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EU、英アストラゼネカ製ワクチンを承認 高齢者も接種可

2021-01-30 20:53:36 | 日記

下記に記事は日本経済新聞オンラインからの借用です


【フランクフルト=深尾幸生】欧州連合(EU)の欧州委員会は29日、英製薬大手アストラゼネカと英オックスフォード大学が開発した新型コロナワクチンを条件付き承認した。EUでの新型コロナワクチンの承認は3例目で、近く接種を始める。

EUで医薬品を審査する欧州医薬品庁(EMA)は同日、欧州委の承認に先立って、承認を勧告する審査結果を公表。ドイツの当局が28日、アストラゼネカ製のワクチンについて65歳以上への使用を推奨しないとの考えを示していたが、EMAは高齢者に対しても効果が期待できるとした。
治験での有効性は59.5%と米製薬大手ファイザーなどのワクチンに劣るものの、通常の冷蔵庫で保管でき価格も安い。アストラゼネカのワクチンは18歳以上が対象で、1回目の接種から4~12週間後に2回目を接種する。ファイザー製は3週間後が推奨だ。EMAのブルーノ・セポーデス氏は「このワクチンはEUの接種キャンペーンに柔軟性を与えてくれる」と述べた。

アストラゼネカのワクチンは英国とインドがすでに接種を始めている。EUは最大4億回分の調達契約を結んでいる。だが、同社は承認直前になって合意した量を供給できないとEUに通告し、EUや加盟国が非難。EUは域外への輸出規制を導入する事態となっている。欧州委のフォンデアライエン委員長は「アストラゼネカが合意した4億回分を供給することを期待している」とコメントした。
EUは2020年12月、米ファイザーとドイツのビオンテックが共同開発したワクチンを承認し、接種を開始。今月には米モデルナのワクチンの接種も始めた。イスラエルや英米と比べて接種の遅れが問題になっており、接種拡大への期待が大きい。


