
「好き、好き、好き」と
言いながら、まるで何かに
追い立てられるように、
愛を貪り合う。
二十七歳だった。
わたしたち。
好きで好きでたまらない
のに、お互いを傷つけ合う
ことでしか、その気持ちを
表現することのできない、
傷だらけのアザミの
ようだった。
「好き、好き、好き」と
言いながら、まるで何かに
追い立てられるように、
愛を貪り合う。
二十七歳だった。
わたしたち。
好きで好きでたまらない
のに、お互いを傷つけ合う
ことでしか、その気持ちを
表現することのできない、
傷だらけのアザミの
ようだった。
ウソつかない、だからキズつく
だからキズつける
ウソつかない だからスキ
だからキライ
ウソつかない だからクルシイィ
だからラクチン
ウソつかない だからタタカウ
だからアイシアウ
ウソつかない だからイタイ
だからキモチいい
ウソつかない だから
もっともっと迷ってもいい
もっともっと迷おうよ
だからウソつかないじぶんに
FOLLOW YOUR HEART
※じぶんの中にある評価と、じ
ぶんの外にある評価というか、
感じ方、捉え方の落差について。
内と外のふたつの評価の差が
どんどん大きくなっているような
気がしていた。
目の前に突きつけられる矛盾
した評価、感じ方、捉え方を
同時に告げられることで、は
じめて人の内側にある何かが
動き出すような気がしていた。
たとえどんなに悩んでいても、
たとえば何かショックを受け
て茫然と街を歩いていても、
ふと風に乗ってきた香りに
心が一瞬ぐらついてしまう。
(みたらし団子、どっかで
焼いてる。)
香ばしいお醤油の香りに、哲学
していたことも、茫然としいて
いたことも、頭から一瞬姿を消す。
ああ、また生きていけそう。
こんな瞬間に、私は自分の生命を
感じている。こんな瞬間に復活
してしまう自分が大好きだ
咲けば必ず散るのが花の
運命だ。
美しければ美しいいほど、
散るのはさぞ辛いことだろ
う、と思うのが人の心だが、
花の心は、どうやらそうで
もないらしい。
堂々と花ひらく薔薇。散る
ことを前提としていながら、
こんなにもいさぎよく、明
るく、美しい。
これまでの自分の生き方は
散ることを怖れて、咲くこと
をためらっていなかっただろう
か?
散ると決まったわけでは
ないときにも、一歩が踏み
出せないことがあったので
はないだろうか?
花は生きている、これからは
違う生き方を選んでいきたい。
『ためらひもなく花季(はなど
き)となる黄薔薇
何を怖れつつ吾は生き来し』
【すぐれた人と凡庸な人の違い
は受け入れ姿勢の違いにある】
ある職業を喜んで、さらに心から、
受け入れた場合と、その同じ職業
をいやいやながら甘受した場合とで
は、実際に大きな違いがある。
すぐれた会計係と凡庸な会計係、
すぐれた大工と凡庸な大工との
違いはすべてこれである。
「自分のような人間でも、ひろっ
て使ってくれる会社があった。
嬉しい」といって働く人と
「本来はオレのような才能のある
人間が働くような職場ではないが、
しょうがない、勤めてやっている」
と考えて働く人と比べたらどうだ
ろうか。
仕事の取組み姿勢も、仕事のでき
ばえも違っていて当然のことでは
ないだろうか。
職業や職場に対するこうした意識
の違いは、新入社員のうちはあま
り大きな差にならない。
しかし五年、十年たつと取り返し
のつかないほど大きな差になる。
どんな仕事にも奥行があるもので、
一つのことをマスターするとまた
自分の知的収穫に刺激されて
次のことを覚えたり、試したく
なるというようにできている。
誰かが「仕事の報酬は仕事だ」
とうまいことをいっていたが、
そのとおりである。
やっているうちに面白くてたま
らなくなる。
こうやって楽しんで、そのうえ
月給をもらうのだから悪くない。
この人は二重に報酬をもらって
いることになる。
これをくりかえして何年もたつと、
当然明らかに違いがでてくる。
仕事を楽しんでいる人にはいつの
まにか豊富な知識や技術、経験が
身につく。
上司からも仲間からも頼られる
人間になっている。
仕事を心から喜んで受け入れた
結果である。
これに対して平凡なビジネスマン
はこんなふうにいう。「オレは月給
ぐらいの働きはしている」。「会社
の体制をもっと良くしてくれなきゃ
仕事がやりにくくて困る。おまけに
「オレはプロだ」などとうそぶく。
なにがプロなものか。他の仕事は
できないというだけのことではない
か。
人は
相手の自分に似ているとこ
ろ 好きなところを
選択的に見て近づき
似てないところ 嫌いなとこ
ろを
選択的に見て 離れていく
どちらの時も相手は同じだ
ったのに
好きになるために自分をだまし
嫌いになるために自分をだまし
ている
恋をしないように努めることも
できるし
恋をするように自分をしむける
こともできる
そのことがわかっていて
どうして
才能を
見つけてくれる人に、
人は動かされる。
自分の部下を「あいつはダメだ」と
言う上司は、人を動かすことが
できません。
上司の仕事は、自分の部下がダメ
かダメでないかを判断することで
はありません。
ほかの人がダメだと言ったとして
も、その部下の才能を何か見つけ
てあげるのが仕事です。
これは、プライベートでも、恋愛
関係でも、まったく同じです。
人間は自分の才能を見つけてくれ
てもらう喜びが、やる気になりま
す。
その見つけられた才能を使う喜び
