
恋人との別れを考えるとき、そ
れは死ぬことによく似ていると
思う。
淋しさを弔い、涙を静め、思い出
を抱きしめる。
私たちはそれを繰り返しながら
喪失感に慣れてゆく
恋人との別れを考えるとき、そ
れは死ぬことによく似ていると
思う。
淋しさを弔い、涙を静め、思い出
を抱きしめる。
私たちはそれを繰り返しながら
喪失感に慣れてゆく
恋がね、 人生っていう夜空にまいた
星だとすれば、 彼女のことは、俺
にとっては一番星なんだ。
口に出したら 気持いいだろうな
「俺の彼女」なんて
恋愛をテーマにした詩歌の、西
洋と日本の違いについて書かれた
文章を思い出した。
「詩形の相違以前に、愛する女性
をどのように言葉の中で飾り、崇
(あがめ)め、表現し、賛美する
かという点(中略)彼我の詩人た
ちはおそろく違った世界に生きて
いた」。
西洋の詩では、たとえば相手の女
性を、月や星や太陽まで総動員し
て褒め称える。が、日本の古典詩
人たちは、ほとんど相手の形象化
には興味がなく、もっぱら当人の
嘆きに重きが置かれている、と。
詩歌のありかたの違いはつまり、
彼我の恋愛のありかたの違いを、
反映してきたのだろう。
では、現代の日本の男性は、ど
うなのだろうか。ベットでまった
く無言というのも味気ないが、か
といって西洋の詩人のように愛を
ささやくのも照れくさい。
歌は、現代の男性の、精一杯の
つっぱりと思いやりだ。何かを語
りかけようとする姿勢と、でも軟
派な愛の言葉は俺には似合わない
という気持ちと。そこから生まれ
た「文明がひとつ滅びる物語」。
それは、幼いころ母親が、枕元で
話をしてくれたような懐かしい
甘さを感じさせる一方、女性の砦
を崩してゆくことの暗示。
「翅脱がせてゆく」という言葉が、
エロティックだが美しく、薄く透
けるようなアンダーウエアーを剝ぐ
ことの比喩であり、また彼女の
自由を奪う意味でもある。
相手を、蜻蛉(とんぼ)のように、
はかない存在としていとおしむ
気持ちも翅にある。
「一郎くんとは、結婚できない。
ほかに好きな人ができたの」
「だったらどうして?」
僕は彼女に詰め寄った。結婚
できないと言われたことよりも、
今、ふたりが裸でベットのなか
にいる、ということの方がショ
ックだった気がする。指輪も受け
取って、ついさっきまであんなに
情熱的に僕を求めておきながら、
どうして?ほかに好きな男がいる
なら、どうして、僕とこんなこと
したんだ?
「最後の思い出をつくろうと思っ
て」
彼女がそう言った時、僕ははっ
きりと悟った。結局、僕らはなん
にも、何ひとつ、分かり合えてな
どいなかったのだ、と。
そこまで思い出して、はっと
我に返った。
※
祈りの甲斐もなく、出てきた。女だ。
しかも一番出てきて欲しくない女だ。
「十杯目ですね」
バーテンダーがそう言って、僕の目
の前にカクテルグラスを差し出すの
と同時に、彼女は姿を現した。
「えっ、十杯目?もうそんなに飲ん
でます?」
信じられない。信じたくない。そう
だった、十年前だった。あれは今から
ちょうど十年前の出来事だった。十
年前の出来事だった。十年前に、僕
は彼女に・・・・・
そこまで思い出してから僕は「ああ
っ」と声を上げた。「おお」だったか
もしれない。待てよ、あては今から
十年前のきょうの出来事ではなかった
か。十月の第二月曜日。体育の日。
ハッピーマンデイなる制度が実施され
て、日本は祝日だった。
間違いない。
その日、僕は成田を飛び立って、ニ
ューヨークに向かう飛行機に乗ってい
た。旅行鞄は煉瓦が十個くらいはいる
のかと思えほど重たかったが、体は妙
に軽かった。なぜなら、僕の胸にぽっ
かりと、大きな穴があいていたからだ。
前の晩、彼女から別れを宣告されたば
かりだった。
そこまで思い出して、はっと
我に返った。
なんて馬鹿なんだ、僕は。なんて
間抜けな男なんだ。おまえは。ど
うしようもないことばかり思い出
して、ものすごく大事な人のこと
を、すっかり忘れてしまっていた
じゃないか。
十杯も酒を飲んでいるとは思え
ないほど、思考回路はクリアーだ。
電話に出た相手に、僕は声を弾ま
せていった。
「もしもし、素敵なベイビーに、
デートのお誘いです。実はつい
さっき、クライアントから連絡
が入って、夕方のアポイントメ
ントがひとつ、急にキャンセル
になってね」
ああ、なんてことだ。きょうは
僕たち夫婦の重要な記念日じゃ
ないか。
ニューヨークに向かう飛行機
のなかで、僕の隣に座っていた
人。どちらからともなく自己紹
介をし合って、世間話をして、
それから映画が始まって・・・
その映画は、逆立っちしたっ
てうまく感情移入することので
きない、他愛ない動物ものだっ
たのだが、熱心に見ているふり
をして、僕はだらだら涙を流し
ていた。くやし涙だ。ひと晩た
ってもまだ情けなくて、みじめ
だった。
映画が終わってふと隣を見る
とそこには、柔らかな、あたた
かな、春の女神のようなパーフ
ェクトな笑顔があった。のちの僕
の妻となる人、恵美のハッピース
マイル。
ありがとう。恩に着るぜ。信号
待ちの交差点で、思わず天を仰い
で、昔の彼女にお礼を言った。
そうなのだ。僕は彼女に感謝しな
くちゃならない。なぜなら、彼女
が僕をふってくれたから、僕は
恵美と一緒になれたんだ。
バスターミナルが近づいてきた。
入り口近くに花屋のワゴンが停ま
っている。つかつかと歩み寄って
いくと、僕は迷うことなく、無数
の花のなかから深紅の薔薇を一輪
だけ抜き取って、買い求めた。
今夜は愛一本で勝負するつもりだ。