前回(13-1)
~~~
人里。しかも中心から外れ、店屋が並ぶ通りから離れた場所に位置する「お茶屋」さん。
私がこの世界で贔屓にしているコーヒー屋であり、いつも自室で使っているコーヒー豆はこの店から購入していた。
「あ、いらっしゃいませ~」
私が「すいません」と言って店内に入ると、優しい声が返ってきた。
ちょうどお客の入りが少ない時間帯だったらしく、奥で新聞を読んでいるこの店の主人と女性店員しかいなかった。
「尾張さん、こんにちは~」
女性店員は私の姿を認めると、にこやかに挨拶をしてくれた。
時々見える仕草から私より年下だろう。格好は洋風エプロンに頭にはバンダナ。
コーヒーも売っている店であるし、変に和装であるよりはこの店の雰囲気に合っているような気がした。
私は店員と適当に世間話をした後
「いつもの。一袋ね」
と注文した。
常連客のような注文の仕方をしても彼女はそれでわかってくれる。
事実、常連客だしね……。
「いつもありがとうございます。チーム調子いいですね」
品物を私に渡すと、ふとこんな話題が出た。
その時の彼女は自分のことのようにタートルズの快進撃を喜んでくれていた。
実は、彼女は私の正体を知る数少ない外部の関係者でもあるのだ。
「ええ。おかげさまで。そちらの反響はどうですか?」
「こっちも尾張さんのおかげで店の売上げがよくなっていますし、順調ですよ」
「でも、今は誰もいないけれど」
私はわざと辺りを見回すような仕草を加えながら、その言葉を口にした。
「あ~、ひどいですね。今は誰もいないだけで、さっきまで大型の注文があって大変だったんですよ~」
私のからかいにぷくぅと頬を膨らませながら、反論してくる。
「夜は冷込むことも多いからね。球場でもコーヒー販売は評判がいいらしいですよ」
私は周りから聞いた評判をそのまま伝えると、彼女も少し機嫌を直して、いつも笑顔を私に見せてくれた。
ちょうど私の正体を知る話に関係のある会話が出てきたので、それに少しずつ解説を加えることにする。
球宴異変で行われる試合に来てくれるお客さん。そうした客に相手に飲み物を提供する人たちがいる。ジュースに、ビールを始めとする酒類を提供してくれる商人たちである。その中で、まだ温かいものが充実してないことに目を付けた私は、偶然見つけたこのお店にコーヒーの提供を依頼したのだった。
最初はあまり乗り気ではない店側であったが、私はある秘策を出し、その協力を得ることに成功したのだった。それがコーヒーを出す際に注ぐコップに店の名前を印刷したことによる宣伝である。
これでコップ代を店側が負担する代わりに、それがそのまま店の宣伝をなる。購入してくれた客の目に留まれば、店舗の方にも訪れる客が増え、売上げが上がるかもしれないという魂胆であった。
それが見事に嵌り、このお店は他の人からも認知される程の人気を得ることになったわけだ。
「球場で知った方がこちらに来られるようになりましたし、思わぬ宣伝効果もあったみたいです。前は畳んでしまおうかってくらいひどかったですから」
以前のことを思い出したのか、遠い目になる。
しかし、私がこの話を出してくるまでの売上げはあまりよくなかったらしい。
「こんなにおいしいのに?」
「ええ。お客様も限られていましたし――」
私が驚いたのもつかの間、彼女の思わぬ発言に私の耳が反応した。
「それによく盗難にも遭っていたんですよ」
「盗難?」
「ええ。それも尾張さんがいらっしゃった頃からなくなりました。そういう意味でも尾張さんはこのお店の救世主かもしれませんね」
「そう……ですか」
私は適当な反応を返すと同時に店のドアが大きな音を立てて急に開いた。
「ヨーーーーーーーちゃん」
という叫び声と共に私の横を何かの物体が物凄い速さで通り抜けていった。
「えっ??!」
という私の声を無視するかのように今度は
「きゃーーー」
店員の悲鳴が聞こえた。
私の頭に「ん、何だ?」という疑問が浮かぶ中、視線をそちらに向けると、誰かが女性店員に抱きついていた。
どうやら物凄い速さで私の横を通り抜けたものは女性――しかも私と同じくらいで店員と比べると年上に感じる雰囲気――であり、その女性は店に入ると 同時に店員に抱きついているようだった。
ちなみに、こうやって私が状況を理解しようとしている間も店員にずっと抱きついており、「よいではないか、よいではないか」と言って、店員を愛でていた。
どこぞの悪代官であろうか?