が、人を動かしていくのです。
「堪忍は無事長久の基」という
のがあります。
私たちは、どうも修行が足りない
のか、何かおもしろいことが
あると、老いも若きも、「アタマ
にきた」と、すぐ怒りだして
います。
雨に洗われた若竹は青々として
いて、伸びやかなうえに、い
かにもしなやかでいいものです。
若竹は竹の子が出たかと思う
と、メキメキと大きく高く
伸びて驚くばかりです。
ところが、竹笛などを作るとき
は、この若竹は絶対に使いま
せん。
何年も霜をくぐり、雪に耐え、
霧に濡れ、みぞれに打たれ、
いわば風雪に耐え抜いた竹
を選び抜いて作るのです。
若竹は見た目のは伸びがあり、
美しいのですが、竹の質が
粗く、細工は楽ですが、ひび
割れしたり、虫が食いやすい
のです。
そのうえ、最も大切な音色が
まったく違うのですから不思
議なものです。
みなんさんも竹笛を見たこと
ことがあるでしょうか、青々
とした若竹はなかったでしょう。
音色のよい、重量感のある竹
笛・・・・
そうです。風雪に耐え抜いた竹
のように、私たちも、すぐ腹を
立てないで、“無事長久の基”
である堪忍竹になりたいもの
です。
小さなことにいちいち腹を
立て怒りをぶちまけるのは
もうヤメにしましょう。
気にくわないことが起こっ
たとしてもグッとこらえて、
相手を思いやれる心を自分
の中に育てていこうでは
ありませんか。
そしてひとたび口を開けば、
説得力のある充実した話を
したいものです。
目を開けると、窓の外には、く
すんだ大阪の空が広がっていた
けれど、彼に抱かれて目を閉じ
れば、わたしは容易に「原色
の世界」に飛び込んでゆくこと
ができた。
けれども、旅には始まりと、終
わりがある。
恋も同じだ。
情事はもちろんのこと。
そう、つまるところ、人生も
同じなのだ。
それは始まって、必ず終わる。
例外はない。
結婚を別にして、人間は、男と女の
関係が始まったらあとは別れがある
だけだ。これは体験的要素。
問題は、別れがはやい時期におとず
れるか、あるいは少しでも先にひき
のばせるかだけ。
恋の初期があれだけ甘美でめくるめ
くような興奮で満たされるのは、つ
ねにどこかに、いつかこの恋で終わ
ることを恐れる気持ちがかならずか
くされているからである。
あなたは、『空虚』と『傷心』と、ど
ちらをとる?」
私は、「なにがなんでも
『傷心』に決まっている」と飛びつけ
ないのだ。
若いときの傷のなおりははやい。傷口
はすぐにふさがり、傷あとさえ残らない。
肉体的にもそうだ。ヤケドなどしても、
二~三日で消えてしまう。
ところが年をかさねるにつれて、傷は
なおりにくくなり、傷あともなかなか
消えない。へたをすると、傷口は永久
に残ってしまうこともある。
しかし冷静になって考えると、男と女
の関係、いいではないか。別れもまた
いいではないか。大事なのはどのよう
な別れをするか、その別れの質なのだ
から。
せめて、いい別れ方のできる恋愛であ
るよう、と心をくだくべきであって、
ティーンエイジャーのように尻込みす
るときではない。
いまは初秋である。庭を吹く風に透明度
がくわわり、ひんやりと冷たい。
それにしても妙にさびしいものだ。
「疑問符」は実態のあるもの
ではないから、比喩的に「相
手への疑問を消しきれずに、
軒先を見つめて、思いを
宙に漂わせる。
この人といつまでも一緒に
いたいと思う感情って、
こんな短時間で形成される
んだ・・・・・
人が人に惹きつけられるの
って、時間じゃないよね。
その人の個性がはっきりでて
いて、
それを好ましく思えば、
こんなにもすぐ人を好きになれる
それは鉄のように固く閉ざす
ものではなく、また、ガラス
のように冷たい感じのバリゲ
ートでもない。
世界からも自分は見え、自分
からも世界は見える。個体と
液体の中間のような感触。
無色透明だけれど、確かに
存在する膜を身にまとって
いる。
青春の、いいようにない
憂鬱や理屈ぬきの清潔
やわけのわからない孤独
などが「寒天質」を形
づくっているのだろう。
「よく聞けば」
法廷で女の証人が呼び
出された。
判事「何才ですか?」
女の証人「21才と数か月・・・・・」
判事「はっきり言ってください。
宣言してるんですから」
女の証人「21才と百二十カ月」
傍聴席「ざわざわ!?!?!?」
四十六歳になる婦人が乳がんと
診断され、しかも手遅れで、あ
と数か月の命と宣告された。
婦人は、父親の故郷である山口
に旅し、旅から戻ると、大学生
と中学生の二人の息子に向けて
自分の生い立ちや生き方などを
書き綴った。そして、母親がい
なくなっても困らないようにと、
息子たちに料理を教えた。
「交通事故で突然死ぬことを考え
れば、むしろありがたい、やるべ
きことはすませられるだから」と、
気丈に自宅で闘病生活を送った。
最期の一か月は、美しい母親と
しての思い出を残したいから
日々衰える姿を見せたくないと、
息子たちの病室への入室を禁止
した。
やがて婦人は亡くなり、地元紙
の広告欄には、訃報とともに
「この度、私は病気により急ぎ
旅立つことになりました。・・・
皆様に、心からお礼を申し上げ
お別れをしたいと思います」
という自筆のお別れの言葉が
掲載された。
誰にも死は訪れます。取り乱して
いたずらに時を過ごすのではなく、
死をきちっと見据え、
自分はこれだけのことをしたと胸
を張れるように、今をしっかりと
生きたいものです。