九州旅行最終日の前日に私たちは長崎に戻ってきました。
そこで印象的な出会いがありました。
このとき、私たちは坂本龍馬ゆかりの場所を観光する予定でした。
長崎の山の上に龍馬の銅像と、山の中腹に亀山社中という、龍馬たちが作った会社で海援隊の前進となったグループの建物の跡(亀山社中跡)などがある場所に行こうとしていました。
まずは龍馬像の所を目指しましたが、専用の駐車場が無く、カーナビの指示のまま龍馬像の近くまで、急で狭くてクネクネした坂道を登っていきました。
すると、個人の土地の空き地のような100坪くらいの駐車場があったので、そこに車を止めました。ここから龍馬像までは歩いて1,2分、そこから亀山社中に行くには車の通れないような狭い道を、山を下るような感じで歩いて行くとあるらしいのです。
すぐに龍馬像のところには到着しました。
でもそこには龍馬像とともに一人の子供がいました。
何でこんな所に子供がひとりでポツンといるのかとても不思議でしたが、その子供はサッカーボールを持っていて半ズボン姿でした。
長崎とは言えどこの日はとても寒くて北海道から来た我々でも半ズボンなんて考えられないくらいなのに、こんなところで一体何をしているんだろう?と思いましたが、その子供は私達に話しかけてきました。
最初、妻が子供とお話していたので内容はよくわかりませんが、その時たまたまビデオ撮影をしていたので会話が録画されています。
「ねぇねぇ、どこから来たの?」「北海道から来たんだよ」などと、子供と妻の会話が残っています。
龍馬像のところで一人で遊んでいたんだろうなと思い、少しお話したのですが、ついでに私と妻のツーショット記念撮影のカメラマンになってもらおうと思い、「おい、写真撮ってくれ」と頼むとカメラマンになってくれました。
(その後写真を確認したのですが、子供が撮影したとは思えないくらい構図がしっかりしていて最高の写真でした)
寒かったのでさっさと亀山社中に行こうと私は思いました。
子供に「じゃぁね」と言って龍馬像から亀山社中に向かって歩いて行こうと思ったら、その子供も私達に着いてきました。
車が通れない狭い道、階段状になっていてクネクネしていますが、所々小さな看板があって、亀山社中までは迷わずに行けそうです。
でも、その子供は「こっちから行ったほうが近いよ」などと私達を亀山社中まで案内してくれました。
その途中にその子の家もあって「ここが僕のうち」などと言っていました。
私はビデオを撮影しながら歩いていたのですが、妻は子供に北海道弁などを教えながら歩いていました。
10分位山を下っていくと、亀山社中跡がありました。
ここは有料なので、子供にまた記念撮影のカメラマンをしてもらってから「じゃぁ、どうもありがとう!」って感じで私たちは亀山社中の中に入り建物の見学をしました。
一通り見学して建物を出ると、まだその子供がいました。
私達を待っていたようです。
そして、近くに亀山社中資料館というのがあって、そこのほうが面白いよと教えてくれたので、案内してもらう事にしました。
亀山社中資料館は亀山社中跡のすぐ近く、小さな家のような建物でした。ここは入るのがただと言うことで、私達と子供と3人で入りました。
中に展示されている模型の日本刀などがあり、だいぶ子供も私達になれてきたのか、私はその子供に模造刀で後ろから切りつけられました。
「お、やったなー!」というと、子供はゲラゲラ笑って楽しそうでした。
この亀山社中資料館には係りのおばちゃんが何人かいて、私は気付かなかったのですが、妻が後で言うには、そのオバちゃんたちは子供のことを「ハル君」と呼んでいたようです。
ここで私はちょっとおなかが痛くなってきました。
九州旅行があまりにも寒くてこの日は体調がとても悪かったのです。喉も痛いし鼻も風邪のような症状で、本当は坂道なんか歩きたくなかったような体調でした。
で、資料館のトイレに入りました。トイレに入っている間に資料館のオバチャン達は「ハル君がこんなに懐くなんて、きっとあの人(私のこと)がハル君のオジサンに似ているからじゃないかな?」と妻に言っていたそうです。
資料館をあとにし、駐車場までは逆に坂道を登っていかなければならないということで、「嫌だなぁ」と思っていたのですが、オバチャンが坂道を登っていくのに楽なルートを教えてくれたので、ハル君と3人で歩いて坂を登りました。
