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サンゴロウ商会業務日誌

ナンチャッテ会社サンゴロウ商会の活動の様子
朝から恐い目にあってビビりつつもテルミニ駅へ到着。地下鉄に乗るのですが、自動販売機で切符を買うために鞄から財布を取り出すのもビクビクします。

なんとか地下鉄に乗り、チルコ・マッシモ駅で下車。本日最初の目的地、カラカラ浴場まで10分ほど歩きます。「カラカラ浴場通り」はまだ午前中だからか人通りが少なく、まわりは広場になっているので木が鬱蒼としてます。天気がよく気持ちがいい。

しばらく歩いていると、向こうから歩いてきた男の人に英語で道を尋ねられました。地図を広げながら「すみません、テルミニ駅はどちらですか。助けてほしい」と言ってくるので、「地下鉄に乗らないと駄目だよ。駅はあっち」と教えていました。

するとどこからか別の男二人組がやってきて、道を聞いてきた男と我々の計3人に対し、警察手帳のようなものを見せ職務質問のようなことをしてきた。まずは道を聞いてきた方の男を調べはじめる。パスポートや、ポケットの中に入っている所持品を点検しだした。警察風二人組のうち一人が、男が持っていたポケットティッシュの匂いを嗅いだりしている。もう一人がこっちを向いて「コカインの取り引きが多いから」とかなんとか言ってくる。男の財布の中にはUSドルが入っていた。

うちらには関係ないや、面倒なことに巻き込まれるのは御免だ、と思ってその場を立ち去ろうとすると、「No! 動くな!」と怒鳴って開放しようとしない。そして今度は我々にパスポートを出せと言ってきた。

警察風とはいっても制服を着ているわけではなく、警察手帳っぽいものを一瞬見せられただけなのでまったく信用できない。というか、偽物にちがいないと疑っていた。しかし下手に逆らうと何をされるかわからないという恐怖感があったのでしぶしぶ従いパスポートを渡した。財布も要求されたので、すごく嫌だったけどやむなく渡す。やつらはパスポートや財布の中身をジロジロとこねくりまわしたが、特に何を取るわけでもなく返した。

ということでまたしても嫌な目にあってしまった。被害がなかったのが不幸中の幸い。現金を少ししか持っていなかったのであきらめられたのかも。

後になって考えると、たぶん道を聞いてきた男もグルだったんだろう。まずターゲットの語学力を確かめるのだ。ペラペラだったら警察に電話するといった反撃に出られる可能性があるし、逆に全然だと脅しが効かないから、そこそこであることを確認するのではないだろうか。財布の中身がUSドルだったのもわざとらしい気がする。ユーロを持っていないと不便だろ。

こんなときはどうするのがいいんでしょうね。誰かアドバイスがあれば教えてください。

写真はあいかわらずベネチアの街角。ベネチアはこんな風に道路と運河が混然としているので下を見ずに歩いていたら運河に落ちてしまいそう。
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9月4日、ローマ。快晴。

これまでミラノ、ベネチア、フィレンツェとずっと1泊ずつで忙しかったのですが、ローマは3泊するので少し腰を落ち着けられる。丸々2日間を観光にあてられるので、一日は古代ローマ巡り、もう一日はキリスト教聖地巡礼というテーマで歩きます。

朝、ホテルを出発。まずは地下鉄に乗るためテルミニ駅まで歩きだした。ホテルから駅までは北に向かって徒歩5分くらい。片道2車線くらいの普通の道の歩道。社長と会長は並んで(会長のほうが半歩くらい後ろかな)歩いてました。

太陽を背にして歩いていたので自分の影を見ることができる状況だったのですが、歩いている途中で会長が異変に気づきました。背負っているリュックサックに背後から何者かが手を伸ばしているのが影でわかったのです。少し前から、後ろを歩いている人間が気になっていたのですが、とうとう手を出してきました。

すぐにリュックサックを降ろしてガードすると、背後にいた男はすっと身を引き離れていきました。リュックサックを確認すると口を閉じていた紐がほどかれてました。そんなことをされていたとは、全然気がつかなかった。幸い、中身は何も取られていませんでした。気がついたのが早かったのがよかったみたい。たまたま北向きに歩いていたので影が映って気がついたけど、そうじゃなかったら被害にあっていたかも…

その男は、我々から離れると車道を横断し反対側の歩道に行くと、そっちでもさっそく仕事に取り掛かっていました。アッケラカンとしたものだ…

写真は本文とはぜーんぜん関係なく、9月2日のベネチアから。ミラノもベネチアもフィレンツェも特に危ない目には会わなかったのに、ローマに来たらいきなりこれだ。やばいな、ローマ。
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ヴェッキオ橋から歩いてドゥオモヘ。すぐ隣にジョットの鐘楼がそびえているが、まずはドゥオモを見学。立派な教会だ。