20代で母が認知症と診断された女性の壮絶人生

2021-01-30 15:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

父の退職金が消えた?
静岡県在住の藤本弘美さん(仮名、40歳)は、短大進学をきっかけに大阪でひとり暮らしを始めたが、2002年、23歳のときに静岡の実家に戻った。その頃父は62歳、母は58歳。60歳で定年を迎え、再雇用を経て、家にいることが多くなっていた父は、母の異変に気づく。
退職金が振り込まれているはずの「通帳を見せろ」と言ったところ、「お金なんてないよ」と母。父は自分で通帳を探し始めるが、いつもあるはずの場所にない。カードや印鑑も見つからない。家中探して、やっと通帳は見つかったが、退職金はほとんど残っていない。父が「どこへやった?」「何に使った?」と聞いても、母は言い訳をするか、つじつまを合わせようと必死で取り繕うだけ。
部屋からは、怪しい機械のパンフレットや申込書、保険の契約書などが見つかり、どうやら必要のない機械や保険を複数契約してしまったらしい。父は、母が契約してしまった保険を解約しようと思ったが、肝心の保険証書がない。契約書から保険会社を割り出し、何とかいらない保険を解約。見つからない銀行の通帳やカード類は、再発行の手続きをした。
藤本さんが大阪にいる間も、父から何度か「母さんがおかしいから帰ってこい」と言われていたが、年に数回帰省するときには、とくにおかしいとは思わなかった。実家に戻った頃は、母はまだ料理ができていて、母が漬け、母の字で「平成14年6月」と書かれた梅酒が残っている。
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しかし、藤本さんが近所の会社に勤め始めると、母が作るお弁当の内容がだんだんおかしくなっていった。2段になった弁当箱のうち、ご飯が詰められた段はいいが、おかずが詰められるはずの段には、唐揚げが2個入っているだけでスカスカ。しかも唐揚げはレンジで温めすぎたのか、固くカリカリになってしまっていた。藤本さんは異変を感じつつも、「忙しくて温め時間を間違えちゃったのかな」と思った。
ところが、買い物に行くと同じものを何個も買ってきたり、通い慣れた道なのに、迷って家に帰ってこないことなどが頻繁になる。
7歳年上の兄が関東から帰省したとき、すぐに認知症を疑った。家族全員で病院へ連れて行った結果、母は若年性アルツハイマー型認知症と診断される。2006年のことだった。
母が認知症と診断されてからは、食事の支度は父の担当に。以前は自分で使った食器も片付けない人だったが、NHKの「今日の料理」を欠かさず見、本も定期購読。どんどん料理を覚えていった。ところが、なぜか母はそれが気に入らない。「夫婦なんてしょせん他人よ。お父さんが作ったものなんて食べない」と言って外へ飛び出していってしまう。
「ヘルパーさんや私にはいいのに、父に対してはいつも不機嫌で、カレーを食べるスプーンとお皿のぶつかる音が嫌だとか、いろいろ文句をつけて外に飛び出しては、コンビニでおにぎりを買って食べていました。もしかしたら、子育てで忙しかったときに父が手伝ってくれなかったとか、若い頃から積もり積もった嫌な記憶や恨みつらみが、認知症になったことで抑えられなくなったのかもしれません」
基本的に、日中は父。夜、仕事から帰宅した後は、藤本さんが母の世話をした。
「『いきなり変なこと聞くようだけど、あんたの親って誰だっけ?』と言われたときはショックでした。ずっと名前は呼んでくれていましたが、だんだん言葉が出てこなくなり、2008年頃にはトイレができなくなりました」
食事はできるが、三角食べはできない。2~3歳の子どもに食べさせるように、「次はこれを食べようね」と声をかけながら、おかずを御飯の上にのせてあげた。汁物はこぼしてしまうので、お椀を手で支えて、口に運んであげなければならない。毎晩帰宅してから、2時間ほどかけて食べさせていた。
娘の誕生日もわからなかった
「29歳の私の誕生日に、ふと『今日何の日か知ってる?』って聞いたんです。でも母は、『知らない、わかんない』。『お母さんが私を産んだ日だよ』と言ってもわからないようで……。忘れちゃったんだって思うと寂しいですが、『受け入れるしかない、自分が覚えていればいい』って思うようにしました」
夜中にトイレで起こされるのは日常茶飯事。藤本さんは仕事との両立でクタクタだった。
「20代後半って、周囲は結婚・出産ラッシュ。私がちょっと介護がつらいと言えば、『子育てだって大変だよ』と返されて、やるせない気持ちになりました。父には夜は休んでほしくて、私が頑張らなきゃと思ってたんですが、睡眠不足と理解者がいない寂しさから、母につい当たってしまったこともありましたし、思い詰めて、精神的に病んでしまったこともありました」
母の介護があるため、会社の飲み会は断ることが多かったが、数回参加したことがある。深夜に藤本さんが帰宅すると、父が母に怒鳴る声が家の外まで響いていて、一気に酔いが覚めた。父に怒られて家を飛び出した母が帰ってこないので探しに行ったところ、数駅先にある自分の実家へ帰ろうとして迷子になっていたこともあり、「父1人に抱えさせてはダメだ。私はなるべく家にいなくちゃ」と思った。
やがて藤本さんは、インターネット上に同じような経験をしている人を見つけ、悩みを相談し合うように。その頃始めたブログは、大切な心の拠り所となった。
2013年。父が脳出血で倒れた。73歳だった。父が倒れた段階で、母は特別養護老人ホームに入所。仕事と両親の介護の両立は、1人では不可能だと考えたからだ。以前から申し込んでいた施設に事情を話したところ、運よく空きがあり、快く受け入れてもらえた。
「2つの特養に申し込んでいて、1つのところは2回ほど空きが出たのですが、職員さんの対応が気になっていたことと、私が母ともう少し一緒にいたいと思ったことから断ってしまいました。父は『それならもう少し家で見ようか』と言ってくれましたが、その頃よく、『体がしんどい』『このままだと俺に何かあったらいけない』とこぼしていて、今思うと限界だったのかもしれません」
父は一命をとりとめたが、右半身に麻痺が残った。
34歳のとき、妊娠が発覚
妊娠が発覚したのは、藤本さんが34歳のときのこと。藤本さんは同じ会社の同僚と交際していた。