「あ、あの、姉さん、お客さんが」
私が声かけようか迷っている間に、店員が抱きついている女性に声をあげていた。
「お客? そんなのどこに――」
女性は愛でるのに必死であまり話を聞こうとはしていない。
「…………ええっと、ここに」
仕方なく私が挙手して居場所を知らせると、名残惜しそうに女性店員を解放した、私への舌打ちとともに。
あの、あからさまな舌打ちはやめてくれませんかね~。
「あんた、誰よ。まさか私のヨーちゃんを狙っている下種な野郎ね」
ヨーちゃんとは女性店員の愛称だろう。この事件の前後に名前を聞いて、本名はヨウコであったと記憶している。
「もー、姉さん、お客様になんてことを」
「だって、こういう冴えない野郎の方が何し出すかわからないって――」
「姉さん!」
「はい。お客様、申し訳ありませんでした」
「いいですか。この方はこの店を救ってくれた救世主様です。失礼ですよ」
「え、こいつが?」
「…………」
とても驚いた表情で私を指さした。すいません、指ささないでください。
「ごめんさない。こちら、私の姉でノドカって言います。こうして今でも気にかけてはくれるんですが……」
「お気になさらず。確かに姉としては心配ですものね」
そう言って、ノドカと紹介された女性の表情を窺うが、「ふん」とか言って、まともに顔を合わせてくれない。まだ警戒は解かれていないようだ。
「あ、そうだ。姉さんはタートルズの大ファンなんですよ~」
ヨウコさんは思い出したかのように話題を切り出した。
「へぇ~」
「ちょっとヨーちゃん。何でそんなことを急に?!」
私が驚いた声を出すと恥ずかしいのか、ノドカさんは怒って話を打ち切ろうとした。
「だって、忠実さんって、タートルズのチームスタッフなんですよ」
「はっ、こいつが?」
ノドカさんは見下していた男が意外な身分であったことに驚いたようであったが、私に対するにらみつけるような視線は変わらない。
しばらく、私がいかにこのお店に貢献したかの説明がなされる。黙って聞くノドカさん。
「ふ~~~~ん」
全てを聞き終えても感想はこの一言だけ。
ここで私から色々言っても評価は良くならないだろう。
せっかく異変解決のために頑張っている選手たちの顔に泥を塗らないようにしたい。特に、ただの裏方の態度が悪かっただけで評判が下がるのは避けたい。
そこで、私は不慣れな営業スマイルと一緒にお礼を述べた。
「タートルズの応援ありがとうございます。これからも応援よろしくお願いします」
「ええ、ええ」
再び視線を逸らすノドカさん。そんなに私の営業スマイルって直視に耐えないものなのか……。
「それで、どの選手のファンなんですか?」
私は話題を変えるべく、こんな質問をノドカさんに投げかけた。
「……いる……よ」
先程までの勢いとは比べ物にならないくらい声が小さい。
「よく聞こえなかったのですが」
「ルナチャイルドって言ったのよ」
「ほ~」
意外な名前に私の口からは感嘆の声が出た。
「な、なによ、文句でもあるの?」
「すいません。無いです」
「そうやって、あんたも馬鹿にするんでしょ」
「いえいえ。いい投手ですもんね、ルナチャイルドさん。差し支えがなければ、どういったきっかけでファンになったのかも聞きたいくらいです」
「そ、そんなの……」
言い淀むノドカさん。
私は黙って次の言葉を待ち、
「かわいいからに決まっているでしょー」
その理由を聞いて再び黙ってしまった。
一応もう少し詳しく理由を聞くと、以前この店へと戻る途中、こそこそ隠れていたルナチャイルドさんを見つけて、声をかけたノドカさんだっだが……。
「そのときのびくって反応して、小動物みたく怯えている姿。もーかわいくてかわいくて。結局、逃げてしまったんだけれどね~。あんな子がマウンドで自分よりも大きい打者相手に投げているんでしょ。これはもうファンになるしかないでしょ」
うむ。自分で話を振っておいて申し訳ないが、自分の理解の範囲を超えていた。
なんて返事しようかと考えていたところ、店にあった時計が目に付いた。
「はっ。あ、もうこんな時間。すいません。私はこれで」
急いで戻らないと練習時間に間に合わないくらいの時間になっていた。
私は急いで店を出た。意識しなくても足は前へ前へとどんどん動いていく。
人里を出ても、私はペースを落とすことなく、球場の方向へと足を動かし続けた。
その際、ふとさっきまでのやり取りを思い出した。確か……いつもお世話になっている店員の方がヨウコさんで、そのお姉さんでルナチャイルドさんのファンであるノドカさん。
(ファンのためにも、やるぞー!)
久々にできたチーム関係者以外との会話に、私は練習への活力がこみ上げてくるのを感じたのであった。
~~~~
次はこちら