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愛国保守のメルマガ特集

現在の日本は危険な状態です。国内に反日勢力が蠢いています。在日朝鮮人、中国人がいます。また、外国のスパイが野放しです。

李明博氏 ベトナム政府の逆鱗に触れ国賓訪問一時拒否された

2014-03-18 23:35:25 | 政治
李明博氏 ベトナム政府の逆鱗に触れ国賓訪問一時拒否された



「韓国人は横柄だ」「乱暴だ」「ずるい」「嘘をつく」「信用できない」。欧米はもとより、アジア諸国で嫌韓ムードが広がっている。ベトナム国民がどう思っているかを紹介しよう。

 ベトナム戦争(1960~1975年)に参戦した韓国軍が暴虐の限りを尽くしたことは世界的に知られている。それを詳らかにしたのは韓国人ジャーナリストだった。1999年当時、韓国紙『ハンギョレ新聞』ベトナム通信員だった具スジョン女史は、同紙の系列週刊誌『ハンギョレ21』で韓国軍の蛮行をリポートした。

「1965年12月22日、韓国軍はビンディン省クイニョン市の村を急襲し12歳以下の子供や妊婦を含む50人以上の村民を虐殺した。韓国兵は2歳の子供の首をへし折って殺害し、別の子供は木に投げつけられ殺害後、焚き火に放り込まれた」(『ハンギョレ21』1999年5月6日号より)

 韓国兵は現地女性を見れば強姦し、凌辱の末、焼き殺すこともあった。殺害を免れた女性たちの中には「ライダイハン」と呼ばれる戦争犯罪の落とし子を身籠る者も多数いた。当時、サイゴン支局に赴任した元朝日新聞の井川一久氏は街中でベトナム人に囲まれ、「ダイハン!」(大韓)と呼ばれた。韓国人と間違われて憎悪の目を向けられたのだ。

 しかしその後も韓国人に反省の色は皆無だった。そればかりか、2009年の李明博政権はベトナム帰還兵を称えるため「国家有功者優遇法」の改正を急ぎ、ベトナム政府の逆鱗に触れた。李大統領はベトナムへの国賓訪問を一時拒否されるなど異例の事態を引き起こしたが、未だに韓国政府は戦争犯罪を償っていない。

 朴槿惠大統領も態度を改めず、昨年のベトナム訪問ではセールス外交に終始した。周知のとおり、ベトナム派兵を決めたのは父の朴正熙だ。償いもなく、金儲けの話ばかりしていては嫌韓感情が高まって当然だ。

※SAPIO2014年2月号


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ベトナム 50歳以上、年の差16歳以上の韓国男性との結婚禁止

2014-03-18 23:29:02 | 政治



ベトナム 50歳以上、年の差16歳以上の韓国男性との結婚禁止


李明博大統領の竹島上陸、天皇陛下への不敬発言があって、日本人の「嫌韓感情」に火がついている。しかし、嫌韓は日本だけではなくアジア各地にも広がっている。ベトナムの例をジャーナリストの山村明義氏が紹介する。

 * * *
 2010年7月、慶尚北道清道郡に住む37歳の韓国人の夫が、20歳のベトナム人新妻を、韓国に来てわずか1週間で殺害するという悲惨な事件が発生した。前年の2009年7月にも、釜山市で精神疾患を患った韓国人男性がベトナム人妻を殺害する事件が起きた。

 その以前から、「韓国人は、女性を商品のように扱う」とベトナム主要紙が韓国を批判的に報道していた経緯もあり、ベトナム・韓国間の外交問題になっていた。

 実際にベトナム政府は2011年以降、「満50歳以上、または年齢差が16歳以上」の韓国人男性とベトナム人女性との国際結婚を禁止する厳しい制限規定を設けた。

 先進国で韓国以外の国が規制対象になることはあり得ないだろう。海外商社の現役ベトナム駐在員が語る。

「一般的にベトナム人には、ベトナム戦争時代、韓国人兵士との間に混血児として生まれた“ライタイハン問題”への悪感情が今なお残っているため、韓国人への嫌悪感が強い。それでも最近、ベトナムへの著しい経済進出で、大人しいベトナム人女性と国際結婚したがる韓国人男性が増えてきた。