「両親のことを背負って生きる覚悟みたいなものを決めていたので、『結婚なんてしていいのかな』『私が家を出たら、父は大丈夫かな』と悩みました。でも、『父にウェディングドレス姿を見せたい』という思いもあって……。結局、あの時結婚して娘を産んで、よかったと思っています」
2014年に娘を出産し、父の希望により、実家から車ですぐの場所に新居を構える。
父は退院して家に戻ったが、右半身の麻痺で料理ができない。そこで、父が『きょうの料理』を見て食べたいものを決めると、藤本さんが土曜日に必要な材料を買いそろえ、その材料でヘルパーさんに作り置きをしておいてもらうことに。
そして藤本さんは、産休・育休を経て、娘が1歳になる年に仕事に復帰。
「復帰したばかりの頃は、新しい仕事を任されたこともあり、正直きつかったです。父はメモができないからと言って、早朝だろうが勤務中だろうがお構いなしに電話してきましたし、娘はすぐに熱を出すし……。この頃は毎日が忙しすぎて、自分の記憶はほとんどありません」
夫は料理以外の家事・育児はやってくれる。産後間もない頃、母の通院に付き添いが必要なときも、仕事を休んで娘を預かってくれた。
「夫は子育てには協力的だし、両親の介護にも理解があると思います。出産前、『祖父母が近くにいて、子育てのサポートが受けられる家が多いけど、うちはないからね。私は両親に何かあったら行かなきゃならないから、この子のことよろしくね』ってよく話したんです」
そして2015年、母が水頭症で入院。水頭症は脳に水がたまって脳を圧迫するため、認知症の原因かもしれないと言われたが、手術をしても認知症の症状はよくならなかった。
一方父は、自宅で転んで起き上がれないことや、体調が悪い日が増えていく。藤本さんは、仕事が終わって娘を迎えに行った後や、娘を寝かしつけた後に実家に行き、父の世話をすることが多くなっていった。
2016年秋、父が腸閉塞で入院。
ほぼ同じタイミングで娘が胃腸炎になる。娘の看病は夫の協力を得た。
父はしばらく絶食し、症状が改善したので退院。自宅で様子を見ていたが、約2週間後に再発。運の悪いことに、吐いたものが肺に入り、誤嚥性肺炎を併発してしまう。前回の入院で絶食し、抵抗力が弱まっていた父は、すぐに危篤状態に陥った。
ちょうどその頃、夫は体調を崩して寝込んでいたため、娘を預けられない。仕方がないので、父の主治医の話を子連れで聞いた。夜9時を過ぎていて、娘は背中で眠っていた。
「会わせたい人がいたら呼んでください」と言われたが、母はもう父のことがわからない。母を呼びに行っているうちに父に何かあったら……と思うと、父のそばを離れられなかった。
「夫婦のあり方を考えさせられました。定年してせっかく夫婦で過ごす時間ができたと思ったら、妻が認知症……。夫婦で老後を元気に過ごさせてあげたかったと思いました」
多忙と心労が重なり、藤本さんも体調を崩していた。何度か吐いたし、意識も朦朧としていたが、「親戚も来る。対応しなきゃ」と気が張っていたのか、何とか葬儀までやり遂げた。
「結婚後も同居していれば、父はもっと長生きできたかもしれないと後悔しています。でも、少しでも離れることで、私は自分の生活とのメリハリがつけられた。どちらがよかったのか、答えは出ません」
肺炎になった父は、酸素不足のためチアノーゼに。苦しさのあまり激しく悶えてベッドから降りようとするところを、看護師や兄たちみんなで押さえた。心拍や脈拍を計測する機器の電子音が耳に残り、以降、銀行やコンビニのATMの音を聞くと、つらくなって耳を覆った。
「私はお酒が好きだったのですが、両親に何かあるといけないからと思ってずっと飲めずにいました。その反動なのか、父が亡くなった後、眠れなくてお酒を飲むように……。気がついたら明け方で、仮眠をとってまた仕事に行く、という毎日を過ごしていました」
39歳で不妊治療を開始
父の一周忌が終わった2018年、藤本さんは2人目を考え始めた。
「父が亡くなって半年ほど過ぎた頃、少しずつ周囲に目を向けられるようになって、気づいたら39歳。保育園のママ友はいつの間にか下の子を産んでいて、よく考えたら娘の卒乳もトイレトレーニングもできていなくて、何やってたんだろう私……と思いました」
藤本さんは不妊治療を開始。1回目の体外受精は失敗に終わった。
「親の介護をしてみて、つくづく両親の老後を1人で背負うのはきついなと……。父が危篤になったとき、病院や葬儀の手続き、親戚への連絡、通夜葬儀の喪主やお金のことなど、やらなきゃならないことがたくさんあって、兄がいてよかったと思ったんです」
治療開始時の妻の年齢が40歳以上43歳未満の場合、通算3回まで助成金が降りるため、3回までは挑戦するつもりだ。
「父が亡くなった年は、1年で60日休みました。居づらくなる雰囲気もなく、理解のある会社で感謝しています」
不妊治療の通院が加わり、相変わらず有給休暇の消費は激しい。母のところへは、イベントや通院付き添いなどで1~2カ月に1回ほど行っている。
「母に会うと、どうしても両親が元気だった頃を思い出してしんみりしてしまうんですが、そんなとき娘に『大人なのに何でいつまでもクヨクヨ言ってるの? もういいでしょ、お母さんなんだからしっかりしてよ!』と言われるんですよ」
娘は生きる希望
介護や仕事でつらいとき、娘が心の支えになった。
「逃げ出したくなったときはいつも、妊娠がわかって悩んだときの決意を思い出しました。娘は生きる希望です。『この子を守らなきゃ』と思うと強くなれました。ずっと両親優先で、自分を二の次に考えていたけれど、妊娠は自分の人生を後悔しないよう、ちゃんと考えるきっかけになりました」
実家はまだ父が暮らしていたときのままになっており、時々様子を見に行く。
「親に子育てを手伝ってもらうことはできなかったけれど、なかなかできない経験が若いうちにできて、親に勉強させてもらったと思っています。いろいろな人に、『親は先に亡くなるものだから、親の介護を優先してたら、亡くなったときの喪失感が大きくなるよ』と言われますが、子育てだって同じ。私の場合は両方あるので、どちらにものめり込みすぎずに済むと思うんです」
そんな藤本さんに、将来の夢を聞いた。
「私の場合、20代で母の介護が始まったので、独身生活を謳歌する暇もありませんでした。だからその分、シニアライフを楽しみたいですね。私も夫も車が好きなので、2人乗りのオープンカーでドライブ旅行とか憧れます」
子どもが手を離れた後のことを考えるなら、2人目を考えるのは矛盾しているかもしれないが、「授からなかったら授からなかったときで、そんな将来もいいなと思います」と笑った。


