
仏は常に いませども 現(うつつ)ならぬぞ あはれなる
人の音せぬ 暁に ほのかに夢に 見え給う
格別の注釈もいらないぐらい、現世にも通ずる平易な言い方で、七五の四連の形式である。
平安時代後期、後白河上皇が編纂した梁塵秘抄の中に出てくる今様の詞である。
この碑は、昭和、それも戦後につくられたものである。
梁塵秘抄とは何か、その昔のいわば流行歌をあつめた書ということが、徒然草や紫式部の日記に出てくるだけで、中味は断片的にしか判っていなかった。
明治時代、歌人の佐々木信綱の研究によって、相当、内容がわかって来たのである。
永観堂には、みかえり阿弥陀という仏像があって、阿弥陀様にすがりたい人々を励ますように振り返っている。
「仏は常に」は、阿弥陀様の慈悲をシンボルしたものであろう。
後白河上皇、梁塵秘抄については、奥が深い。注釈したら、随分長い物語になる。
だが、私には、非常に気になる物語なのだ。いずれ、おいおい触れてゆきたいと思っている。


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