しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

伊豆をバイクで10年、伊豆に住んで27年目に突入!(古い記事は過去になってるので注意です)

旭川の叔父さん「こんにちわ」!(2年ぶりの再会です)

2013年09月23日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・                 【多いと言っても88歳ですから皆さん老齢化です】

(おじちゃんの若かりし頃は存じ上げています、でも年取ると「千代松」じいちゃんのお顔になってきました
 僕も最近アルコール焼けした「おやじ」殿に顔が良く似てきましたのは血筋だと思ってます)

お袋兄弟の弟ですが母方では長男なのです、叔父さんは僕が小学校に入る前に「ギーギー」ちゃんと呼んでいました、
今でもつい「ギギ」ちゃんと声がでます、大人になったので恥ずかしくて言えません、
高校生の頃でしょうか、ついそう呼んしまって、おじさんは「???」でした、僕からおじさんが
そのように呼ばれているのを判りませんでした、おじさんは昔お菓子の配達仕事で我が家に来てくれていました
その時オート三輪トラックに跨ってやって来る時の音が僕には「ギーギー」と聞こえていたそうなのです

(お袋さんは当時、家を改造してお菓子屋さんをアルバイト程度にやっていたのです)

あれから人生60年位たってしまいました、叔父さんも色々と人生の浮き沈みを体験したようで、
やがて自分史を作りました、広告の裏側にボールペンでびっしり書かれた自分史が展開されていて、
僕が生まれる前のお袋さんや兄弟のことも書いてありました

(その時の原稿をワープロに清書したので覚えていたのですが、大半は忘れているのです)

もう仕事はしないで、目が悪いので運転しないで!と言われているのに、「お客さんが待ってるので!」
と言って出かけてしまうのです

好きな碁も今では面白くないんだよ!趣味なんて無いからと働く事に意欲を持っています、
僕のように早目に「サンデー毎日」になりたいという自堕落な考えは毛頭ありません



おばさんは「ひ孫」ができて嬉しそうでした!


・             【おばさん、昨年末に腰を痛めて大変でした】

この子が結婚するまで頑張って下さい!今も調子は悪るそうでした、おばさん腰は昔から曲がっています
昔の人は年取りますと腰が曲がるのです、具合が悪いのに泊めて戴きまして申し訳ありません
いつも突然の訪問ですが、お姿を拝見できれば良いのです、お袋さんは小さい時から畑仕事で
苦労したはずなのに腰は曲がっていませんが、全体的に縮んでしまいました

(母さん「生きる目的失った!」なんて言わないで下さい、生きられるだけ生きて天寿を全うしてくだされ
 おじさんは今も元気に働いて頑張っていました!)



知らない間に旭川駅が近代的なガラス張りの駅舎に変わりました!


・              【前は釧路駅のように低層の鉄筋コンクリート作りでした】

(寂れた釧路駅は50年前の昔のままでした!)

昔の駅はできた当時、地下街があって「民衆駅」とか「大衆駅」と呼ばれていたような気がします

(駅は乗降者の為だけでなく「買い物にも来れる」のがキャッチフレーズだったような気がします)

駅前は工事中ですが、駅舎はほとんど完成しています、勤めを終えた人々が駅に吸い込まれていきます、ラッシュアワーのような混雑ではありません

(お盆時期ですからね、普段は結構混むと思います)

駅舎は立派になっても、今や札幌発の特急電車だけが目立って、札幌からの直通各駅停車の列車は走っていません

今日も函館本線で貨物列車の脱線事故がありました、走っている特急が火を吹く、トンネル内で列車が黒焦げ
JR北海道の社長がそれを苦にして自殺などあって、北のJRは苦労が一杯です
国鉄時代は大量の人員でやってきましたが、鉄路の殆ど単線です、線路だって新幹線並みとは行きません
鉄路を守るには人海戦術で保線をやらねばやっていけません、殆どが赤字路線ですから
民営化になって内情の苦しさは十分判ります、今度は江差線が2014年5月12日に廃止予定と決まったようです

(木古内から函館は新幹線も通るので残されるそうです、今は在来線が走ってる青函トンネルは新幹線専用になるのかしらね?)

JRで儲かってるのは新幹線があって人口が多い、東日本、西日本、東海と九州でしょうか?新幹線のない
北海道と四国の財政は思った以上に苦しく、保線面積も広い北海道はその分、分割民営化の割りを食っているのですね!



旭川駅は高架ホームになりました!


・                   【ホーム下は自由通行になってるはずです】

旭川は地盤沈下の町だと思います、観光ではお隣「富良野」に完全に抜かれて観光目玉として「旭山動物園」がある位です、
北海道第2位の人口を誇ってますが規模が拡大してるようには見えません

(元は木工家具の町であり、陸軍の町でありました、自衛隊の戦車隊は「上富良野」に行ってしまいました)

繁華街だった駅そばの3条6丁目(通称36)も繁盛しているようには見えません、伝統があった「ニュー北海ホテル」も
2004年に40年の幕を閉じました、(ここのコックで親友だったM君も病気で倒れました、早く良くなってお店を開いて貰いたいね)

井上靖さんは生後1年で旭川を出ても美しい街に住んでいた思い出を母から聞かされて故郷と思ってました
僕は小学校に入るまでと4,5年生次住んでましたから、旭川を故郷として良いのです!



駅前にあった大きなデパートは倒産、やっと跡地のビル利用が決まりました


・             【旭川駅は北海道の地理的中心であります】

函館本線は旭川駅が終着駅です、ここから稚内へと宗谷本線が延びています、石北線といって北見、網走方面
にも列車が出発します、富良野へ通じる富良野線は滝川からの根室本線へと連絡しています

(仲間には国鉄時代の官舎に住んでいた人もいますし、国鉄官舎の売店で売られていたピンク色の
 コーリン製の手回し「エンピツ削り機」今では我が家の唯一のお宝になっています、
 数多くの転勤で引越しを体験したのに残っていて、未だに孫が使っています)

鉛筆を削るほど勉強した記憶がありません、不器用なのでナイフで鉛筆が削れなかっただけだと思います



これが本当の「冷えとり」の手引書
PHP研究所

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