「闇バイト」コロナで激増する参加者たちの末路

2021-01-30 13:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからプの借用(コピー)です

闇バイトは「生活苦な人」を狙う
大学生のAさんは「コロナで収入が減って苦しい。仕事がほしい」と書き込んだ後、知らないユーザーから「高収入のバイトをしませんか」という連絡をもらったという。親の経営する飲食店は休業状態で仕送りもストップ。生活費に当てるはずの頼みのバイトもシフトが激減し、生活費が尽きかけていた。
高収入の響きに引かれて返信をしたところ、「完全に受け子の誘いだった」という。受け子とは、振り込め詐欺などの特殊詐欺で、被害者から直接現金やキャッシュカードなどを受け取る役割のことだ。
新型コロナウイルス関連による解雇や雇い止めは、5月21日時点で1万人以上に。緊急事態宣言が発令された4月以降急増し、5月だけでも7000人を超える状態だ。
失業率の悪化と同時に、求人も減っている。厚生労働省によると、3月の有効求人倍率は1.39倍で前月より0.06%下がり3年半ぶりに1.4倍を割った。新規求人の落ち込みは特に大きく、1月から前年同月比で10%超の減少が続き、3月も12.1%減となった。
犯罪者集団は、失業や収入源に悩む人に狙いを定めて闇バイトの勧誘を始めている。その実態とリスクについて解説したい。

