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のほほんとしててもいいですか

ソプラノ歌手 佐藤容子のブログです。よろしくお願いいたします!

古代西洋音楽ー初期キリスト教の音楽。

2006-05-25 | 『音楽のはなし』
さてさて、きのうは思いがけず、古代ローマ時代に出足をくじかれた。
気を取り直して進みましょう。

は?

初期キリスト教の音楽も不明・・・!?

なるほど、不明ながら、解明しようと、あがいてきたらしい。
現存する最古のキリスト教の聖歌とされるものは、紀元280年のもので、オクシリンコス・パピルスに含まれていた「三位一体の聖歌」、別名「オクシリンコスの賛歌」。
これは、ギリシャ記譜法で書かれているらしい。

3~5世紀になると、アルメニア、シリア、エジプト、エチオピア、ビザンツ帝国で、地方色の強い賛歌ができた。

これらは、東方教会聖歌として、いまでも歌われている。
でも、1500年以上のアラブやトルコの支配の影響で変化してきた、と、考えられていて、みんなで歌っているうちに、歌いやすい音に変わったと思われる。
そんなのあり?


3世紀末には、贅沢をやめて、荒野の貧困生活で修行する信仰を実践しようと、修道院運動が盛んになった。
その祈祷のときに、全詩篇を順番に朗唱する、「詩篇連唱」の習慣ができた。

6世紀ころには、かつて荒野で歌われた詩篇唱も、聖堂の中で、だんだんと甘いメロディーになっていき、詩篇唱ブームが起きる。

初期キリスト教の集会では、晩餐のときにも音楽が親しまれた。

4世紀には聖職者の職務としてカントルという独唱歌手の地位が確立した。

初期にはローマ帝国の優れた情報網で、典礼方式や聖歌がある程度統一されていたが、帝国の崩壊後、伝達のシステムが寸断され、特に、西方教会という西ローマの地域では、独立した様式の地方典礼へと変わっていった。

西方教会では、南フランスのガリアでは、ガリア聖歌、スペインでは、モザラベ聖歌が知られている。

北イタリアのミラノでは、4世紀にミラノ大司教を務めた、聖アンブロジウスの名をとった、アンブロジウス聖歌、ローマには、ローマ聖歌といった、地方聖歌が成立した。

地方聖歌は、ローマカトリック教会が力を持つと、グレゴリオ聖歌として統一される。
そうなんだ!ふむふむ。




これで、古代は完了です。
次回からは、中世に移ります。
初期キリスト教の音楽は、想像以上に地味でしたね。
あまり、もりあがりませんでした。
中世に期待しましょう。



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