブの上でシュンシュンいってた麦茶を
慌てて冷ましながら
持っていくものまとめたり・・
頭のズキズキも再発しそうです


それでも
相方さんがそう言ってくれたおかげで
背中・腰は相当痛かったですが
全く寒さの違う神戸に辿り着くことができました・・・
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