今年3月、千葉県の50代の女性が90代女性からキャッシュカードを騙し取ったとして逮捕された。加害女性は、新型コロナウイルスの影響で舞台照明の仕事がキャンセルとなり、Twitterで受け子のアルバイトの募集を見つけて応募したという。5月にも、福井県で22歳の男がやはりTwitterで「高収入」で検索したのをきっかけに、受け子のバイトをして逮捕された。
全国的な休校措置により、学生が狙われるリスクも高まっている。男子高校生がTwitterで「高収入バイト募集」とうたうアカウントに連絡をとったところ、「客の家に行きお金を受け取るだけの仕事で一日10〜50万円になる」などという返事がきた。「あまりに怪しいので慌てて断った」という。
また、海外でも失業者が中心に狙われている。PhishLabsの研究者が発見したフィッシングメッセージは、新型コロナウイルスによって失業したカナダ人やアメリカ人をターゲットとしており、「在宅で月5000ドル稼げる」とうたっていた。このような例は、世界的に増えているようだ。
えげつない「受け子バイト」のシステム
受け子バイトの手取りは、被害者から受け取った金額の10%ほどと言われている。100万円を受け取れば一日で10万円を得られるが、もちろん違法行為なので逮捕されるリスクもある。
闇バイトの首謀者は自分が捕まるリスクを減らすため、直接、被害者と接触する受け子や、ATMで現金を引き出し防犯カメラに映る出し子など逮捕されやすい役割を失業者や学生に任せるわけである。
ちなみに闇バイト募集の投稿には、「詳細はテレグラムにて」と書いてあることが多い。テレグラムとは機密性が高くメッセージの復元も難しいため、犯罪集団のやり取りにも多く使われているメッセージアプリだ。
実際に連絡を取ると事前に面談があり、お金の持ち逃げを防ぐために、運転免許証などの身分証明書か保証金の提出が求められる。その際、携帯電話番号や住所、両親の連絡先なども確認される。万が一、途中で逃げたときには、身分証明書がTwitterなどでさらされたり、実家や自宅に押しかけられる危険性がある。
当日の仕事用に、スーツやビジネスバッグ、マスク、帽子、偽のカードや封筒なども用意する必要がある。コロナ禍でテレワークの人が多かった最近では、スーツ姿が災いして職務質問され、逮捕された受け子もいるそうだ。
「受け子」「出し子」のほかにも、電話をする担当の「掛け子」や、規制薬物などを密輸する「運び」、強盗など暴力を伴う「叩き」もTwitterで募集されている。
叩きには、「アポ電強盗」も含まれる。出し子を襲って現金を奪うのは「取り子」だ。自分のグループの受け子や出し子からお金を奪い取り、その債務を受け子や出し子に背負わせたり、ほかのグループの受け子や出し子から横取りする場合もあるという。
闇バイトへの参加は「初犯でも実刑」
実は今コロナでの失業者を対象とした闇バイト募集も増加しているが、応募も増えている。生活苦や収入不安から、目先の誘惑に釣られてしまう人が少なくないようだ。
しかし、たとえば受け子をして詐欺容疑で逮捕された場合は、初犯であっても実刑判決がくだされることがあるなど、厳罰化の傾向にある。
未成年でも、14歳以上なら逮捕の対象だ。逮捕されて人生を棒に振ることがないよう、このような誘惑には目を向けないことが大切だ。
休業でアルバイトの収入が減少した学生を対象に10万円、住民税非課税世帯の学生には20万円の給付が決まった。これ以外にも文部科学省が、「新型コロナウィルス感染症の影響で学費等支援が必要になった学生のみなさんへ」として授業料減免や給付型奨学金などの対策を発表しているので、このような公的支援を頼り、なんとかして苦境を乗り切ってほしい。


