まだライブ中だと思っていたのに、早々に長野市芸術館のライブレポを頂いて、ビックリしました 今日はいつもより早い、4時開演だったんですね!!
昨日1列、今日は2列(実は前の席が無くて1列)という、信じられないほど神席続きのmarucheroさんより、有難うございます
長野 ジュリー💕
ジュリーはとても元気で連続LIVEとは思えない歌声とパワーでした😍
桜満開🌸
京都、金沢 長野
桜満開LIVEとご機嫌さんではじまりました
MCでは
16時開始のライブは年寄りのジジババ時間・・
長野に撮影に来た時
白馬からの道が今一つわからない。
撮影場所で空き時間に
白馬の町への行き方をGoogleで検索しても
その場合が入らないから わからないとの事
オリンピックの時の
スキージャンプの会場の話で原田選手が
舟木と泣きながら応援する顔真似をして笑わせてくれました。
ジュリーはジャンプの選手の名前を何人か上げ
高梨や小林陵侑とか応援する時に
ここという時はどうしても
こばやし〜と原田選手がやってた船木応援のよのうな
応援になるみたいな事を言ってました。
大谷くん よかったね
と大谷選手の事にも少しふれて
ホントにいい子?だ
みたいな事をいって
別に私の子供でもなんでもないのですが。。。
あちらはスター❣️
あ、私もかつては スター💕
今でも現在進行形でやってますけど。。。
みたいな事を言ってました。
連続LIVEなのに
75歳とはとても思えない。。。
流石のジュリーでした👍
レポを有難うございます、二日間、お疲れ様でした。ゆっくりジュリーの思い出に浸って下さいね~
★長野県民の高杉セブンさんからも、レポを頂きました♬
長野市民芸術館行ってきました。4時からスタートして長野駅まで駆けて6時11分の電車に間に合いました。家には8時前には着けそうです。母無事。良かった。
桜満開🌸ラスト公演。暑いくらいでした。物販のツアーTシャツ、新しい想い出のリメイクぽかった。3年前の豪華な写真集出版でまた早川タケジさんがデザイン手掛けてくれたのかなあと思いました。
昨年1曲目がジャストフィットで、今回がストリッパー。アメフトみたいな格好で出てきました。jijiのロゴが(笑)明日は晴れる、ACB、マンジャレカンジャレアモーレ、さよならを待たせて、Lucky一生懸命を除いては70年代〜80年代のヒットパレードで構成されていて往年のファンには心地良いセットリストだったかと思います。ストリッパー、おまえにチェックイン、恋のバッドチューニング。私の高校時代を彩ってくれた大好きな歌を 6列目で見られて最高でした。難聴の噂を打ち消してくれました。確かに本人も言われていたように、もう前みたいに1日では回復しない声の疲れはあったけど、やり切ってくれました。
2008年の還暦公演の大阪ではセーブして歌ったので、東京ドームまで持ったとか、80曲歌うなんて昭和のスターしかやらんから 暫く記録破られんやろと思っていたら、LUNA SEAの河村隆一が81曲歌った。どう思います皆さん。大スターへのリスペクトは無いんかい(笑) 楽しい空間でした。
映画「土を喰らう12ヶ月」のロケ地をグーグルで検索しても出てこんのや、とか地元ネタも入れてくれました。本当に行って良かった。去年も良かったけど、チケット購入したけど行けるか不安だったので。お留守番してくれた母にもお礼を言わないと。今日の夕飯はキヨスクで買った駅弁信州鶏南蛮弁当です。
留守番のお母様がご心配だったと思いますが何事もなく、地元でジュリーを前の席で楽しめて良かったですね♬ 地元ネタがMCに入ると、いっそう嬉しくなりますね(^-^) 長野のロケ地はどこだったんでしょうか?行って見たいです✨
ジュリーさま、二日連続のライブ、お疲れ様でした
テレビ情報なのですが、今朝、フジの[早く起きた朝は]での、松居直美ちゃん、由美ちゃん、貴理子ちゃんの3人さんの会話で、直美ちゃんが最近、YouTube での沢田研二さんにハマってしまったと。もう、興奮気味に。台所に行っても、5分したら、又、沢田研二さんを見たくなってと。磯野貴理子ちゃん達も、[もう、今、あんな人はいないわね~!♬カサブランカ~の歌詞を、興奮気味に説明してる直美ちゃん。ハマっちゃったの♡と。まったく、凄いなジュリーは。でも、ファンとして、嬉しいご報告でしたね。そうか、松居直美さんもジュリーを知ってしまったか。遅くはないよと言ってあげたいです。
お名前失礼しました。
お久しぶりですね、コメントどうも有難うございます♪
私も長野、白馬の文字をみたら、キュンとなります
>『フジの[早く起きた朝は]』は、関西では放送していないと思います。松居直美さんはジュリーは知っていると思いますが、ジュリーにハマってしまったんですね!(^-^)
ほんとに、今からでも遅くない、ジュリー沼にドップリはまって下さい!と言いたいです。
お知らせ、有難うございました
TOKIOの合いの手は私も好きではありませんでした。フッフッ〜とかいう乗りも。2000年代くらいからだと思いますが、あれやられると余韻もへったくれも無くなって。一昨年まだコロナ禍闌の頃のLucky一生懸命のB面のTOKIO2020では大人しいTOKIOを吹き込んであの合いの手は消えましたが元に戻したらまた復活して天下。本人ももう好きにやってくれという境地だと思います。板場で歌って離れたらそれはもうお客さんのもんやという。TOKIOは発売時のプロモーションでラジオのアナウンサーがトーキョーと発音していました。TOKIOで定着したのはヒットした事もあるけれど
、圧倒的なジュリーのパフォーマンスとそれに耐えうる歌唱力あってこそだと。80年代に一番ウレタン作品はストリッパーでしたが、代表作はTOKIOになるのだろうな。
コメント有難うございます♪
震災関連の2010年代の作品は、セットリストから無くなりましたね。根腐れポリティシャンは、厚顔無恥な政治家か多くて呆れかえっている状況で、残ってもいいのにと思いました。
TOKIOの合いの手が、いつから誰が始めたのか、不思議ですが、ジュリーは喜んでいないので、次はやめようと思います。
>『80年代に一番ウレタン作品はストリッパーでしたが、代表作はTOKIOになるのだろうな。』
80年代とか年代には関係なく「TOKIO」は、ジュリーの曲の中で、どこからでも一番聴こえてくる曲になりました。いつの間にかジュリーの代表作になりましたね。