さて、フィレンツェのドゥオモといえば、映画冷静と情熱のあいだで、ドゥオモからのフィレンツェ市街の眺めのシーンが印象に残っている。オレンジ色の屋根が眼下一面に広がるあの眺めはイタリアに行ったら絶対見たいと思っていた。

しかし、あの眺めを体験するにはドゥオモかジョットの鐘楼に登らないといけない。高所恐怖症でミラノのドゥオモでつらい思いをした社長にはどちらもかなりデンジェラス。ドゥオモのクーポラは狭いところを体を傾けながら登ると聞いていたので途中で帰りたくなっても引返しにくいだろうし、ミラノ同様クーポラ内部の広い空間が頭の中にインプットされてしまっていて、その空間の上に建つことをどうしてもイメージして気絶してしまうような気がした。その点ジョットの鐘楼なら4階建てみたいな構造になっているので、1フロアずつ自分の行けるところまで行けそうだ。ということでジョットの鐘楼に恐る恐る登ってみることにした。

4階建てといっても高さは84mあるので1階分だけでかなり高い。まずは2階へ。社長にとってはこれでも十分つらいが、しかしまだ景色はいまいち。隣に見えているドゥオモもまだ半分くらいの高さだ。

意を決して3階へ。相当高くなった。景色もなかなかいい。ドゥオモもクーポラの丸屋根が同じ目線くらいのところにある。そして、恐い。もうこれ以上は絶対無理だと思ったので、高いところが平気な会長にカメラを託してここからは一人で上へ行ってもらう。

ほんの5m四方くらいの面積なのだが、そのフロアを歩くのがつらい。2階から上がってきた階段の出口付近はすこし安心できるのだが、そこから離れるのが恐いのだ。4階に上がる階段は2階からの階段出口の反対側になるのだが、そこなんか覗くことさえ出来なかった。

それでも時間をかけて慣れればもうひとつ上まで行こうという気になるかもしれないと思い、5分くらいは踏み止まって、強がってまわりの景色を眺めたりしたけど、やっぱり無理。一旦2階まで降りる。ここならわりと大丈夫なので、ここで一旦落ち着いて再度3階に行けば今度はもっと上がる気にもなるかなと思ったけど、他の観光客がてっぺんまで行って平気な顔をして戻ってくるのを見ているとなんだか惨めな気持ちになって結局一番下まで降りてしまった。はぁ。

その後、メディチ・リッカルディ宮殿へ。メディチ家が住んでいたところということだったが、いまいち何を見せたいのかよくわからん施設だった。

夜にはユーロスターでローマへ移動。
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ウフィツィ美術館を出て、ふたたびヴェッキオ橋へ向かい、今度は橋を渡って対岸へ。ピッティ宮殿を見学。

この宮殿の2階はパラティーナ美術館という施設になっている。ピッティ宮殿はメディチ家が使用していた建物で、パラティーナ美術館も、メディチ家が収集したという展示品もさることながら、展示室として使われている部屋自体が豪華ですごい。

ちなみにメディチ(Medici)はmedicineの語源らしいですよ>会長。という豆知識は帰国後に知りました

ビッティ宮殿を見終ったらまたまたヴェッキオ橋へ戻る。ヴェッキオ橋は、写真のように2階建てになっているが、この2階部分は「ヴァザーリの回廊」といってウフィツィ美術館からピッティ宮殿まで繋がっているのだそうだ。

1階部分のほうは表側は朝見た宝石箱のような金銀細工店だが、写真のように裏から見ると1階部分といっても実は3階建てらしい。なんだかまるでボール紙で作った工作のように可愛いなぁ。
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9月3日、フィレンツェ。晴れ。

ウフィツィ美術館を朝9:30から予約してあったのでちょっと早起きして出かけたが、早く着きすぎたので少し散歩。ヴェッキオ橋へ。

ヴェッキオ橋の上は金銀細工なんかのお店が並んでいるのだが、朝だったのでまだ閉まっていた。写真のように、木造のシャッターのようなもので塞がれている。1軒1軒がまるで宝箱のようだ、なんていうロマンチックなことは考えなかったけど。

この記事で使った写真のアンテナもそうなんですが、風情があるよなぁ。

ヴェッキオ橋はイタリア語でポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)ですが、京都の先斗町(ポントチョウ)の「ポント」はponteが語源だという説があるとどこかで読みました。という豆知識を披露しつつ、

