へーちょうなんだ。

ときどき書きます。
4コマ漫画「こねことへんないきもの」略して「こねへん」れんさいちゅう。

同性愛と異性愛と性愛と愛について。【コミティア97宣伝エントリ】

2011-08-18 14:09:42 | にっき
ある種類のきのこには160種類の性別があって、特定の組み合わせでは交配ができるが、少しでも違う組み合わせでは交配ができなかったりするそうだ。
という話を聞いて、はたしてそれはきのこだけに限った話だろうか? と思った。僕達にはたった二つの性別しかないと僕らは思っている、思い込んでいる、でもそれが思い込みにすぎないんだとしたら。
もしかすると僕達は、何十何百もある性別のうち肉体的特徴だけを取り出して男と女なんて簡単な二元論に還元しようとしているんではないか、とか。
いうまでもなく二元論というのは優れて直観的であり、大衆に訴えかけるものがある。ゾロアスターをはじめとする多くの宗教に取り入れられているように。
とはいえ、それがやはりあくまで単なる宗教にすぎないとしたら、イデオロギーにすぎないとしたら。僕たちの性別は僕たちが考えるよりももっと複雑なのだとしたら。
ある心理学者の報告によると、異性愛者と同性愛者の差異はあくまで性的好みのグラデーションの差にすぎず、同性愛者にも異性愛的傾向はあるし異性愛者にも同性愛的傾向はあり、どこかにはっきりと閾値がある、というようなものではない。のだそうだ。
そうなると、同性愛とは、異性愛とは、性愛とは、愛とは、なんだろう?
そんな疑問を今回の作品には込めてみたつもりだ。
今回、BLというジャンルで書くにあたって、BLというジャンルというのはは意識的にせよ無意識的にせよ、性別というイデオロギーに真っ向から立ち向かいつつ、また、それゆえに何よりも強くとらわれている。なんてことを考えた。
性別という宗教を否定しながらも、性別という宗教がなくなれば、異性愛に対するカウンターカルチャーとしての存立の基盤を失う。そういう危ういところにBLというジャンルはある。なんてことを勝手に考えた。
ここでもう一つ重要なのは、BLはそのジャンルの特性上すべての作品がそのうちに物語を内包する、ということだ。現実、あるいは非現実の存在を、第三者の視点からキャラづけをし、カップリングをする。その作業は必然的に物語の生産を伴う。
そこがいわゆる現実的同性愛者によるゲイカルチャーと一線を画すところでもある。
空想的同性愛たるBLなんてものは所詮、読者や作者の頭の中にしかないものなのだ。
愛もまた頭の中にしか存在しないように。

というわけでコミティア97 V25a "アングラバンビ"様で普男子BLという本が発行されます。そこに短編小説を一本、寄稿させていただいので、よろしかったら足をお運びください。
書店委託もやるようです。詳しくはこちら