 一昨年7月のベトナム人新妻惨殺事件でも、ベトナム政府は、あまりにも多い韓国人男性による殺害事件の再発防止のため、男性の財産や病歴などの情報提出を求めたほど。ベトナム人女性を韓国へ連れ帰る際には平気で“韓国の生活は良い”と嘘をつき、“ベトナム人女性は逃げ出さない”などと見下す。DV(家庭内暴力)などの事例が相次いでいるから、韓国人の評判は悪いままだ」

※SAPIO2012年10月3・10日号


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韓国農村部に嫁いだベトナム人妻を韓国人夫が虐待する例頻発

2014-03-18 23:23:40 | 政治

韓国農村部に嫁いだベトナム人妻を韓国人夫が虐待する例頻発



最近、アジア諸国で嫌韓ムードが広がっている。その中でもベトナム人からは恨みの声が聞こえてくる。

 かつてベトナム戦争(1960~1975年)に参戦した韓国軍は、現地で陵辱、虐殺行為を行い、「ライダイハン」と呼ばれる戦争犯罪の落し子を身籠るベトナム人女性問題は現在に至るまで大きな禍根を残しているが、韓国人は今でも違う形でベトナム人女性を蹂躙し続けている。「ベトナム人花嫁問題」だ。

 嫁不足に悩む韓国の農村部では、2000年代からベトナム人やカンボジア人の花嫁を積極的に受け入れてきた。しかし、国際結婚斡旋業者の甘言に騙され嫁いだベトナム人妻を、韓国人夫が虐待するケースが頻発。妻が自殺に追い込まれたり、夫から激しい暴行を受けた末、惨殺される事件も起きている。2007年に夫に惨殺されたベトナム人妻(19)は、肋骨が18本も折れた状態で、死亡から8日後に自宅で発見された。

「ベトナムの人々も当然、こうした事件の数々を知っていますから、韓国人を快く思うはずがない。しかし当の韓国人はベトナム人の感情などまったく意に介さない。

 ベトナムの韓国系企業では、韓国人社員が女性従業員を殴ったり、人前で怒鳴りつけるなどしてストライキが起きることが度々ありました。ベトナム人は恨みつらみを口にしませんが、過去の傷を忘れることはないでしょう」(元朝日新聞サイゴン支局長・井川一久氏)

※SAPIO2014年2月号



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韓国問題-歴史編 第1部 忘れられた国土開発: 1-2 忘れられた国土開発

2014-02-23 08:26:45 | 政治
■■■ Japan On the Globe ■■■ 国際派日本人養成講座 ■■■

韓国問題-歴史編 第1部 忘れられた国土開発
1-2 忘れられた国土開発

 日本統治下の朝鮮では30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発が図られた。
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■1.李朝朝鮮の飢餓地獄■

 本誌55号では、北朝鮮の悲惨な食糧事情により、年間数十万人規模の餓死者が出ているという推計を紹介した。しかし朝鮮半島での飢餓地獄は今に始まった事ではなく、19世紀の李朝時代も同様だった。

 たとえばフランス人宣教師シャルル・ダレの遺した「朝鮮事情」 には、次のような記述がある。

__________
 1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に一人当たり米一升で売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。

 しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。[1,p64]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 まさに現在の金正日政権とそっくりだ。こういう次第であったから、李朝時代の朝鮮では人口はほとんど増加しなかった。1753年の730万人が、百年後の1850年でも、750万人になったに過ぎない。これが当時の農業生産で養える上限だったのであろう。


■2.20年間で倍増の人口爆発■
 

朝鮮半島が急激な人口増加を迎えるのは、20世紀に入ってからである。1906年(明治39年)からの20年間で、980万人から、1,8 66万人と倍増した。さらに1938年には、2,400万人となった。日韓併合時代である。[1,p29]

 この人口増加の原因としては、いくつかの要因がある。一つは第6代宇垣一成総督による「農産漁村振興運動」などの民生向上活動である。30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発による食料の増産が図られた。併合当初米の生産量が約1千万石であったのが、20年後の昭和に入ると、2千万石へと倍増した。[1,p80]

 もう一つは医療制度の確立、特に伝染病の予防である。1910年から徹底的な検疫を実施し、コレラ、天然痘、ペストなどは、1918年から20年の大流行を最後に押さえ込まれ、乳児死亡率が激減した。

