さむかわ次世代経営者研究会 公式ブログ

神奈川県高座郡寒川町にある『さむかわ次世代経営者研究会』の公式ブログ。活動内容やメンバ企業の紹介をしていきます!


休日

2021-12-08 08:00:00 | 活動内容

こんにちは。

木村産業の木村でございます。

緊急事態宣言解除後の休日、ゴルフへ行って参りました!

ちょうどその日は風もなく穏やかなゴルフ日和でした。

最高の天気なのでカートに乗らず、全て歩きでラウンドすることを目標にスタート!

ところが、ボールがあっちへ、こっちへと狙っていない方へと飛んでいきます(^_^;)

結果的にカートへ乗らずに、というか乗っている場合ではなかったです(笑)

 

ご一緒させて頂いたメンバー様とはプレーでは腕前を競い合い、コースの攻め方、考え方を見ることができ、

その他、いろいろなお話を聞けて、とても充実した貴重なひと時となりました。

よい気分転換になりました。

今年も残り3週間、ラストスパートですね。

 

 

 


新と旧!

2021-12-06 13:24:11 | その他

こんにちわ

(株)ムラタの村田雄三です。

 

寒川町を走るJR鉄道の相模線がこの秋より新型車両を導入し、町内の踏切では撮り鉄達がカメラを構えています!

普段あまり電車に注目していないのですが、慣れ親しんだ相模線が注目されているのを見ると、特別感を感じてしまって僕も思わず携帯で撮ってしまいます。

新しい車両が珍しいので新しい車両ばかり目がいってしましますが、逆を行ってしまえばもう旧車両の見納めの日も近いので、先日都内に行くときに乗ったついでに写真を一枚撮ってみました!

※偶然にも新旧車両が一つのホームに並んでいる良い写真だと思います(笑)

新しい事と言えば株式会社ムラタも負けてはいません!

新たな取り組みとして引張試験機の運用を画策しております!

既に社内には導入済なのですが、主に我々の主力商品である製袋機で作られた袋のシールの強さを計測するのが目的で、只今社内使用に向けマニュアル作成や冶具等を作成し、運用に向け日々取り組んでおり、今回は試験機の設置方法を社内で検討し、アルミフレームにて設置台を作成しました。

背が高く重心が低い不安定な構造を考え、アルミフレーム土台には鉄板を引き安定性を高めています!

 

新しい事もチャレンジしつつですが、モノづくりは人の技もとっても大切です。

大ベテランの弊社工場長の技・感覚はちょっとやそっとでは真似出来ず、スタッフ一同毎日背中を見ながら技を盗む日々です!

大ベテラン工場長の後ろ姿!

 

新しい物を取り入れつつも、今までの良い物をしっかり受け継ぎながら、柔軟に成長していけたらなと思います!

 

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師走ですね!

2021-12-03 14:05:52 | 活動内容

こんにちは、師匠も走る月、師走の到来です。

この時期になると弊社も繁忙期に突入です。

夏場は麦茶など冷たい飲料が親しまれていますが、

寒い季節はやはり緑茶ですよね・・・・今まで茶人に纏わるお話をさせて頂きましたが

今回は最後の方に茶人が登場します。

いま一度、思考を変えてブログ記事を綴ってみました。

家族の団欒で、是非、ネタにして頂けると幸いです。

 

先ずは「お茶の歴史」についてです。

お茶は遣唐使の時代。永忠(えいちゅう)という僧侶が中国からお茶を持ち帰り、嵯峨天皇に献上したという説が残されています。

当時のお茶は非常に貴重な飲み物だったため、僧侶や貴族などごく一部の身分の人たちだけが口にすることができたと記されています。

 

さらに、お茶を栽培することはできないかと考え、延暦寺のある比叡山のふもとに栽培していたという記録もあります。

しかし、一部の人しか飲めなかったり、遣唐史も廃止されたりしたことにより栽培は長くは続かなかったようで、お茶の栽培の発展はもっと先になりました。

 

