しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

伊豆をバイクで10年、伊豆に住んで27年目に突入!(古い記事は過去になってるので注意です)

チビ太で天塩川温泉に行ってきました

2020年08月03日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・                    【15km先の天塩川温泉に行ってきました】

宗谷本線の駅はほとんどが無人駅です、稚内へと延びる国道40号線は天塩川や宗谷本線と並行していますが、陸橋や橋が
複雑に絡んでいて宗谷本線の駅を伝う道ではありません

(駅に行くには側道へと折れて行く必要があります)


・               【川に面した1軒宿です】

天塩川温泉は駅からちょいと離れた天塩川を橋で渡った、川沿いの小高い丘に面した1軒宿でした


・               【建物の裏にはキャンプ場、パーク場も揃ってます】

温泉に断れば無料(だと思います)で泊まれるキャンプ場もあります、夜は真っ暗になりそうですが、晴れていれば
満天の星が眺められると思います


・                【道北の大河、天塩川は悠然と流れてました】

川の本流は大きく広がって右に大きくカーブに先に進んでいます


・                【川は大きくカーブしていきます】

川幅は広く今は水量が少なく浅い川になっています


・               【今は水位が低いらしくルアーを投げている人がいました】

川の真ん中まで入って、胴長ズボンを履いて川を上がりながらルアーを投げていく体力勝負の釣りのようです


・              【松浦武四郎の足跡でした】

蝦夷地を北海道と名付けた人足跡です、美深側の無人駅恩根内からも離れてましてカフェと一緒になっていまして
建物は学校跡のような感じです、イタリアン料理などの軽い食事がとれますが、気が付かない道路の奥にありました

(国道40号には小さな案内版が一つだけの分かりにくい所にありました)

松浦武四郎をネットで調べます
「1846年には樺太詰となった松前藩医・西川春庵の下僕として同行し、その探査は北海道だけでは無く択捉島や樺太にまで及んだ。
 蝦夷では詩人の頼三樹三郎と旅することもあった。安政2年(1855年)に江戸幕府から蝦夷御用御雇に抜擢されると
 再び蝦夷地を踏査し、「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。明治2年(1869年)6月に「蝦夷開拓御用掛」となり、
 蝦夷地に「北海道」(当初は「北加伊道」)と命名した。 更にアイヌ語の地名を参考にして国名・郡名を選定している。
 翌明治3年(1870年)に北海道の開拓の方針を巡って、従五位の官位を返上した。この間、北海道へは私人として3度、
 公務で3度の合計6度赴き、およそ150冊の調査記録書を遺した。中略
  北海道音威子府村物満内には「北海道命名之地」の記念碑がある」

音威子府(オトイネップ)村は美深の隣の村にあって北限のそば粉を算出していますが、正確に言うと温暖化が進んだ
今では浜頓別のそばが北限なります


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