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風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

3776)南部伊達ひと回り2025 ー7景目 三陸鉄道(その1)ー

2025年07月20日 | 岩手彷徨
 本日は2007年8月15日に暖簾を上げてから3776品目(カウントを間違っていなければ)ですが、3776というのは富士山の標高(1m未満四捨五入)ですね。小学校の頃に読んだ漫画の体裁の学習本で「富士山のようにみななろう(3776)」と載っていたので覚え、半世紀以上経っても脳に刷り込まれています。弾丸登山や噴火説など時折話題になりますが、個人的には遠くから眺めているのがいいですね。



 「南部伊達ひと回り」の続きです。BRTで到着した人々は三々五々に散り、盛駅で三陸鉄道を待つ人ははほとんどいなくなりました。


(三鉄盛駅とJR盛駅)

 周囲を散策するには中途半端な時間なので、こ線橋から盛駅構内を眺めてみました。駅舎に近い側がBRT用の道路となっています。大船渡線がBRT化されこのようなレイアウトになってからもう10年以上経つのでしょうが、駅構内は一体化されているのに駅舎や改札は別々という不思議は三鉄が開業した1984(昭和59)年以降続いているのでしょう。



 「1984年以来改札が別々なのだろう」と申しましたが、盛駅の三鉄ホームに入線してきた宮古行はその開業時から使用されている列車でした。何でそんなことがわかるのかというと、社内車端部に「新潟鐵工 昭和58年」とあったからです。震災も乗り越えて40年以上走り続けてきたのですね。車両としては長寿だと思います。



 車内に入ればBOXシートが並んでいました。乗客は少ないので選びたい放題です。



 少々窮屈だったBRTの1時間ちょっとに比べて、ゆったりした道中が過ごせそうです。


(盛駅)

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3775)南部伊達ひと回り2025 ー6景目 大船渡線BRTー

2025年07月19日 | 岩手彷徨
 現在定期的に通院しており、朝8時に病院の待合室に入り受診を待つのですが、高齢者が多いせいか待合室のテレビでは「朝の連続テレビ小説」を流しています。通院を始めた時は「おむすび」でしたが今は「あんぱん」、どちらも食べ物がタイトルですが、「あんぱん」になってからは皆さん食い入るように見ています。近現代が舞台より戦前から時代が流れていく方が関心が高いのでしょうか。さすがに診察室に呼ばれて「今いいところだから待って」という人はいませんが。



 気仙沼駅でしばし停車しお祭りをご覧いただきましたが、大型連休時の「南部伊達ひと回り」の続きです。気仙沼駅からは大船渡線BRTに乗って三陸沿いに盛駅まで北上します。気仙沼駅構内の乗り場には10人程度並んでおり、これなら座れると思ったのですが、座れはしたものの山側でした。バスのステップが低い分バス内での高低差があり、車窓を眺められる座席は意外に少ないということに、今更ながら気づきました。



 数年に1度しか乗車しておらず、都度専用軌道のコースが変わっているのですが、今回は気仙沼駅構内からそのまま旧大船渡線の線路を進み、鹿折唐桑駅から一般道へ、更に国道45号線を進んだのち気仙沼鹿折インターから三陸道に入りました。路線バスで高速道路を走るなんて、学生時代の「名古屋都市高速」を思い出しました。

 唐桑小原木インターからは再び国道45号線を走って陸前高田市へ、気仙川を渡り気仙沼駅から約30分で奇跡の一本松バス停へ着き、ここで乗客の入れ替えがあるかと思いきやほとんど下車せず発車しました。


(気仙大橋からの気仙川 -陸前高田市-)


(高田車窓 ー陸前高田市-)

 盛行はかさ上げされた市の中心部へ向かい陸前高田駅へ。ここで数人降り、その先は一般道と専用道を進みながら大船渡市へ入り、大船渡バス停でも数人下車しました。観光客が多い気がしましたが、まだ10時になった頃なので地元客が多いのでしょうか?

 とはいえ、気仙沼から乗った人の半数以上は盛まで乗り通しました。ということはこの方々とはこの先もご一緒なのでしょうか。

 
(盛駅 ー大船渡市ー)

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3772)南部伊達ひと回り2025 ー5景目 大船渡線その5ー

2025年07月11日 | 岩手彷徨
 ここ数日、夜のニュースで「記録的短時間豪雨」が報じられています。その名のとおり本当に短時間で豪雨となり様々な被害を及ぼしているのは皆さまご存じのとおりですが、かつての「夕立」とは様相が違いますね。数十年前の夕立というのは、セミが鳴き止んで空が暗くなり雨が激しく降り始め、セミが鳴き始めると空が明るくなり雨が止む・・というものでしたが・・・。夕立って死語かしら?