【”愛子天皇”は是か非か】「悠仁さまを”差し置く”ことで起こる順位逆転の危険性」櫻井よしこ氏インタビュー

2021-01-30 11:08:00 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です


 12月1日、愛子さまは18歳の誕生日を迎えられた。成年皇族になられるまであと2年と迫ったいま、皇位継承をめぐる議論が本格化しようとしている。最大の焦点は「女性天皇」「女系天皇」を認めるか否かだ。
 最近の各メディアの世論調査では、「愛子天皇」を可能とする「女性」天皇について、賛成意見が大勢を占めている。一方、伝統を重視する保守派はこれまで通りの「男系男子」による皇位継承を主張し、母方から天皇の血筋を引く前例のない「女系」天皇容認論に警戒感を強めている。あくまで”応急処置”的だが、皇族数の減少を食い止める策として、女性皇族が結婚後も皇族にとどまる「女性宮家」も検討課題に上がっている。
 この皇位継承の問題をどのように捉えていけばよいのか。政府や与野党幹部からの発言も続く中、「週刊文春デジタル」では、各界の識者に連続インタビューを行った。今回は、ジャーナリスト・櫻井よしこ氏に聞いた。櫻井よしこ氏 コピーライトマーク︎文藝春秋
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 私の立場は、女系天皇と女性宮家の創設には反対、何らかの形での旧宮家の皇籍復帰は賛成、というものです。
 10月22日に宮中で行なわれた、即位礼正殿の儀にお招きいただきました。わが国の歴史の深さを感じさせる素晴らしい式典でした。天皇陛下もご立派なお姿でした。2千人の招待客のうち、4百人ほどが外国の王族や元首でしたが、みなさん感じ入った様子でご覧になっていました。即位礼正殿の儀 コピーライトマークJMPA
 皇室の伝統が長く保たれてきたことは、国民として本当に幸せですし、日本が誇るべき宝物だと実感しました。ご即位に関する儀式の一部を拝見しただけですが、それでも深い感銘を受けました。
 皇室や天皇陛下は、なぜ尊敬や憧憬の対象となっているのでしょうか。見た目がよいからでもなく、スポーツなどの一芸に秀でているからでもなく、ノーベル賞を取るような才能をおもちだからでもありません。個人の個性や能力を超えた次元で、お血筋を継いでいらっしゃるためでしょう。
 国民の幸せと、国家の安寧のために、さらに世界の平和のために祈り、言葉だけでなく行動でもお示しになってきたのが、歴代の天皇です。そのような価値観を、政治的権力とは無縁のお立場でずっと引き継いでこられた。そうした歴代天皇が同じお血筋で連綿とつながっています。
 第16代の仁徳天皇は、民のかまどから炊煙が上がらないのに気づいて、3年間の無税と労役免除をお命じになった。お住まいの屋根が壊れても、修理をなさらなかった。さらに3年待って、民のかまどから煙が立ち上るのを見て、「民の豊かさは朕の豊かさ、民の貧しさは朕の貧しさ」とおっしゃったといいます。
 国民と国家の安寧のために祈る純粋無垢な存在として、126代も男系男子で続いてきた万世一系の天皇の歴史を、無条件で私たちはありがたいと感じ、一度も断絶することなく受け継がれてきたお血筋だからこそ、皆が納得するのではないでしょうか。
なぜ女系天皇ではいけないのかコピーライトマーク文藝春秋
 女性天皇は過去に10代8方の前例があります。前例もありますから受け入れてもよいかしらと私は考えていましたが、よくよく状況を知ってみて考え直しました。たとえば推古天皇はなぜ、女性でありながら天皇となられたのか。
 男系男子がいなかったからではなく、逆に多すぎてどなたを天皇にすべきか――当時は現在のような明確な決まりがありませんでしたから――争いが起きそうになって誰も反対できなかった皇后が即位したのです。男系男子が多くいらした当時と現在は正反対です。男系男子が少ない現在、女性天皇を認めれば、あるいはそのままその方が天皇であり続け、お子さまも天皇になられるということになりかねません。すると、そこで女系天皇になり、天皇家が入れ替わることになります。
 現在の状況下では、女性天皇は女系天皇につながる可能性がありますから、これはやはり、慎重に避けるべきだと考えます。
 もう少し具体的に考えてみましょうか。女性天皇を認めるとした場合、どうなるでしょうか。たとえば愛子さまが即位され、「愛子天皇」に男のお子様がお生まれになるとします。すると「直系の男子を差し置いて、次は悠仁さまでいいのか」という議論が起こるでしょう。本来は、悠仁さまを差し置いて「愛子天皇」が誕生したのに、そちらの“差し置いて”は忘れられてしまい、愛子さまのお子様を“差し置いて”になってしまう。順番が逆転してしまう危険性があります。愛子さま コピーライトマークJMPA
 平安時代の藤原氏は、娘を盛んに皇后にし、生まれた天皇の外祖父として権勢を振るいました。次に、平家にあらずんば人にあらずの時代が来て、平清盛も娘を皇后にして、外祖父となりました。しかし驕る平家は、まもなく源氏に敗れて滅亡します。
 あの時代に女系天皇が認められていたら、皇室は藤原氏の血筋に変わり、次は平氏の血筋へと変わっていたかもしれません。時代が下って、織田の血筋の天皇や豊臣の血筋の天皇も誕生していたかもしれません。そうならなかったのは、男系の天皇にこだわったからです。つまり女系を認めてしまえば、その時々の権力に振り回されることにもなります。