鎌倉時代になると「抹茶法」が成立、臨済宗の開祖である栄西は、修業先であった宋(中国)からお茶の種子を持ち帰ります。

そして、現代のお茶の点て方に通じていると言われている「抹茶法」を記した著書『喫茶養生記』を1211年に発表します。

『喫茶養生記』にはお茶の種類や効能などが書かれており、日本でお茶を飲む習慣が根付くようになりました。

その後、栄西から「抹茶法」を引き継いだ明恵上人が、京都の栂尾(とがのお)にある高山寺や宇治でお茶の栽培を始めました。ここが日本最古のお茶の栽培地と言われています。

 

京都・宇治がお茶の名産地になった室町時代〜南北朝時代

室町時代、3代目将軍の足利義満によって、宇治にある茶園が特別な待遇を受けることになりました。

これがきっかけとなり、京都の宇治はお茶の名産地として発展してきたと言います。

宇治から始まったお茶の産地は伊賀や伊勢などへじわじわと広がっていき、同時に喫茶の文化も馴染んでいきました。

この時代は武士が好んでお茶を飲んでおり、喫茶は武士のブームでした。

安土桃山時代になると千利休が登場します。

千利休は豪華さを削り、静かな部屋でしっぽりとお茶を飲んで楽しむ「侘茶(わび茶)」を大成させました。

これは、日本の伝統として今も受け継がれています。

千利休は織田信長や豊臣秀吉にも仕えながらお茶の良さを広め、豊臣秀吉主催の北野大茶会の茶頭役なども務めました。弟子も育てながらお茶の発展に力を注いだとされています。

 

なんと現在のお茶は緑色ですが、昔は茶色だったようです。

現在のお茶は緑色が定番となっていますが、その製法が誕生したのが

江戸時代の事なんです。ご存じでしたか?

 

江戸時代に宇治の農民で茶業家であった永谷宗円が、15年の歳月をかけて、茶色から緑色の色が出せる製茶法(宇治製法)を確立させました。

この技術は今現在も受け継がれています。

 

この製茶法がきっかけとなり日本全国でお茶文化が親しまれるようになりました。

これまでは茶葉を煎じた茶色いお茶が市民に親しまれていましたが、製茶法で作られた緑茶は、香りも味もグッと引き出され非常に人気がありました。

江戸時代後期には、江戸の茶商・山本嘉兵衛によって、今までのお茶からより高級感のある玉露が誕生。

これも徐々に日本中に広まっていくことになりました。

急須の登場で家庭でもお茶が楽しめるようになった大正〜昭和時代~平成~令和となっています。

 

日に日に寒さが厳しくなりますが、温かいお茶でお体を温めつつ元気に年末年始をお迎えください。

 

また次回、お会いしましょう・・・

                                     菱和園 山田仁子

 

 

 


共用工具管理のご紹介

2021-12-01 08:30:00 | 活動内容

こんにちは、大和電子工業の岡本です。

今日から12月に入り、朝晩の冷え込みが厳しい季節となってきましたね。

さて、今回は当社の共用工具でありますハンド圧着工具の管理についてご紹介

致します。

当社では、各メーカーの工具を揃えておりますが、従業員全員が共通に使用する

事から、持ち出した際は使用者が必ず自分の名札を掛ける取り決めとしております。

これは、私が昨年の9月から今年の4月まで参加させて頂きました、リーダー研修会で

時間のロスを無くす試みから、社内へ提案し実行した事例であります。

この名札を掛ける事により、誰が使用しているかが即時に判明し、工具が行方不明に

なる事が無くなるのですが、たまに名札が掛かってなく工具も消えている事があります。

それを発見されると大変です!

社内で犯人捜しが始まります・・・

(私の心の声)

「あれ?・・・」

「自分じゃないよな?・・・」

「自分の所から出てきたらどうしよう・・・(汗)」

「どうか自分の作業机の所から出てきませんように!!」

と、祈る事がしばしばございます。

社内の整理整頓は大事ですよね。

これからもより良い職場環境作りを目指して頑張ります!