主婦の椎間板ヘルニアの日々 

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長女の涙

2006年07月19日 | 椎間板ヘルニア
ここ最近とても気になる事がある。

長女が次女に対してとても辛辣な事だ。

とにかく一つ一つ言葉がとても尖っていて
朝から喧嘩状態になっている。

妹に何か話かけられても、突き放すような傷つけるような言い方をする。
妹もムカついて言い返し 泥試合になるのだ

私も何度か長女と2人で話したりして諭してはいるのだけど
その日くらいしか効果が無い。。。

学校で嫌な事でもあるのな?
友達関係がウマくいってないのかな?
それとなく聞いても具体的に何かある訳でもないようだ。

そんなある日、あまりにも目に余る言動があったので
ついに私も本気で怒ってしまった

当の娘は私に向かって反抗するタイプではないので
黙って聞いているだけ。
私はたたみかけるように怒ってしまったけど反応ナシって感じ。

沈黙が流れる中、静観していた旦那が
 「お父さんは家の事とか頑張ってるの知ってるよ。よくやってると思うよ」
と優しい言葉をかけた途端…

何と娘が泣きだした。
それも声をあげて大泣き

こんなに大きな声をあげて泣いた長女を見たのは何年ぶりだろう…
シクシクと泣く事はあっても大声をあげて泣くのは幼稚園くらいが最後ではなかっただろうか…

それから彼女は延々と20分位泣き続けた。

泣きながら彼女が言った言葉を要約したら
 「疲れた」
という事らしい。

私がヘルニアになってからというもの、最初の一ヶ月は旦那が仕事で留守だったから「自分が頑張らなきゃ」と気を張り、その後もちょくちょく旦那が仕事で留守がちの時は家事、旦那がいても手伝いをしたり習い事や学校の宿題に追われたりと、とにかく精神的に疲れてしまったようなのだ。


何だか私はびっくりしたというよりガーンと落ち込んだ。
最初の頃こそ「 よくやってくれてるな 」と感じていたものの
慣れてくるとそれが普通になってしまい、娘も慣れてこなしてきていたと思い込んでいたのだ。

彼女は彼女なりに私を思いやり色々やってくれてはいたものの
やはり精神的にも長女の負担は大きかったのだろう。
私はそんな事さえ気付いてやれなかったのか。。。

自分が小学生の頃を思い出しても
母親が風邪で一晩くらい寝込んだだけでも、心配だし何だか家の中の火が消えたようにとても淋しくて心細かった。

それを私はもう三ヶ月も続けているのだから、
子供達が疲れてきても不思議はないのだ。

それなのに最初の頃こそ褒めてやっていたものの
段々褒める事も忘れて要求の方が多くなっていたのかもしれない。
妹の事も含めて…

そういう事に全然気付いてあげられなかったなんて
私って何て出来てない母親なの

↑今に始まった事ではないけれど、改めて思い知らされた。


「お姉ちゃんも大変だと思うけど、ママも痛いのに頑張ってるんだから、ママがよくなるまで、みんなで協力して頑張ろうよ」
と旦那が話を締めくくってくれたけれど…

私はとても子供が可哀相で申し訳なくてしょうがなかった。
やはりもっともっと自分に厳しくしてバラコン運動に励み
一日でも早くみんなを安心させてやらなければ






スペースシャトルと七夕

2006年07月08日 | 椎間板ヘルニア
久しぶりのブログ更新です。ふと気付いてみれば一ヶ月も経っていたのね

その後の私の状態は、やはり1.5進1退。
劇的に良くなった とか 凄く良くなったという事はなく
気が付くと
 「あれ?そう言えばこれも出来るようになったなぁ」
という感じ。

家の中なら歩く事も大分出来るようになったし
調子のいい日に二回ほど良能会にも自分で運転して行った。

人間って過去を忘れる生き物だなぁ何て思うんだけど
大波小波の痛みを繰り返して生活していると
今の痛みに耐える事に集中しているので
最初の頃の痛みを忘れてしまっている。

良能会にはきちんと通っていて
今ではかなり大きなハッキリとした
 「ボコッッ」
というような音がして仙腸関節が入るようになった。
涙が出るような痛みも10日に一回くらいになった。

ただまだ 座る という事が出来ない。
ので私の毎日は歩いているか寝ているかになってしまう
良くなってきているのに、見た感じはあまり変わらないのが
ちょっと悲しいかな…