 「南部伊達ひと回り2025」の続きです。折壁駅の次は新月駅、大船渡線の鉄路区間の岩手県はここまで。新月駅のすぐ東側で宮城県となります。


(新月駅)

 新月駅を発つと次は気仙沼駅なのですが、この区間はしばし続いてきた長閑な車窓から一変、渓谷然とした中を抜け、気仙沼線(BRT)と並んで気仙沼駅へ入っていきます。無い物ねだりですが、被災する前に乗っておけばよかった・・そういう後悔ををせずにはいられません。


(気仙沼線(左)と大船渡線 後追い)

 そして着いた気仙沼駅。9時前に降り立つのは初めてかもしれません。列車も空いていたし、ここまでいいことづくして来ました。

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3771)南部伊達ひと周り2025 ー4景目 大船渡線その4ー

2025年07月07日 | 岩手彷徨
 ちょっと日が経ってしまいましたが、去る2025年7月1日は、私の奉公人生活の中で大きな転換点となった日でした。「人生は小さな選択の積み重ね」と言いますが、この転換点は自分の中では小さくない選択でした。とはいえそう思っているのは自分ぐらいで、周囲の皆さんは6月30日も7月1日もあわただしく過ごしていました。この先何がどう変わっていくのか・・まさに「紙」のみぞ知るのでしょう。



 「南部伊達ひと回り2025」の続きです。予想外に前回到着した千厩駅で10日以上も停車してしまいましたが運転再開です。千厩駅からは国道284号線に沿って東へ向かいます。千厩駅の隣りは小梨駅、次いで矢越駅に停まりました。


(小梨駅)

 次の矢越駅からは若者が数人乗車してきました。数本しかない大船渡線に乗って、気仙沼へ遊びに行くのでしょうか。


(矢越駅)

 車窓左手に、次第に室根山が大きくなってきました。岩手県の代表的な山といえば室根山なのでしょうが、県南の人にとってはこちら室根山の方が身近なのではないでしょうか?


(室根山)

 そんな室根山のふもとにあるのが折壁駅、旧室根町の中心です。駅のすぐそばを国道284号線が走っており、室根バイパスが開通するまでは車の行き来が多かったですが、今はきっとしずかな駅前なのでしょう。私も一関から気仙沼を行き来する時はバイパスを通るようになってしまいましたから、最近の様子はわかりませんが。



 そんな折壁駅は一度降り立ってみたい駅のひとつです。

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3770)南部伊達ひと周り2025 ー3景目 大船渡線その3ー

2025年06月22日 | 岩手彷徨
 昨日(6月21日)は、今から77年前に初めてLPレコードがリリースされた日だそうです。LPというのは「ロング・プレーイング」の略で、片面23分の収録ができたのだそうです。だからカセットテープで両面46分という商品があったのですね。何十年も使っていて(今も時折テープを聴いています)初めて知りました。



 県南ひと周りの続きです。猊鼻渓駅で10名ほどを降ろした列車は進路を北から東に変えて柴宿駅に到着しました。1962(昭和37)年に開業した請願駅だそうで、県道19号線に隣接しています。まったく個人の見解ですが、「宿」という文字が付く地名にはひかれてしまいます。ここに旅人が集う宿が連なっていたのでしょうか。


(柴淑駅)

 柴宿駅から更に東へ進むと摺沢駅です。開業当時の終点はここ摺沢で、今年の開業100周年というのは一ノ関から摺沢までとなります。当初一ノ関から東進して気仙沼を経て大船渡を目指すはずだった大船渡線が摺沢を経由となったのは、摺沢出身の立憲政友会の政治家の力と言われています。


(摺沢駅)

 地図をご覧になればお分かりのとおり、摺沢まで来てしまったのであれば、大船渡市盛へはここから東へ向かい高田を経由するのが近道ですが、その後憲政会が総選挙で勝利すると、摺沢から千厩を経由する経路に再度変更されました。なので列車は南へ向かいます。

 そして到着したのが千厩駅、精一杯千厩の街に近づけようとしたという感じのする駅です。この千厩駅を起点に歩いたのは、もう5年半前なんですね。


(千厩駅)


(千厩駅構内を最後尾から)

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