水元公園の一帯は、今、あやめが咲いているが、市街地とは桜堤によって劃されている。
画面奥に見えるのが桜堤
その堤の内側に、「江戸川が氾濫したら1m、1.5mかん水する恐れあり」国土交通省江戸川事務所との看板を目にした。
電柱に1mかん水の危険表示あり
電柱に1.5mかん水の危険表示あり
大通りに面した住宅、店舗混在の平和な人里になぜ危険表示が、と思った。
江戸川の西岸に出てみると、そこには水害を記録する表示があった。
昭和22年9月、カスリーン台風が来襲し、明治時代の水害にも持ちこたえた桜堤が決壊し、葛飾区、足立区、江戸川区が水没、その時の決壊地点がこのあたりだという。終戦直後の疲弊した時代だった。
太平洋戦争終戦後、台風はアメリカ女性の名を付けられ、カスリーンのほかにもジェーンやキティなどを思い出す。日本人なら、ケイコ台風などとは間違っても名がつくはずがない。
当時、私はまだ子供だったが、何とも忌々しい思いがしたものであった。
そこを過ぎて江戸川を少し下ると、金町浄水場の取水塔がこれも平和に立っていた。そして、寅さんの柴又駅から電車に乗って帰途についたのである。
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