時間が来たのでウフィツィ美術館へ。かなり広い建物に名画がずらーっと並んでいます。ほとんどがキリスト教の宗教画です。12月25日になったら「メリークリスマス」と唱えるくらいでさほどキリスト教の文化に慣れ親しんでいない私は、受胎告知とか聖母子とかを見ても正直ピンとこないんです…。なんて言ったらバチがあたる?(そもそも「バチがあたる」っていう宗教観がキリスト教とはズレてたりするのかな…)

しかしそんな中でもボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」は大胆な構図と清々しい色彩で魅了された。それからツィティアーノの「ウルビーノのヴィーナス」は、宗教画が一面に並んでいる中でひとつだけ現代の感覚に通じる艶めかしさを放っていた。

あと、とある絵が会長のとある様子にそっくりでした。
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夕方、名残を惜しみつつベネチアを後にし、ユーロスターでフィレンツェへ。

駅の目の前にサンタ・マリア・ノヴェッラ教会がある。残念ながら改修工事中で外観を見ることはできなかった。イタリアは改修工事がすごく多い気がする。

そのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の駅とは反対側にあるホテルが我々の宿泊先。受付の人にチェックインをお願いしたら、手続きを始めるかと思いきやおもむろに市街マップを取り出し、「今いるホテルはここ、ドゥオモはここ、ダビデ像のあるアカデミア美術館はここ、ウフィツィ美術館はここね」と説明を始めるので、もしや我々がホテルを間違えたので正しい場所を教えられるのかと思ってしまったが、単に観光案内でした。ありがたいけど、そういうことはお仕事を一通り終えてからにしてくれないとびっくりするじゃないですか

ちなみに、アカデミア美術館もウフィツィ美術館も予約しておかないと2~3時間並ばされるとのこと。私は日本からウフィツィ美術館だけ予約してある。アカデミア美術館は見なくてもいいかなと思って予約してなかったけど、見たほうがいいんだろうか?彫刻ってあんまり興味ないし、まぁいいや。

写真はまだベネチアの街中。ちょっと小さくて見えないかもしれませんが、ゴンドラの船頭が船を係留し陸の上で客寄せしているのか休憩しているのかわからないけど誰かと話をしています。
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ぶらぶら歩いてリアルト橋に到着。橋は階段になっていて、その両側に屋台が並んでいる。てっぺんから見ると、階段と人混みと屋台の様子が、香川県の琴平山にそっくりだった。

橋を渡ると、川岸沿いにレストランのテラスが並んでいる。とても気持ちよさそうだし、腹も減ったので入ってみた。注文は、やっぱり海に浮かぶ島なんだからということでシーフードのスパゲティを頼んだ。出てきた料理は磯の香りがよくて美味しい!海苔かなにかをまぶしてあるのかな。海辺の料理って感じがとってもします。

よく考えると我々は運河とはいえ海のまん前で食事しているんですが、運河の水はぜんぜん潮臭くないですね。もっと街全体が海臭くてもおかしくない気がするけど、まったく気になりませんでした。

おいしい料理と美しい風景にすっかり御満悦でしばらくのんびり座っていたのですが、まわりの客の様子を見ていると、たまに店員ともめている人がちらほら。食べていない料理が伝票に記されていたり、料理の値段がちょっと高くなっていて「なんで?」「いやー今日は魚がどうのこうので…」「うーん、じゃあしょうがないけど、そういうことならちゃんとメニューに書いといてよぉ」みたいな会話が聞こえてきたり。おやおや、この店ってもしかしてボッタクリかも、と心配になった我々は、会計のときにしっかり伝票をチェックしたけど特に問題なし。ただし、クレジットカードの請求書を持ってきてチップの記入欄を指さし、「ここにチップの額を書いてね」と図々しくも言ってきた。うーん、サービス料は代金に含まれていた気がするんだけどなぁと思いつつ、ちょうど端数を切り上げれば5%以上10%未満のチップ目安額になるので断りきれずに書いてしまった。せっかく景色もいいし料理も美味しいのに、残念な店だ。観光地ってこんなもんかな。

写真はこの店とは全然関係なく、散策中に見つけた仮面を売る店の店頭に飾ってあったマネキン。ベネチアはベネチアングラスだけじゃなくて仮面も名産品みたいで、こんな感じの仮面があちこちに売られていました。仮面舞踏会とかいう非庶民的パーティーでは、こんな物を身に漬けた紳士淑女がどこかの館に集うんでしょうか。僕達の知らない世界ですね…
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サン・マルコ広場からリアルト橋まで、ちょうど逆S字に流れる大運河の先っちょから真ん中の変曲点までをショートカットするような感じで歩く。

