佐藤一郎の自省録+あるふぁ

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いじめの報道とか

2006年11月09日 02時14分25秒 | Weblog
また最近増えましたけど、どうしたんでしょうかね。

目新しいことがあるわけでもなく、いじめを苦に自殺なんてもう日常ちゃめしごとといえるはずですが。


今日ラジオで聞いた話は、教師に助けを求めても何もしてくれなかったとか、教師までもがいじめに加担していたといった、教師に焦点を当てた話。

根本のいじめの原因とは全然関係ないけど、自殺の原因にはつながってしまうから教師の対応が問題視されてるんでしょうね。

教師ってのは勉強を教えれるだけじゃ不足、むしろ近年では勉強を教える能力なんて必要なくなってきてますね、だって塾があるし。

マスコミがまたこういうことを取り上げるということは、教師は師として何を教えるものなのかを再確認すべき時期なのかもしれませんね。

いじめになるほど行き過ぎない上手ないじり方の授業とか


そういえば自殺した生徒の遺書の内容がニュースで公開されてました。

「いじめられてもう生きていけない、お父さんお母さんごめんなさい」

って感じな内容だったけど、私はこれを見て一つだけ関心しました。

自殺することに対して、両親に謝る気持ちがあったということ。

凄く悩んだ結果の自殺なのだと、それでもやはり、馬鹿だなと。


いじめる側の心理は凄く単純。

対象は誰でもいい、いじめて楽しめて、自分の属する集団に共通の意識を持てれば。

逆に、いじめられる側の心理は複雑です、そりゃテンパッてますから。

親や先生に相談するのは格好悪いとか、反抗したらもっと酷いことされるとか。

でもさ、たかだか同級生がさ、ちょっと群れてたかってくるのが、死ぬことよりも怖いのかな?

私はいじめによる自殺って凄く本末転倒だと思ってます。

本気で生きてるなら、なりふり構わないだろうし、反抗だってするものだろうし。

自殺できる人って、生きることに大して執着がない人なんですかね。

でもそんな風に生きてる人がいじめで悩んだりしませんよね。

案外、勘違いで死んでいってるんじゃないかとすら思えてきます。

「誰でもいいいじめの対象に選ばれた自分はとても不幸だ」

のような、思考の止まってる人間特有の勘違いで。


「誰でもいいいじめの対象に、何故自分が選ばれたのか」

そういう風に客観から物事を見る癖をつければ、物事に見合った行動も起こせるし、ある日突然自分の悩みがいかにちっぽけか気付きもするのに。


ってか、貧乏症の人間なら自殺なんて、もったいなくて出来ませんよ、ええ。


結論「自殺は贅沢」



ってことで、深夜に文章は書くものじゃないと悟った佐藤でした。