
黄昏どきはなぜ人を淋しくさせる
のでしょう。昼と夜が溶け合う微
妙な時間。夕焼け空がやがて青い
闇におおわれていく様子を見てい
ると、忘れていた想い出がよみが
えったり、今ここにひとりでいる
ことが心に迫ってくるものです。
誰かと一緒ではないと所在なさに、
途方に暮れてしまうかもしれませ
ん。不思議なもので、黄昏どきと
いうのは恋人がいてもいなくても、
人をうら淋しい気持ちにさせるも
のです。
そう、ずいぶんと昔の話。秋に
なり日が短くなる頃、何か・・・
自分を含む世界が黄昏ていくのを
ただ眺めていた。それは淋しさを
呼び起こし、せつなさの琴線を弾
きました。黄昏ていく世界の中で、
自分はいったい何なのだろう・・・。
愛する人と自分を重ね合わせなが
ら、長い夜を連れてくる黄昏の紫
色に包まれたものでした。そんな
気持ちになるのは誰かを想ってい
るからなのです。
愛する気持ちと憎む気持ちが裏
腹であることに気づいたのはいつ
のことだったでしょうか。自分が
愛する気持ちと同じくらい愛して
ほしいと願い、かなえられなかった
ときの絶望感。それは憎しみにすり
替えられていくのです。そして同時
に、愛することの孤独を感じずには
いられない。愛しあうのはふたりの
作業でも、愛するというのは自分だ
けの心の中での作業。ふたりでいて
も孤独なことはあるのです。
孤独は心を強くする。淋しさにま
かせて誰でもいいから誰かと一緒に
いたいと望むのか、孤独によって
自分の弱さを見つめ、心を磨き、
本当の恋をつかんでいくのか。
淋しさ味わうことも恋の一部なの
かもしれません。