この時には、ハル君が通っていたと言う幼稚園か保育園みたいなところを通っていきましたが、車に戻る途中でハル君が「僕のうちこっちだから」と私達が歩く方向とは別な方向に別れる事になりました。
ここでハル君とは「じゃぁね」って別れました。
本当は案内してくれたお礼にお菓子か何かあげようかと思ったのですが、手持ちがありませんでした。車のところまで来てくれたら何かあげられたのになぁ~と思いつつ、ハル君と別れました。
この間、ハル君との出会いから別れまで、約1時間ほどだと思います。
最初は龍馬像の所にひとりでポツンといて、正直少し不気味だと思ったのですが、1時間付き合ってみると、子供とはいえ旅行者の私達にとても親切にしてくれたしとても可愛い子供でした。
次ぎの日、私たちは北海道に帰ってきたのですが、どうもあの時のことが心残りでした。
何もお礼をしてあげられなかったなと。
で、そういう気持ちが日に日に大きくなってきて、妻と、「あの子供に何か贈ってあげられないか」という話になりました。
でも、また長崎に行くわけには行きません。
彼の事で知っている事は、小学校2年生だと言うこと、自分のうちが亀山社中と1丁目違いの3丁目だと言うこと、資料館のオバチャンたちが「ハル君」と呼んでいた事です。
亀山社中資料館に電話して、「11日の夕方に尋ねたものですが・・・」と連絡すればオバチャン達も思い出してハル君のことを教えてくれるのではないかと思ったのですが、妻は「小学校に電話して問い合わせたらいいのではないか」と言いました。
そして、私が連絡する事になりました。
長崎市のちょうどハル君が通っているであろう小学校に電話をすると、校長先生が対応してくれました。
そして、その時にあったことを話し、小学校2年生でハル君と呼ばれている子供がいないかどうか聞いてみました。
校長先生はその場で名簿を見て確認してくれて、私達が言った情報に該当しそうな子供が一人いることを教えてくれました。
そして、その子に確認してみてから折り返し電話をくれる事になりました。
1時間後くらいに校長先生から折り返しの電話があり、確認したところ、私たちのことをしっかりと覚えていて、間違いないということでした。
住所を聞いて直接何か贈ってあげてもいいかなと思ったのですが、突然北海道の知らない人から荷物が届いてもご両親が驚くだろうし、小学校としても個人情報の住所を教えてくれないだろうと思い、校長先生にお願いして、荷物を小学校宛に送ることで了解してもらいました。
妻にハル君の素性が分かったと連絡し、次の日に買い物に行きました。北海道限定のお菓子やちょっとした小物を買いました。そして、妻がハル君と北海道弁について話していたので、「北海道弁カルタ」を買って送ってあげる事にしました。
ところが北海道弁カルタがどこにも売っていなくて、インターネットで取り寄せました。
なにはともあれ、ハル君に贈ってあげるお礼の品が準備できたので、先週の金曜日にハル君と校長先生宛の手紙を入れて送りました。
そして、今日の夕方、校長先生から「無事に荷物が届きました」と連絡が来ました。
校長先生は、自分の小学校の子供に対して私達が親切な気持ちで贈り物をした事に対して感謝してくれました。「また長崎に遊びに来てくださいね」と言ってくれました。
私は逆に校長先生に「忙しい中親切に対応していただき、どうもありがとうございました」と言いました。
自己満足かもしれないんだけど、これで私達夫婦がハル君に何もしてあげられなかったことの後悔の念を取り除くことが出来ました。
ハル君にあてた手紙には「これからも観光客で困っている人がいたら親切にしてあげてください」と書いておきました。
しかし、観光客と言っても変なのもいるかもしれないから、誰でもかれでも寄って行って親切にしてあげてとは書きませんでした。
また、これに味を占めて「何かもらえるのではないか?」と誰にでも寄って行かれても困りますが、そこは小学校のほうできっちり指導してくれるだろうと思い、その点についても書きませんでした。
なにはともあれ、今回の九州旅行で、短い時間ではあるけど、ハル君と出会えてとても良い思い出を残すことが出来ました。
ハル君が大人になったら北海道に遊びに来ることがあるかもしれません。その時に連絡でもしてくれないかなぁ~なんてちょこっと思ったりもしています。
龍馬像
龍馬像のところから見える長崎
龍馬像から亀山社中へ続く細い道
北海道昆虫大好き!