 さらにインド、中国から朝鮮にかけて猛威を振るっていたハンセン病退治のための救ライ事業として、世界的規模と質を誇る小鹿島更正園を作って、6千人以上もの患者を収容している。[1,p85-86]

 農村振興は、終戦後も朴正熙大統領のセマウル運動として続けられる。宇垣総督の秘書役であった鎌田澤一郎氏が、その経験を買われて何度も朴大統領に呼ばれ、アドバイスをしている。[2,p44]

 北朝鮮が現政権から解放された暁には、日本も援助をして、このような農村振興をもう一度やり直さねばならないだろう。日韓併合時代にどのような国土開発事業を行って、朝鮮半島の民生向上に成功したのか、今のうちに研究しておく必要がある。


■3.植林、河川・砂防工事、ダム建設、、、■


 李朝時代の飢餓の一因は、現在の北朝鮮と同様、森林破壊にあった。定住しない焼き畑農民は、山林を焼き払い、一定期間耕作すると、他へ移ってしまう。さらに、冬季の薪需要のための乱伐。そこに豪雨が来れば、表土は流出し、禿げ山となってしまう。

 1885年にソウルから北朝鮮を徒歩で踏破した旅行者は次のような旅行記を残している。

__________
 どこまでいっても禿げ山と赤土ばかりで、草も全て燃料のために刈り取られている。
 山地が痩せていて、昨年も沢山の餓死者が出た。
 ここは退屈極まりない土地で、山は禿げ山、植生はほとんど見られない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 森林は緑のダムである。森林がなくなれば、降れば洪水、降らねば干ばつとなって、農業生産は崩壊する。治水の前に治山が必要というのが、寺内初代総督の方針であった。朝鮮総督府は1911年からの30年間で、5億9千万本の植林を行った。朝鮮全人口の一人あたり約25本という膨大な数である。[1,p114]

 内村鑑三の日記には、ある朝鮮人から日本人が毎年沢山の有用樹木の苗木を植えていることを感謝する手紙をもらって非常にうれしかったと書いている。[2,p39]

 植林事業と平行して、洪水予防と灌漑のための全国的な河川事業、日本国内にもなかった17万キロワット級のいくつもの巨大水力発電所建設、15万ヘクタール以上もの砂防工事等々、大規模かつ総合的な国土開発事業が展開された。

 これらの結果、水田開発が進み、明治43年の84万町歩が、昭和3年ごろには162万町歩と倍増した。[1,p108]


■4.きめこまかな農民保護政策■


 こうした大規模な国土開発とともに、きめこまかな民生安定化の施策がとられた。宇垣総督時代には、当時8割を占めた小作農の生活を安定させるため、朝鮮農地令を実施して小作権を確立し、税制を整理して、負担を軽くした。さらに低利資金を融通して高利債務を返還させ、多角農業主義により綿花栽培や山羊飼育を奨励した。 [3,p414]

 また従来、朝鮮農民が見捨てていたような不毛の地に入植して、開墾する日系移民も約3,800戸あった。これらの移住農民が、米の改良品種、新農法を持ち込み、養豚、養鶏、養蚕などの多角経営を図り、また厳冬にも家族ぐるみで副業に励む姿を見せた。日系農家の自力更正が、朝鮮農民の意識改革に大きな役割を果たしたのである。[1,p153]

 興味深い事に、米作保護のために、現在の日本と同様の逆ざや価格政策がとられた。昭和18年の生産者の手取り価格は生産奨励金なども含めると一石62円50銭、消費者価格は43円、この逆ざやは政府が負担していた。

 農業生産が軌道に乗ると、日本への輸出が急成長した。併合当時わずか11万石だったのが、昭和3年には760万石までになった。これは日本の農家を圧迫し、日本政府は朝鮮米の輸入制限を図ろうとするが、総督府は徹底的にこれに反対して、朝鮮農民を守った。 [3,p414]

 朝鮮経済の保護育成政策は、関税制度にも明らかである。朝鮮から日本に輸出されるものは免税だが、輸入は移入税を課した。後進国が自国の産業育成を図るときに、輸入関税で保護するというのは、常套手段だが、日本は朝鮮経済に対して、これを適用したのである。

 ちなみに当時の日本人の土地所有は1割程度なので、総督府の農業保護の恩恵の9割は、朝鮮農民が受けたと言える。また治山治水事業での労働に対しては、作業者に日当が支払われている。これは李朝時代には無かった事である。


