昨年の夏に会長のお祖母さんが亡くなり、葬儀に出席したのだが、葬儀の仕方が私が慣れていたものとはかけ離れたものだった。(ちなみに私は名古屋出身、真宗大谷派。)
忘れないうちに体験を記録しておく。民俗学的価値があるような気がするし。場所は秋田県湯沢市川連町、宗派は曹洞宗とのことです。 まず、喪主から親戚やご近所に「お使い」と書かれた紙が配られた。これは葬儀の案内であり、葬儀の順序が記されている。順序は以下のとおり。
まず「納棺」。一般的には棺に納めるときに特に儀式的なものはないが、ここでの「納棺」は大事な儀式だ。お通夜の法要がないので、これがお通夜の法要に相当するものなのかもしれない。(法要はないけど寝ずの番はしていた。) 納棺の際には、まずワラジが用意される。藁でできた本物のワラジだ。そのワラジには5円玉が結び付けられる。これは「ワラジ銭」と呼ばれる。三途の川の通行料という意味があるそうです。お祖母さんにワラジ銭を付けたワラジを履かせ、また白装束と紺色の羽織を着せてから、棺に納めた。 棺に納めたら、お坊さんがお経を読んでいる間に参列者が一人ずつ棺の中のお祖母さんに合掌するのだが、棺の中に小さな袋が取り付けられていて、合掌の際にその袋の中に米や小豆と小銭を入れた。 そして棺にふたをし、釘でふたを閉じた。このとき、参列者が一人ずつ順番に、釘を石で打ちつけた。以上で「納棺」終了。 次に「出棺」。よくある葬儀では出棺の前に告別式があり、それが葬儀のメインだが、ここでの「出棺」は身内だけで、本当に棺を外に出すだけという感じのものだった。 次に「火葬」。霊柩車が火葬場に着くと、近所の人などたくさんの人が集まっていた。そして、いわゆる告別式のようなものが行われた。参列者の焼香や喪主の挨拶などだ。そしてお祖母さんが荼毘に付された。収骨の際、私のところ(名古屋、真宗大谷派)ではひとつの骨を2人で両側からはさむように持ち上げるが、ここではそういう風習はなかった。小銭が焼け残るので、それは後で身内に配られた。 葬祭会館に移動して「葬儀」。これは祭壇の前でお坊さんがお経を読んだり、参列者が焼香したりするもので、そんなに特筆することはなかった。一般的な葬儀における初七日の法要に近いかな。そして部屋を移動して会食。お坊さんも一緒にいて、食事の前に少しお説教があった。 以上が「お使い」に書かれていることだが、そのあとにもうひとつ重要な儀式がある。会長の家族が「ふだらく」と呼ぶものだ。夜に身内や近所の人が集まって行われる。 「ふだらく」は正確には百万遍念仏と御詠歌のことだ。ということは後から調べてわかったんだけど。 百万遍念仏はこのページにあるものがかなり近い。大きな数珠があって、ひとつの玉の大きさが5cmくらい、長さは広げると部屋いっぱいになる。(真ん中に柱のある部屋でやったので、ちゃんと円形に広げることができなかったんだけど。)皆がそのまわりに座り数珠を手にとって、「なむあみだぶつ」と唱えながら順繰りに回していった。ときどき回す方向を変えた。 上記のページでは「親玉が自分の前に廻ってきたときは、持ち上げて拝みます」と紹介されているが、ここでは親玉というものはなく、そのかわりときどき玉に混じって長さ10cmくらいの「こけし」が繋がれていて、こけしが自分の前に回ってきたときにそれを持ち上げて拝んだ。丁寧に拝んでいると順繰りのスピードについていけないから急いで拝まないといけなくて、でもかなりの頻度でこけしがまわってくるから大変だった。 こけしは、誰かが亡くなるたびにその人のものを追加するのだそうだ。だから名前が入っている。しかしいちいち名前を確認しながら「あぁこれはおじいちゃんのこけしだ」などとやっていると順繰りの流れを滞らせてしまう。ところで秋田県湯沢市川連町といえば仏壇や漆器などの木工品で有名で、宮城県鳴子とかのこけし産地にも近い。百万遍の数珠にこけしを入れるのはこの地域ならではの慣習なんでしょうね。 百万遍念仏が終わると次は御詠歌。西国三十三箇所の御詠歌の歌本が配られ、皆で声を合わせて歌った。五七五七七の和歌が33番まであって順番に歌っていくのだが、2番から始めて33番まで歌い、最後に1番を歌うという変則的な順序だった。1番はとてもありがたい歌なので、最初ではなく最後に歌うのだそうです。 その一番の歌は「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝つせ(ふだらくや きしうつなみは みくまのの なちのおやまに ひびくたきつせ)」。このことから御詠歌のことを、ひいては百万遍念仏も含めた法要全体のことを「ふだらく」と呼ぶのだと思います。 歌は木魚のリズムに合わせて、1番ずつまず長老的な人が「2番 紀三井山金剛宝寺 ふるさとを」と寺の名前と歌の冒頭を読み上げてから、皆で「ふるさとを~♪」と歌うというスタイルでした。お経よりはメロディーがあったけどどんな旋律だったか忘れてしまった。 「ふだらく」は本来は初七日まで(四十九日までだったかな?)毎晩行うそうだが、毎晩やるのは大変(特に終わった後に食事や酒を振舞うのが)なので最近は節目だけやって済ませる場合も多いとのことで、このときもそうしていました。 以上が去年の夏に体験したことの一部始終です。 |
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「ふだらく」の習慣のことをよその地域に住む方に聞かれて、順を追って説明できず、また、内容が内容だけに写真画像も無く、困っておりました。
この内容に間違いがなかったのもので、この文章を匿名のまま引用として使わせていただきたく・・・一方的なお願いではありますが、一応、おことわりのコメントを差し上げた次第です。
クレームやご注文がございましたなら、私のブログにその旨をコメントくださいますよう、お願い申し上げます。
川連町にお住まいなんですね。どのあたりでしょうか。
私の妻の実家は大舘です。
引用していただくのは全然かまいません。嬉しいです。
頑張って書いた甲斐がありました。
もしかしたら、親類なのかもしれませんね?
真宗大谷派です。
私の家では宗派が違うため『ふだらく』はやりませんが、隣近所や親戚には曹洞宗の家が多く、葬儀の後は『ふだらく』を行なう家もあります。
最近は葬儀も省略化する家があるので、ふだらくをやらない家も多くなってきました。
ふだらくは、お斎(会食)で酒飲んだ後にやるもんだから、私は7割方寝てしまいます(*゜ー゜)>
歌う曲数や順番、節回しなど、地域によって全然違っているので、古くから地域に根差しているものだと思います。
お斎の後だから寝てしまうというのも面白いです(^^)。
とても有益なコメントをありがとうございました!