唯能論のことを調べてみました。
養老孟司の唯脳論について見ていて、たまたまたどり着きました。
「唯能論(ゆいのうろん)」とは、日本の哲学者 西周(にし あまね)(1829–1897)が1862年に著した文献で、「能力(能)」に関する体系的な哲学的考察を行った近代日本初期の哲学書の一つです。
『唯能論』の主な内容
西周は、当時の西洋哲学(特にカント以後のドイツ観念論など)を背景にしながら、「能」(=人間の働き・能力)を中心に据えて独自の哲学体系を構築しようとしました。
以下にその内容の概略を示します:
1. 「能」=あらゆる存在の基盤
世界を「すべては能(能力・作用)である」と捉える。
物も心も、形や物質ではなく「何かをなす力」や「はたらき」として見る。
例:「石」はそれ自体として存在するのではなく、そこに「堅い」「重い」などの能があるから存在している。
2. 主客の区別を越えて
主観(心)と客観(物)の区別を超え、すべてを「能」として統一的に把握する。
これにより、心身二元論などの西洋哲学的問題を乗り越えようとした。
3. 人間の「能」の重視
特に人間が持つ知的能力・倫理的能力に注目し、
認識能力(知る力)
判断能力(善悪を分ける力)
行為能力(実行する力)を重要視。
これらを哲学・倫理学・教育学の基盤とした。
4. 哲学用語の翻訳・創出
『唯能論』の中で西周は、哲学・心理学・論理学などの日本語訳語を多く創出した。
例:「哲学(philosophy)」「主観・客観」「理性」「感情」「経験」など
これらの訳語は、明治期以降の日本の思想・教育界に大きな影響を与えた。
まとめ
著者 | 西周(1829–1897) |
発表年 | 1862年 |
中心概念 | 「能(のう)=作用・力」 |
世界観 | すべての存在は「能」によって成り立っている |
哲学的目的 | 主客の対立を越えて、統一的な世界観を提示 |
影響 | 近代日本における哲学・教育・思想の土台を築いた |
① 『唯能論』の原文抜粋と解説
② 西洋哲学との比較(カントなど)
③ 西周の他の著作:『百学連環』の概要
① 『唯能論』の原文抜粋と解説
まず『唯能論』(1862年成立)の原文から、代表的な一節を挙げ、解説します。
🔹 原文(書き下し風)
「凡そ有といふは、能有るものなり。能無くして有ることなし。故に有は即ち能なり。」
🔸 現代語訳
「あらゆる『存在する』ということは、何らかの能力・作用をもつことである。
能力がなければ存在すると言えない。したがって、存在とはすなわち『能』である。」
【解説】
西周は「存在(being)」という概念を、物質的な有無や形ではなく、「働き・力(能)」の有無で捉えようとします。
これは、世界を「実体(substance)」ではなく「作用・関係(function, relation)」で見るという、近代的な思考法です。
彼は唯物論でも唯心論でもなく、「唯能(only-function)」を提唱しました。
② 西洋哲学との比較
✦ カントとの関係
カントは『純粋理性批判』にて、「認識は対象をあるがままに捉えるのではなく、人間の認識能力(カテゴリー)によって構成される」と述べました。
西周の「能=存在の本質」とする発想は、カントの「認識主体の能動性」を強く受けたものと考えられます。
ただし、西周はカントの複雑な体系をそのまま導入せず、より直観的で東洋的な表現に置き換えて理解しやすくしています。
✦ ヘーゲルとの関係
ヘーゲルの「精神の発展」や「弁証法」も、西周の「能の発展性・動的理解」に影響を与えています。
特に『百学連環』で見られる「学問の体系化」は、**ヘーゲル的な発展構造(下位→上位)**をモデルにしたと考えられます。
③ 西周の他の著作:『百学連環(ひゃくがくれんかん)』
【概要】
成立:1870年(明治3年)
内容:学問の分類・体系化を試みた日本初の本格的な学問地図(エンサイクロペディア)
【主な構造】
学問を 実学(事実に関わる)/理学(理論に関わる) に大別
さらにそれを:
心学(心理・哲学)
物学(自然科学)
事学(社会科学・実用)
などに分類し、100の学科名を一つの「連環(サークル)」に配置
【意義】
西洋の百科全書主義と日本の儒学的分類を融合したもの
今日の「哲学・倫理・心理・物理・経済」といった学問用語の体系的命名と普及に貢献
明治政府の教育行政や大学制度の整備に大きな影響を与えた
【総まとめ】
『唯能論』 | 存在=能(はたらき)とする哲学体系。主客二元論を超える |
西洋哲学との比較 | カントやヘーゲルの影響下にあり、独自の東洋的展開を加えた |
『百学連環』 | 学問分類図。近代日本の学問体系形成に多大な影響を与えた |