■5.開発をささえた資金源は■

 こうした膨大な開発投資、産業保護を可能にした資本はどこから出てきたのだろうか。

 宇垣総督時代の総督府予算は昭和5年で、約2億円の規模であった。それに対し、朝鮮内部の税収は5千万円程度。日本の政府予算(すなわち日本国民の税金)から、毎年千数百万円から2千万円の規模の補填がなされた。

 この予算獲得のため、総督府の関係者が帝国議会や大蔵省の説得に奔走したというから、官僚の世界は今も昔も変わりない。それでも足りない分は、日本の金融市場から集めた公債によってまかなわれた。[1,p142]

 ちなみに大英帝国支配下のインドでは、その予算の1/3を国防費の名目で、イギリスに納めていた。それにも関わらず、第2次大戦で徴集した264万人のインド兵の費用は、イギリス人将校の給料も含めて、インド自身に負担させていたという。[1,p179]

 朝鮮総督府の事業は、その他にも教育の普及、工業発展など多くの面にわたる。その投資は、結果的に見れば、すべて日本からの持ち出しで、我が国の経済に大きな負担となった。

 しかし戦後の韓国は、このインフラを踏み台に、自由民主主義国として発展した。外交面での摩擦は続いているが、台湾とともに、ある程度豊かな自由民主主義国家が近隣にあるということは、我が国の現在の国益からみても、計り知れない価値を持つ。


■6.食料危機対応のモデルケース■

 北朝鮮が金日成政権から解放されたら、飢餓地獄から北朝鮮国民を救うべく、朝鮮総督府が行った国土開発事業をもう一度、始めからやり直さねばならないだろう。費用の問題は別として、そのモデルは、朝鮮総督府によって示されたと言って良いであろう。

 実はこの国土開発の方法は、朝鮮総督府の独創ではなく、我が国江戸時代に、上杉鷹山公(米沢藩藩主)、恩田木工(信州松代藩)、二宮尊徳などが行った農村振興を発展させたものだ。それは西洋的な自然征服ではなく、治山治水を通じて、自然と共生しつつ、農業生産の向上を図るという、優れたエコロジー的発想なのである。

 環境破壊による食糧危機は、北朝鮮だけではない。中国の最近の洪水被害も国土破壊の結果であり、いよいよ食料自給が困難になってきている。中国が食料輸入国に転落すれば、現在の国際食料価格が急騰し、アジア、アフリカ、南米などにも飢餓が広まろう。そうした視点から見れば、朝鮮総督府による国土開発事業の世界史的な成功は、貴重なモデルケースとなるはずである。


[参考]
1. 歪められた朝鮮総督府、黄文雄、光文社、H10
2. 「韓国併合」とは何だったのか、中村粲、日本政策研究センタ
ー,H8
3. 日韓2000年の真実、名越二荒之助、国際企画、H9

韓国問題-歴史編 第1部 忘れられた国土開発:1-1 国際交渉の常識 ~ 日本の朝鮮統治の悪しき遺産?!

2014-02-17 10:28:28 | 政治
■■■ Japan On the Globe ■■■ 国際派日本人養成講座 ■■■

韓国問題-歴史編 第1部 忘れられた国土開発
1-1 国際交渉の常識 ~ 日本の朝鮮統治の悪しき遺産?!

 朝鮮統治時代の「悪しき遺産」がまだあちこちに残っているので、一刻も早くそれらを一掃すべきである。 
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■1.国際交渉での高等戦術■


 日本の国内常識では、交渉においても「誠意と信用」が基本だが、国際社会ではこれが非常識となってしまう場合があるのが、国際派日本人にとっては、注意すべき点だ。時には、空理空論と分かっていても、論理で相手を打ち負かす必要がある。

 イギリスが、台湾に領事館を置こうとした事があった。それを知った中国は当然、烈火の如く怒ったが、さすが元大英帝国の老練外交、こう切り返した。「中国はひとつであり、台湾は貴国の一部である。貴国の領土内に領事館を置いて何が悪いのか」と。

