・ 【お客さんの会社が横浜:山下埠頭近くにあります】
大桟橋はとても広く大きい構造物です、最上部は起伏があって全面にウッデイな木材で覆われて
おりまして1階が駐車場、2階にはレストランや催事場、そして屋上が板張りとなって、
大きな丘が鎮座しているようであります、今日は丘の最先端まで行って見ましょう
普通の桟橋や埠頭とはおもむきが違っておりまして、豪華客船:クイーンエリザベス2世号も
停泊する国際港として横浜の顔でもあります
・ 【「マリンタワー」がどんどん小さく写ります】
貨物の山下埠頭はコンテナ輸送が盛んな現在、小型のバラ積み船が横付けされます、今でも沖で
「だるま船」への荷役を行う「おきなかし(沖仲師?)」という港湾労働者はいるのでしょうか?
大型船から砂糖やコーヒ-が詰まったドンゴロスの袋を肩に担いで荷役の重労働をしていました
賃金が良いという事で体力に自信のあった先輩が1日アルバイトしてきて、あまりの重労働に
夕方帰ってきてその場で吐いてぶっ倒れましたので、港湾荷役のアルバイトはしなかったです
(沖仲師の生き様を記念した碑がありましたから過去の話しとなるのでしょうね)
今では大きな運送会社になって、全国にネットワークを持つ横浜の運送会社のほとんどが
こうした港湾荷役をやっていた会社がほとんどなのです!
・ 【横浜のランドマークタワーは「港みらい」地区にあります】
三菱重工:横浜造船所を埋め立てて「みなとみらい」地区が出来上がって、日産、日揮本社などが
あるビジネス街でショッピングモールや映画館、イベント会場、住宅のある複合タウンになっています
(横浜マリノスのホームグラウンドは新横浜にありますが、本拠地はここにあって練習風景
が見られます)
学生時代のアルバイト先が三菱重工の横浜造船所、通称「横船」でした!
・ 【時代は次から次へと大型タンカー建造されていた時代です】
小さなタンカーの両側を切って間に船の胴体をはさんで大型タンカーに改造するなんて
工事が行われておりました
(船をぶちきる大型溶接機の火花の中を逃げるように作業場を駆け回っていました)
それがいつの間にか福浦にある新埋立地へと移動していきました、「横船」にはドックは無く
船は作られていません
(船は長崎で作られているようです、三菱重工も船から飛行機作りに基幹産業が変遷しています)
こちらは日産自動車方面で昔はビクターなどの大きな工場もありました
・ 【港横浜ですが取扱量は千葉港が日本一と聞いてます】
10万トン近い大型のコンテナ船が横付される埠頭です、24時間フル稼働で荷役を
やるハブ港としてやらねば世界にとり残されます
(埋め立てられた大型の港湾施設;「大黒ふ頭」も見えてきました、取引先の
冷蔵庫会社もここにあります)
遠くに見える二本の煙突は東京電力の最新火力発電所です!
(ここには原発は作れませんね、現在横浜川崎には500万人以上が住んでます)
・ 【間に運河が流れてましてこれを横断する橋も当時大きく感じました】
昔この運河で春の「さんま」が当然湧き出て、あたりは釣り師の姿で埋め尽くされました
橋の欄干からも竿を出して釣っていましたが、春の「さんま」は干物用で全く脂がありませんでした
(水質汚染が広がる運河の中で釣りましたから貪欲なものでしたね)
横浜港を横断する「ベイブリッジ」ができた時は驚きました!
・ 【今では名古屋港のベイブリッジ3本のほうが迫力があります】
これができた時は高速道路であるにも関わらず写真を撮る人が路肩に出て危なかったです
今では高速道路の下に一般道路が走って2階建て構造になってます
(橋げたから見物できるウオークスルーは見物人減少のため中止になりました)
大桟橋はとても広く大きい構造物です、最上部は起伏があって全面にウッデイな木材で覆われて
おりまして1階が駐車場、2階にはレストランや催事場、そして屋上が板張りとなって、
大きな丘が鎮座しているようであります、今日は丘の最先端まで行って見ましょう
普通の桟橋や埠頭とはおもむきが違っておりまして、豪華客船:クイーンエリザベス2世号も
停泊する国際港として横浜の顔でもあります
・ 【「マリンタワー」がどんどん小さく写ります】
貨物の山下埠頭はコンテナ輸送が盛んな現在、小型のバラ積み船が横付けされます、今でも沖で
「だるま船」への荷役を行う「おきなかし(沖仲師?)」という港湾労働者はいるのでしょうか?
