本日は2007年8月15日に暖簾を上げてから3776品目(カウントを間違っていなければ)ですが、3776というのは富士山の標高(1m未満四捨五入)ですね。小学校の頃に読んだ漫画の体裁の学習本で「富士山のようにみななろう(3776)」と載っていたので覚え、半世紀以上経っても脳に刷り込まれています。弾丸登山や噴火説など時折話題になりますが、個人的には遠くから眺めているのがいいですね。

「南部伊達ひと回り」の続きです。BRTで到着した人々は三々五々に散り、盛駅で三陸鉄道を待つ人ははほとんどいなくなりました。

(三鉄盛駅とJR盛駅)
周囲を散策するには中途半端な時間なので、こ線橋から盛駅構内を眺めてみました。駅舎に近い側がBRT用の道路となっています。大船渡線がBRT化されこのようなレイアウトになってからもう10年以上経つのでしょうが、駅構内は一体化されているのに駅舎や改札は別々という不思議は三鉄が開業した1984(昭和59)年以降続いているのでしょう。

「1984年以来改札が別々なのだろう」と申しましたが、盛駅の三鉄ホームに入線してきた宮古行はその開業時から使用されている列車でした。何でそんなことがわかるのかというと、社内車端部に「新潟鐵工 昭和58年」とあったからです。震災も乗り越えて40年以上走り続けてきたのですね。車両としては長寿だと思います。

車内に入ればBOXシートが並んでいました。乗客は少ないので選びたい放題です。

少々窮屈だったBRTの1時間ちょっとに比べて、ゆったりした道中が過ごせそうです。

(盛駅)
本日もご来店ありがとうございました。
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「南部伊達ひと回り」の続きです。BRTで到着した人々は三々五々に散り、盛駅で三陸鉄道を待つ人ははほとんどいなくなりました。

(三鉄盛駅とJR盛駅)
周囲を散策するには中途半端な時間なので、こ線橋から盛駅構内を眺めてみました。駅舎に近い側がBRT用の道路となっています。大船渡線がBRT化されこのようなレイアウトになってからもう10年以上経つのでしょうが、駅構内は一体化されているのに駅舎や改札は別々という不思議は三鉄が開業した1984(昭和59)年以降続いているのでしょう。

「1984年以来改札が別々なのだろう」と申しましたが、盛駅の三鉄ホームに入線してきた宮古行はその開業時から使用されている列車でした。何でそんなことがわかるのかというと、社内車端部に「新潟鐵工 昭和58年」とあったからです。震災も乗り越えて40年以上走り続けてきたのですね。車両としては長寿だと思います。

車内に入ればBOXシートが並んでいました。乗客は少ないので選びたい放題です。

少々窮屈だったBRTの1時間ちょっとに比べて、ゆったりした道中が過ごせそうです。

(盛駅)
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