 皇室に入る男性は皇室のお血筋を引いていなければならず、民間から入れるのは女性だけと限ったのは、古代の人々の知恵だったと思います。そのように私は考えていますから、女系天皇には強く反対します。
 付言すれば、女系天皇を認めることは、秋篠宮殿下と悠仁親王殿下を廃嫡することになります。次の天皇とその次の天皇になる方々を廃嫡せよという主張は、本当に恐ろしいことです。女系天皇論者は、そこまできちんと認識しているのでしょうか、疑問です。
旧宮家の方は時間をかけて馴染む
 女性宮家の創設にも、私は反対です。なぜなら、女性宮家から女系天皇につながる可能性が大いにあるからです。先程も少し別の形で触れましたが、愛子さまが結婚なさっても降嫁せず、女性宮家をお作りになり、やがてお子様が生まれます。玉のような賢い男の子だったとします。するとやはり「次は、あの方でいいのではないか」という議論が起こるでしょう。お顔を見たら可愛いとか、利発そうだとか国民の心も動かされると思います。
 とはいえ、現在の皇位継承有資格者は、秋篠宮さまと悠仁さま、常陸宮さまの3人だけですから、この先大丈夫なのかという心配はもっともです。皇族の方々の数をふやし、悠仁さまをはじめ、現在の皇室を支えていく体勢作りが必要です。秋篠宮ご夫妻と悠仁さま コピーライトマークJMPA
 日本には、GHQによって無理やり臣籍降下させられた11宮家の人たちがいらっしゃいます。中には絶えてしまったお家もありますが、きちんとした生活を維持して、男系男子をたくさんお産みになっていらっしゃるお家もあります。
 日本が戦争に負けたという政治的な理由だけで、皇族であることをおやめなさいといわれた人たちですが、お血筋はきちんとつながっています。皇族にお戻りいただくことに、何の問題もないはずです。
「戦後70年も俗世にまみれた人たちが、今さら皇籍に?」という反対意見も聞きます。まず誤解があるのは、臣籍降下させられて今は民間にいらっしゃる元皇族の方々が皇籍に復帰するとしても、この世代の方々は決して天皇にはならないことです。なぜなら、悠仁さまが即位されて崩御なさるまで、少なく見ても今から70~80年はあるでしょう。2世代半から3世代に匹敵する時間です。悠仁さまのご成婚があり、男子がお生まれになれば、その方がお継ぎになるわけですから、百年先までも現在の皇統が続く可能性が高いのです。昭和天皇とマッカーサー 
 皇族に復帰なさった旧宮家の方たちがお役に立つときが来るとしたら、悠仁さまに男のお子様が生まれない場合でしょう。それはずっと先のことで、この方々はその間に皇族として国民である私たちに馴染んでいかれるはずです。
 統計学的に見て、天皇家以外に4宮家があれば、男系男子でつないでいくことが可能だそうです。4宮家に皇籍復帰していただければ、男系男子を保つことが可能になります。お子様がいらっしゃらない宮家や断絶しそうな宮家の家族養子となって継ぐこともひとつの方法です。あるいは生まれたばかりの赤ちゃんを宮家にお預けして皇族として育てるとか、いろいろな方法があるはずです。
 絶対に男子を産まなければいけないというプレッシャーの中、悠仁さまに嫁ぎたいと思う女性が現れるのかという危惧に対しても、4宮家が後ろに控えていれば、安心は増すことでしょう。
堂々と王道をいけばいいコピーライトマーク文藝春秋
 現在の天皇家をさかのぼると、第119代の光格天皇が即位するとき、皇統断絶の危機がありました。急逝した後桃園天皇に、幼い内親王しかいらっしゃらなかったからです。傍系の血筋を引いている方を探し、幾世代もさかのぼって探しましたので、手間取りました。空位を避けるために崩御を伏せ、ようやく見つけたこの方を後桃園天皇の養子にして践祚させるという段取りを経た後、初めて天皇崩御を公表したのです。
 神武天皇以来、2千数百年の歴史を男系男子でつなぐためには、さまざまな危機がありました。それでも、民族の知恵で私たちは乗り越えてきたわけです。その結果が、国民皆が受け入れている、今の私たちの皇室です。
 現在の皇室は、光格天皇のときよりずっと恵まれていると思います。悠仁さまがいらっしゃるからです。このままご健康に成人なさって、結婚なされるのをあたたかくお見守りするのが、私たちの責任です。
 皇統の問題に関しては打算も利害もなく、誰もが善意で意見を言います。そのとき深く考えたいものです。そして気づきたいものです。女系を主張すれば廃嫡を意味するということに。女性天皇を認めれば、女系も認めざるを得なくなるということに。それは、今の日本国の天皇の在り方とは本質的に異なる天皇が誕生することを意味し、これから何百年も皇室を存続させることは非常に難しくなると思います。
 間違った方向へいかないためには、中途半端はやめて、すなおに男系男子の天皇に限るほうがいいのです。日本の伝統を守るには、堂々と王道をいけばいいと思います。
 皇籍復帰するかもしれない旧宮家の方々には、改めてお覚悟を持っていただく必要があります。私たち国民も日本の長く深い伝統を踏まえて、日本国の在り方の基本を大切にする覚悟を持ち、努力したいものですね。大切なことは、ずっと昔からの伝統に基づいて、また憲法にも皇室典範にも明記されている男系男子の方針を堅持するという最も大切なことを守り通すことです。