 このように相手が否定できない建前、フィクションを逆手にとって、自分の要求の正当性を主張するという高等戦術がある。今回は、ケースメソッドで、この練習をしてみよう。

 平成7年江藤総務長官はオフレコで「日本の朝鮮統治には、良い面もあった」と発言し、日本人記者の一部がこれを韓国マスコミに密告して、金大統領は「今度こそ(日本の)態度を改めさせなければならない」と激怒した(または、してみせた)。さて、あなたが首相だったらどう対応するか。

・回答1:江藤長官を辞任させ、謝罪する
 日本の閣僚の首をとった金大統領は国内政治で得点を上げ、さらに日本に対する「貸し」を作ったとして、今後の対日外交を有利に進める材料に使うであろう。大統領としては、こんなにおいしい話はない。次の「妄言」を待ちかまえる。村山内閣がとった決断(というより、追い込まれた末の結末)である。→0点

・回答2:オフレコ情報なので、釈明不要と突っぱねる
 国際常識では、オフレコ発言について、何ら責任をとる必要はない。この線で逆に韓国をたしなめる。相手が怒り狂っても、国際社会で恥をかくだけである。しかし朝鮮統治の問題については、言われっぱなしなので、50点。

・回答3:「朝鮮統治に良い面はなかった」という韓国側の建前を逆手にとって、次のように主張する。

「我が国は朝鮮統治については、当然良い面もあったと考えているが、貴国がすべて悪い面ばかりであったというなら、それも一つの価値観である。貴国がそういう価値観なら、朝鮮統治時代の悪しき遺産が次のように、まだあちこちに残っているので、一刻も早くそれらを一掃すべきである。


■2.悪しき遺産(1) 小学校5,213校、ソウル大学■


 国民に教育の機会を平等に与えようというのが、我が国の明治以来の基本国策であったが、明治43年の併合時には寺小屋程度しかなかった貴国で、昭和19年までに、小学校5,213校、生徒数2,38 9,135人にまで初等教育を充実させた。就学率は61%と、同時期米国の植民地だったフィリピンの35%よりもはるかに高い水準にあった。[1,p37]

 ソウルには帝国大学が作られ、下層階級の出身者でも、努力と才能によっては大学教育まで受けられるようになった。[2,p224]

 これらを良きものではないと、貴国が言うのは、統合前の階級社会で、両班(貴族)階級が教育を独占していた状態を良しとしているからであろうか。


■3.悪しき遺産(2) 植樹1億4千万本、開墾203万町歩■


 日本人は、国土を緑豊かにする事が好きである。禿げ山を見れば木を植え、川には土手を築いて、少しでも平らな土地があればすぐ田畑にしてしまう。貴国においては大正10年までに1億4千万本の植樹を行い[1,p39]、また日韓併合後20年間で、耕作地面積が246万町歩から、449万町歩まで、倍近くになっている[2,p21 7]。

 これらを良くないというのは、朝鮮の伝統的な禿げ山風景を理想としているからであろうか。


■4.悪しき遺産(3) 鉄道、ダム、工場■
 

日本人は近代化のために、さまざまなインフラ投資を積極的に行う。今のソウル-釜山を結ぶ京釜線を始めとして、3,827kmに及ぶ鉄道網を張り巡らした[2,p216]。

 さらには鴨緑江、赴線湖などのダムと水力発電所、旧日本窒素の窒素工場など、今でも北朝鮮では使われている[3,p209]。こういう工業化政策を悪いというのは、統治前の清く貧しい農村社会を理想としているのであろうか。

 これらすべて、日本が国家予算の相当部分をつぎこんで(たとえば、1909年には予算5.2億円のうち、5.8%の3千万円[2,p22 2])作ったものである。当時は朝鮮に投資するくらいなら、貧しい東北地方に回して欲しいという国内の声をおさえて、ひたすら朝鮮を近代化し、成長させるために投資した。

 それもこれも貴国がロシアや中国のものとなったら、我が国の独立と安全もまた危機に瀕するからである。そして貴国にしても、今日の北朝鮮のような状態となっていたであろう。

 戦後、我が国が貴国から引き上げた後、今度は米国がその肩代わりをして、朝鮮戦争を戦い、今もなお我が国と貴国に軍事駐留せざるを得ないという事実を見れば、この構図は日清戦争以来、変わっていない事はご理解いただけよう。