前置きが長くなってしまったけれど
そんな中はっきりと進歩を感じる事があった。

四年生の次女が理科の時間に星の勉強をしているらしく
最近とても興味があるらしい。

一昨日の6日にニューストピックスで
「スペースシャトルが見られるかも?」という記事を見つけた。

方角や各地で見られる角度なども詳しく載っていて
午後8時9分~11分の間に見られるらしい。
これは丁度いい教材だと思った。

曇り空だったけど晴れ間も所々あったので少しの可能性にかけて
旦那と子供達は8時過ぎにはベランダにスタンバイし
今か今かと待っていた。

私は勿論布団の上
でもやはり見たい子供に見せたいというのもあったが
実は何よりまずは自分が見たかったのだぁ。

私は腰に二重にバラコンバンドをきっちりと巻き
何週間も登った事のなかった階段を上がって行った。
かなりキツイだろうと覚悟していったのに
何と、あまり痛みもなくスムーズに普通に登れたのだ

時間ギリギリにベランダに出てみんなで一所懸命雲の切れ目を探した。
何せ初めて見るのでどんな速さなのか明るさなのかも解らなかったから
ちょっと不安になっていたのだが
一番最初に旦那が見つけた。

その指差す方向を目で追ってみたら
あった~! あれは絶対にスペースシャトルだあぁ
かなり明るくハッキリと移動する物体があった。
移動するスピードが当たり前だけど飛行機より早く、一等星よりもかなり大きな光が二つあった。

その日の夜11時頃に宇宙ステーションとドッキングする予定で
二つが前後に並んで移動していたのだ。

何だかワケもわからず感動
だってやっぱりロマンでしょう
宇宙空間にいるスペースシャトルを肉眼で初めて見たのだから。

子供達も見つける事が出来て
 「あったー、見えたー」
 「明るいねぇ、大きいねぇ」
と凄く喜んでいた。

目で追っていったけど最後は残念ながら雲に隠れてしまった。
みんなで下に下りてきてひとしきり喜んでいたら
次女が
 「あれ?ママ腰痛くないの?」と心配してくれた。
ベランダに私が突然行った時も
 「ママがここまで来たー」とびっくりしていたが…

ここ数ヶ月家族でどこかに行くとか、何かするということが全然無かったので
嬉しかったらしい。
私も何だか久しぶりにみんなで何か出来たような満足感があった。

立つ事歩く事は勿論、トイレに行くのも困難で麻痺すら感じて寝ていた頃に比べたらやはりかなりの進歩なんだとつくづく感じた夜だった。


そして昨夜は七夕
残念ながら空は曇りで晴れ間が無く
 「天の川を見に行く」という次女の希望はかなえられなかったけれど
私は心の中で願った
 「一日も早くこのヘルニアが治りますように







1.5進1退 

2006年06月07日 | 椎間板ヘルニア
良能会に行き始めの時は、週に二回通っていたけれど
二週間ほどして私の様子を見て先生から
 「出来ればもう少し間隔を置かないで来てくれた方がいいなぁ」
と言われたので、三週間目からは週に4回通っている。

良能会の指導者の五味先生の本には体験談が沢山載っていて
色々参考にしているけれど
回復の早さは人それぞれのよう。

立つのも容易でなかったのに施術後歩いて帰って来たという人、
骨盤が硬くなり何ヶ月も仙腸関節が入らなくて一年以上通った人、
本当に様々のようだ。
腰痛暦が長ければ長い程 骨盤が硬くなり時間がかかるようだ。

私の場合は高校生の時に部活で椎間板ヘルニアになっているので
腰痛暦は20年位だろうか(年がバレバレだわ)

その分やはり骨盤が硬いらしく
1.5進1退って感じだろうか…
でも少しずつだけど確実に変化はあり、快方に向かっている手応えはある。

右側の仙腸関節が初めて入ったのは 通い始めて6回目くらいだった。
「プツッ」というような聞こえるか聞こえないかのような音だった。
仙腸関節が入った日にはやはり 凄い激痛に襲われたが
 「これは良くなる前兆だ」と自分に言い聞かせ
涙ながらに耐え忍んだ

そして10回目を過ぎた頃からは毎回のように仙腸関節が入るようになった。
でもまだまだ小さい動きのようで、
 「10回前後で仙腸関節が入るなんてまだいい方だよ。もっと酷い人も沢山いるからね。でももっと大きく入るようにならないとね、それにはやっぱりバラコン運動を沢山して骨盤をもっともっと柔らかくする事」
と言われている。

今の所、家事その他全てを旦那と子供にお願いして
布団に横になっている私だから、
頑張ってくれている家族の為にも
バラコン運動を仕事だと思って頑張ろう
と日々思うのであります。


本来の痛み…?