大型船から砂糖やコーヒ-が詰まったドンゴロスの袋を肩に担いで荷役の重労働をしていました
賃金が良いという事で体力に自信のあった先輩が1日アルバイトしてきて、あまりの重労働に
夕方帰ってきてその場で吐いてぶっ倒れましたので、港湾荷役のアルバイトはしなかったです
(沖仲師の生き様を記念した碑がありましたから過去の話しとなるのでしょうね)
今では大きな運送会社になって、全国にネットワークを持つ横浜の運送会社のほとんどが
こうした港湾荷役をやっていた会社がほとんどなのです!
・ 【横浜のランドマークタワーは「港みらい」地区にあります】
三菱重工:横浜造船所を埋め立てて「みなとみらい」地区が出来上がって、日産、日揮本社などが
あるビジネス街でショッピングモールや映画館、イベント会場、住宅のある複合タウンになっています
(横浜マリノスのホームグラウンドは新横浜にありますが、本拠地はここにあって練習風景
が見られます)
学生時代のアルバイト先が三菱重工の横浜造船所、通称「横船」でした!
・ 【時代は次から次へと大型タンカー建造されていた時代です】
小さなタンカーの両側を切って間に船の胴体をはさんで大型タンカーに改造するなんて
工事が行われておりました
(船をぶちきる大型溶接機の火花の中を逃げるように作業場を駆け回っていました)
それがいつの間にか福浦にある新埋立地へと移動していきました、「横船」にはドックは無く
船は作られていません
(船は長崎で作られているようです、三菱重工も船から飛行機作りに基幹産業が変遷しています)
こちらは日産自動車方面で昔はビクターなどの大きな工場もありました
・ 【港横浜ですが取扱量は千葉港が日本一と聞いてます】
10万トン近い大型のコンテナ船が横付される埠頭です、24時間フル稼働で荷役を
やるハブ港としてやらねば世界にとり残されます
(埋め立てられた大型の港湾施設;「大黒ふ頭」も見えてきました、取引先の
冷蔵庫会社もここにあります)
遠くに見える二本の煙突は東京電力の最新火力発電所です!
(ここには原発は作れませんね、現在横浜川崎には500万人以上が住んでます)
・ 【間に運河が流れてましてこれを横断する橋も当時大きく感じました】
昔この運河で春の「さんま」が当然湧き出て、あたりは釣り師の姿で埋め尽くされました
橋の欄干からも竿を出して釣っていましたが、春の「さんま」は干物用で全く脂がありませんでした
(水質汚染が広がる運河の中で釣りましたから貪欲なものでしたね)
横浜港を横断する「ベイブリッジ」ができた時は驚きました!
・ 【今では名古屋港のベイブリッジ3本のほうが迫力があります】
これができた時は高速道路であるにも関わらず写真を撮る人が路肩に出て危なかったです
今では高速道路の下に一般道路が走って2階建て構造になってます
(橋げたから見物できるウオークスルーは見物人減少のため中止になりました)
これが本当の「冷えとり」の手引書 | |
PHP研究所 |
横浜港は僕が横浜に来た40年前より随分綺麗になった
ような気がします、人間やればできるのです
少子高齢化対策、年金問題、格差社会、やれば50年で
なんとかなるような気がします、高度成長でみんなで渡れば怖くない式でひずみ
を作った物としては毎年50兆円以上の資産を継承するなかで若者にプレゼントできる
世の中にしてもらいたいね
横浜市も認識していて対策を考えたそうですが、その旨を警鐘する看板くらいしか出来ないみたいです。
横浜港の物流は本牧や南本牧埠頭にガントリークレーンを設置してやってますが、今まで横浜を代表にした日本に寄港していた外国の貨物船はどんどん中国などに寄港するようになっていますね。世界経済の動きに対応して、また、日本に寄港するように何か対策をしないとだんだん寂れていきますね。
このあたりを含む東京湾の奥は70年代はとても汚れていて、船が通るとその後の泡がずっと消えずにいましたが、今はだいぶ綺麗になり、この辺で釣ったスズキなどを食べても油臭はなくなりました。