ショートカットといっても、ベネチアの街は道が迷路のように入り組んでいるし、ちょっと歩くとすぐ小運河にぶつかるしで、全然ストレートじゃありませんが、そんなふうにさまよい歩いている感じがとても楽しい。なにせ、どこを歩いていても映画のワンシーンのような感覚だし、どっちを向いてもついつい写真を撮ってしまうような風景ばかり。写真はぼちぼち載せていきます。

この記事の写真はそんなに風情のある景色じゃないですけど、観光用のゴンドラが行き交う様子を撮ってみました。我々も乗ってみようかと思ったが、事前にリサーチしたところによるとゴンドラの値段は1艘あたり2万円くらいするので、二人で乗るのは厳しい。日本人向けツアーに参加するのも手だが、夕方の時間帯にしかなく、我々は夕方の電車でフィレンツェに異動しないといけなかったので、今回はあきらめ。歩くだけで十分楽しいし。
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水上バスをヴァッラレッソ停留所で降り、サン・マルコ広場へ。人が多い。そして鳩も多い。世界中どこでも、観光地の広場には鳩の餌の売店がつきものだ。奈良公園は鹿せんべいだけど。

サン・マルコ広場を取り囲むように、ドゥカーレ宮殿、サン・マルコ大聖堂、ムーア人の時計塔、コッレール美術館、マルチアーナ図書館が並んでおり、そして中央には鐘楼がそびえている。鐘楼はエレベータで上まで登れるようだけど、社長は見向きもしない。

メインはサン・マルコ大聖堂なんだろうけど、行列ができていたのでやめて、ドゥカーレ宮殿に入った。受付で、日本語で音声ガイドのテープが聞ける器械を借りた。こういう観光施設なら大概どこにでもあるんだけど有料なので借りることはあまりないのだが、ちょっと試しに借りてみた。ただし社長だけ。社長がガイドを聞き、その内容を会長に教えるという作戦だ。

しかしこれが大失敗。ドゥカーレ宮殿はヴェネチア共和国の歴代総督の官邸や共和国政庁として使われた建物なので、音声ガイドの説明は共和国の歴史とか当時の政治の仕組みなんかを長々と解説するのだ。難しくてとても社長から会長にちょこっと伝えられるようなレベルじゃない。部屋を移動するたびに、社長は難解な音声ガイドを長々と聞かないといけないし、ただ聞いているだけで何も伝えられない社長を会長はボケっと待っていないといけない。おかげですっかり疲れてしまい、最大の見どころである2階大評議室を飾るティントレットの「天国」は感動が半減。音声ガイドはもう少し簡潔にまとめてくださいよぉ!>ドゥカーレ宮殿の偉い人

ドゥカーレ宮殿には裁判所もあって、そこで有罪となった人は「ため息の橋」と呼ばれる小さな橋でつながっている隣の建物に送られる。そこは牢獄。ドゥカーレ宮殿の見学コースはこの溜息橋を渡って牢獄を一周する順路も含まれる。牢獄なのに3階建てなのが驚きだった。そして写真のように、パティオ(中庭)もある。それが牢獄だと知らなければ、雰囲気のいい素敵な建物のパティオだと思えてしまうような景色だ。

ドゥカーレ宮殿を出ると、サン・マルコ大聖堂の前の行列はさっきより少し短くなっていたので並んで入った。そしてムーア人の時計塔の下をくぐってヴェネチア散策に出発!
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9月2日、ベネチア。晴れ。

ベネチアはアドリア海に浮かぶ島。島全体を大小の運河が縦横無尽に走っている。ここでは陸上交通は一切ない。鉄道も橋を渡ってベネチアに入ってくるが、入ってきてすぐが駅で、そこで終わり。自動車もまったく走っていない。

移動手段はもっぱら船だ。もっともポピュラーなのが水上バス。普通の都市の市内バスと同じように、いくつもの路線が市内(=島内)や周辺の島との間を行き来している。

我々が泊まったホテルは、駅を降りてすぐ、市内を逆S字型に縦断する大運河の対岸。朝、ホテルをチェックアウトし荷物を預け、橋を渡って駅前に戻り、そこから水上バスに乗る。目指すはサン・マルコ広場。

駅からサン・マルコ広場までは本当は急行の82番バスを使えば速いのだが、我々は間違えてローカル路線の1番に乗船してしまった。普通の市バスと同じように、2~3分おきに停留所に止まる。しかも停留所はこっちの岸だったりあっちの岸だったりするので、大運河を何度も何度も横断して、楽しかった。両岸には数々の宮殿や立派な建物が並んでいるので、ガイドブック片手にひとつひとつ確認しながら、安上がりなクルージングを楽しんだ。

写真はサン・マルコ広場に隣接するドゥカーレ宮殿から見た大運河。中央にあるのが水上バスの停留所。右下に写っている黒くて小さい船は観光客を乗せるゴンドラ。
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