2006年06月05日 | 椎間板ヘルニア
三度目の良能会の日、先生にべそをかきながら激痛の二時間を報告した。

先生は
 「それは本来の痛みなんだよ。今まで我慢していたから自律神経失調症気味になって感じなくなってたんだよ。痛みが出たって事はそれを感じるようになったって事だから、治る事に一歩近付いたって事なんだ」
と言われた。

そう言えば、私が買った本の中で五味氏がそのような事を書いていたような気がするなと考えていたら

 「でもまだまだ。骨盤が柔らかくなって仙腸関節が入るようになったら、もっと強い痛みがくると思うよ。ただそれは耐えてもらうしかないんだな」

と追い討ちが来た。

あの激痛よりも酷い激痛が来るのぉぉお?

……………

あの激痛は嫌だけど、私は治りたい。
治りたいんだから耐えるしかない、というか頑張るしかないのだ。
自分でこの治療法を選んだのだから。

何だか信仰みたいだなと思いつつも
帰宅。

今日も激痛が来るかもしれないと、ずっと恐れていたけど
その日は無事終了。

そして次の日は調子が良くなっていた。
まだ歩く&座るは痛みがあるから基本的に布団に横になっているんだけど
横になっている分には痛みを感じない時間が出てきたのだ。

それまでは四六時中痛みが続いていたのに……

これってもしかして凄い事じゃない?

ここ一ヶ月以上、いつも痛みと共に生活していたのに
痛みから開放される時間が出てきたなんて

とても嬉しかった。

忍耐の二時間

2006年06月03日 | 椎間板ヘルニア
先生に不安な事も聞けて、少し不安が安らいで帰宅したその日の夕方くらい。
何だか段々右側のお尻から足にかけての痛みが大きくなってきた。
と同時に、腰に何やら痛みが…
今までお尻からつま先までの痛みはあったけど、腰自体の痛みはさほど感じなかったのに…

と思ったのも束の間、あっという間に今まで体験した事の無い物凄い
かなりの激痛が襲ってきた
体勢を変える事もままならない。
ちゃんと脳の命令が体に伝わっていかないような感じで
簡単には足も腰も動かない。
自分の腰であって、自分の腰じゃないみたい

そして何とか頑張って動かそうもんなら、電流が通ったような
キィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
と突き刺すような激痛が走る。

私の腰は壊れてしまったのではないだろうか?

あまりの痛さに、最初は子供に聞こえないように呻いていた私も
 「痛いよぉー、痛いー」
と子供のようにわめき続けた。

それでも治まらずに涙まで出てきてしまう。
そして最後には
 「ふふっ、ふふふっ」
と笑ってしまった。
あまりの痛みと、情けなさとで 笑えてしまったんだと思う。

子供達が
 「ママ、キレたのかな?」
 「ママ、あんまり痛くて壊れたんじゃない?」と
コソコソと2人で相談しているようだった。
心配していたようだけど、返事をする余裕もない。
話すなんて消耗する事を今やっている場合ではない。
痛みを耐えぬくのに必死だ。

座薬もしてみたけど全然効果ナシで、
とにかく耐えるしかないと悶え苦しんでいた。

 「ヤバイぞ、ヤバイ、このままだったら私は救急車モノか?
と思った時には、激痛が始まってから2時間くらい過ぎただろうか…

何の前触れもなく、少しずつスーッと痛みが消えていった

そして驚く事に、それが消えてからは
とても調子が良くなっている。

すっかり痛みが消えたワケではないけれど、
まだ耐えられるし、そしてある程度歩いても
数分間は耐えられるようになっていた。

あ…あの激痛は先生が説明してくれた反応だったのかと思った。

救急車を呼んだ方がいいのかな?と思った時、
私はやっぱり先生の言う事を疑ったんだと思う。
逆に悪くなってしまったんじゃないかと不安になっていたんだ。
ちゃんと先生が説明してくれたのに…

最初から「駄目で元々、それで駄目ならその時は手術すればいい」と
思っていた初心を忘れてはいけない。
ちゃんと信じてやり抜かなくてはいけないんだ。

そう言えば良能会の壁に貼ってあった大きな紙に
 「必ずよくなりますから、途中の痛みなどで不安を抱かずに頑張りましょう」
と書いてあったではないの。

書いてあるって事はやっぱり私のように不安に思う人がいるって事なんだろうな…

私ってみんなが通る道を定石通りに通っている代表選手のような人なんだわと
ちょっと恥ずかしかった


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※毎回の注意書きですが、この体験記は私個人の感想であって
 一切の営利・宣伝行動を行なうつもりはありません。
 なるべく具体的な治療院の名前を出さないようにと心がけて居ますが
 どうしても出さないと伝わらない事もありますので、出している所もあります  が、その場合は支部など分からないように書いているつもりです。
 何か問題等ありましたらご連絡下さい。