■5.早急に悪しき遺産の一掃を■


 貴国は、先に国立中央博物館として使われてきた旧朝鮮総督府建物を「日本統治時代の象徴」として破壊された。わずか数年前に数百億ウォンもの資金を投じて内部修復し、博物館にしたものを、そして博物館を収容する新しい建物も出来ないうちに、一気に破壊するという、見事な決断力を示された[4,p85]。

 同じ決断力をもって、貴国のユニークな価値観を世界中に示すために、上記の小学校、ソウル大学、樹木、田畑、鉄道、ダム、工場など貴国が「悪しき遺産」を考えられているものを一掃される事をお勧めする。

 ただしあいにく我が国の建造物は皆頑丈で、壊すのには大変なコストがかかるであろう。94年には、貴国が建設された聖水大橋が突如自然崩壊するという痛ましい事故があったが、同じ韓江には、日本統治時代に作られた韓江大橋が今もあり、これがもっとも丈夫そうだ、などという風評もある[4,p69]。

 遺憾ながら、我が国の残した建造物を破壊するには、多大のコストがかかるであろう。

 えっ、「破壊のための費用を負担せよ」とおっしゃる!? そんなことをしたら、貴国にかえってご迷惑をおかけすることとなる。

 65年に締結された日韓基本条約では、無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力金(当時の日本の外貨準備高18億ドルの28%)で、両国は統治時代のすべての請求権を放棄した。日本の政府や民間の残したこれらの遺産もすべて貴国のものとなった。さらに戦後の経済協力も約1兆円に上っている[5]。

 今更、貴国が追加請求をした、などということが国際社会に知れ渡ったら、貴国と条約を結んでもいつご破算にされるか分からないと勘ぐられ、今後貴国とまじめに条約を締結しようというような国はなくなるであろう。大事な友邦をそういう目にあわせる訳にはいかないので、本件は聞かなかったことにしておこう。


■6.相手を怒らせては、いけないのか?■
 

おそらくこんな回答をしたら、韓国政府および国民は檄高するに違いない。しかしそれを恐れて「怒らせるのはまずい」というのは、日本的な常識を持って、自ら外交政策の選択の幅を狭めるものである。韓国は日本が怒らないと知っていて、好きな勝手な主張を行い、日本は韓国がすぐ怒るので、自制するというのでは、対等な外交ではない。

 橋本首相が通産大臣であった時、アメリカと自動車部品の問題で、大変な通商摩擦が起こった。しかし橋本大臣は国内自動車業界をまとめ、ヨーロッパを味方につけて、徹底的にアメリカ側の国際ルール違反を攻撃し、決裂の直前にアメリカの面子を何とか保つ形で妥結した。

 以後、これに懲りたアメリカ側からは、日本との間で、国際ルールを無視した二国間交渉をもとめられなくなった。

 また65年の日韓基本条約を交渉する過程では、日本政府は、日韓併合は両国の条約に基づいた国際的に見ても合法的なもので、謝罪をしたり、賠償金を支払うのは、おかしいという主張を通した。

 そのために、「経済協力金」という名目になっているのである。現在の日本政府よりはるかに筋を通した外交姿勢が出来ていた。


■7.常識的な外交を展開するために■


 アメリカや昔の韓国に対してできたことが、なぜ、現在の韓国に対してできないのか。それは、日本国内に、韓国の反日感情を利用して、日本政府の後ろから弾を撃つ輩がいるからである。

 江藤長官の時に見られたように、日本のマスコミが韓国に密告をしたり、さらに江藤長官を攻撃する論調を張っているようでは、政府としても上記のようなまっとうな交渉は難しい。

 政府に筋を通した外交を展開してもらうためには、まずそうしたマスコミの姿勢が正されなくてはならない。世界の中で日本がまともな外交を展開するためには、まず国際派日本人が、国内マスコミのたれ流す国際的非常識から脱却する事が出発点である。



[参考]


1. 『韓国併合』とは何だったのか、中村粲、
   日本政策研究センター( 03-3268-6450)、平成9年
2. 醜い韓国人、朴泰赫、光文社カッパブックス、平成5年
3. 北朝鮮崩壊と日本、長谷川慶太郎、佐藤克巳、
   光文社カッパブックス、平成8年
4. 韓国・反日症候群、黒田勝弘、亜紀書房、平成7年
5. 韓国の反日外交をいかに断ち切るか、西岡力、
  「正論」平成8年2月号

以上