お父さん、お母さん、テレビやビデオやファミコンに、子育てを任せていませんか?
私達世代は、ようやくテレビの放送が始まって、ひょっこりひょうたん島やシャボン玉ホリデーなんて番組を楽しみにしていました。
テレビを囲んで、という時代が始まってしまったけれど、それでもテーブルを囲んで、トランプやおはじきなんかを親もいっしょに楽しむことがありました。
私が親になってからも、カードゲームやボードゲームをどれくらいやったことでしょう。
家族が同じテーブルについて、わいわいいいながら、勝ったり負けたり、そんな中から、いろんなこと、子供達は学んだり、真似たり、してきたような気がします。(私達は、決してわざと負けてやったりしない、シビアな親でした。)
ようやく、子供達にとって念願のファミコンを手にしてから、毎日が怒鳴り声になってしまいました。
「何時間、やっているの?」
「もうやめなさい!」
そういいながら、まとまった時間を子供達だけで過ごしてくれることも、少しは喜んでいたはずです。
次から次にでるソフトを、これでもか、というほどに買う子供達。
満足することなんてありません。
でも、高校を卒業するころから、ようやく離れるようになりました。
我が家の子供達は、それほどにはのめり込んではいなかったのかもしれません。
小さなころから、ボードゲームを楽しんだ記憶は、家族の団欒のシンボルのように感じているのか、20才を過ぎた娘が、今でもなつかしそうにモノポリーや、人生ゲームをやりたがります。
小さな手の中のゲーム機は、子供たちの心を捉えます。
でも、家族で出かける時、旅行する時、持って行こうとする時、どうぞ、家に置いて行って下さい。
気持ちが、手の中のゲームに捉えられている時、旅先の体験や、家族のおしゃべりや、窓の外の景色など、目にはいらず、心に届かず、折角の時間がさみしいものになるからです。
それは、親にとって、というより、子供本人にとって。
架空の世界で、どれほど、拳を振るっても、痛くも痒くもない。
架空の世界で、どれほど、仲間を作って旅をしても、本当の体験ではないのだから。
夏休み、子供達と沢山の思い出を作ってください。
それは、大人になった子供達の宝物になります。
大切にする、ということは、子供のいうなりにする、ということではありません。
親がどんな風に考えているか、それをきちんと子供達に伝えられれば、そして親がきちんと向き合っていくことを怠けなければ、子供達は充足し、次の場所へ進んで行くことが出来るようになります。
私は、反省の気持ちも込めて、今そう思っています。