
沖縄への訪問は3度目になる。
いずれも社員旅行だ。最初に来たのは平成8年。
長男はまだ保育園生であった。
てんもりさんのブログの影響もあり
今回ほど、沖縄への訪問を楽しみにしていたことはない。
先日見た伸助さんの番組も、多いに琴線に触れた。
沖縄へは11時頃に着いた。
一番心配だった天気も良く、突き刺すような陽差しで
ジリジリと音を立てて、体が焼けていくようだ。
ホテルにチェック・インし、そこで昼食後、ゴルフ組と観光組に別れる。
それにしても沖縄の3日間、ゴルフだけをしに来る義母達もある意味凄い。
初日と3日目に付き合わされるニョウボも災難だが
子供らを押しつけられるオレもいいツラの皮だ。
年齢以上に子供で、親が居なければ何もできないヤツらなのだ。
特に下の息子は、外にいるよりは部屋の中で
パソコンやゲームをやっている方が好きなのだが
まさかホテルで留守番してろというわけにはいかない。
それでも以前に比べれば、ましになったが…
オレ達観光組は、バスで糸満にある「ひめゆりの塔」へ。

それにしてもなんと無知だったことか…
というより、なにか辛気くさい感じがイヤで逃げていただけなのだ。
沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校生徒222人による
「ひめゆり部隊」が看護活動を行った最後の場所である第3外科濠跡は
こんなに小さいところだったとは思わなかった。
物資が底をつき、突如の「解散命令」。
濠に打ち込まれた米軍のガス弾により多くの兵士や学徒が死亡。
命からがら逃げ出した者達は、荒崎海岸に追い込まれ自決。
資料館で、初めて知る戦争の歴史…
数少ない生存者の語る映像は心に突き刺さる。
その後は平和祈念公園に出向いた。
日本における唯一の地上戦であり、太平洋戦争最大規模の戦闘。
沖縄線での戦死者の名前を刻んである「平和の礎」には
今回、同行した義母の会社のYさんのお父さんの名前もあるらしいが
Yさんが物心着く前に出生したため、お父さんの記憶も無いという。

「平和の礎」を越えると真っ青な海が眼下に広がる。
こんな美しい場所が戦火にさらされたかと思うと
いまさらながらに心が痛む。
旨いものを喰ってノホホンと気楽に生きているオレ達は
この人達の犠牲の上にいる。
この日の夜は、夕食の後に国際通りにある
喜納昌吉さんのお店「チャクラ」に行った。

酒を呑みながら、沖縄民謡を楽しめるお店だ。
また、チャンプルーズのメンバーであり、喜納さんの妹さんである
啓子さん、幸子さんも出演されている。
このライブが素晴らしかった。

すべての武器を楽器に
すべての人の心に花を
すべての基地を花園に
戦争よりも祭りを!
沖縄で是非見たかったエイサーも小規模であったが、見ることができた。

腹にズシンと響く太鼓の音。キビキビとして勇壮な踊り。
途中から涙が止まらなくなり、名曲「花」で感動の頂点に。
音楽とはなんと素晴らしいものか。
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
「ハイサイおじさん」では、みんなで立ち上がって一緒に踊った。

戦争を繰り返してはいけない。
みんなが仲良く歌って踊る方が、絶対に楽しいに決まってる。
人を憎んだり、妬んだりする自分の小ささが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
喜納啓子さんのお使いになる、沖縄民謡版カスタネット『三羽』を
ニョウボが欲しいと言いだした。
フラメンコのカスタネットに通じるものがあるのだろう。
ライブ終了後、店内にあるショップで
啓子さんご自身による三羽のレクチャーがはじまり、みんなで教わった。

オレは喜納昌吉さんの活動を記録したDVDを買った。
泡盛でベロベロに酔っ払って、ホテルに戻り
よりによって、てんもりさんに電話をしてしまった。
夜遅くに、さぞご迷惑だったことと思う。
この場を借りてお詫びをしたい。
てんもりさん、ごめんなさい。