コロナ患者退院後12.3%死亡の衝撃 回復しても3割が再入院

2021-01-30 08:30:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

 回復したからといって安心ではない――。新型コロナウイルスの感染拡大が続く英国で衝撃の研究結果が発表された。退院した新型コロナ患者の3人に1人が5カ月以内に再入院し、うち8人に1人が亡くなっているというのだ。

 研究論文を発表したのは、英レスター大と国家統計局から構成される研究チーム。昨年1月から8月末までに入院していた英国内の新型コロナ患者を対象に追跡調査を行い、コロナに感染していないグループと再入院の割合や死亡率を比較した。

 査読をまだ受けていない論文ではあるものの、研究結果によると、治療を受けて退院しても、短期間に再入院や死亡する割合が高いというから驚きだ。

 論文によると、退院した元コロナ患者4万7780人のうち29.4%が退院後140日以内に再入院。さらには、全対象者のうちナント、12.3%が死亡したという。しかも、コロナ感染していないグループと比較すると、再入院は3.5倍、死亡率は7倍も高かった。

 西武学園医学技術専門学校東京校校長の中原英臣氏(感染症学)がこう言う。

「回復したにもかかわらず、1割以上の人が亡くなるとは、感染症では考えられません。普通なら『治ったら終わり』ですからね。例えば、糖尿病や心臓病など、持病のある高齢者がコロナ感染によって体力を削られ、回復しても亡くなってしまう、ということは考えられます。高齢者だけに限って調査しているわけでもないので、いずれにしても、なかなか説明のつかない数字です。コロナウイルスとの因果関係が認められるのか、英国だけの現象なのかなど、さらに精査する必要があるでしょう」

■高齢者や民族集団に限定されるものではない

 回復後の死亡リスクが論文の数字通りに高いのであれば、「治ったから安心」なんて考えは通用しない。研究グループは論文で、コロナ回復後の患者に生じた意図しない症状や病気などの「有害事象」はコロナに感染していないグループに比べ、呼吸器障害や糖尿病、心疾患や腎臓病の割合が高〈コロナ感染後に退院した患者は死亡や再入院、多臓器不全の割合が高く、そうしたリスクの増加は高齢者や民族集団に限定されるものではない〉
〈回復後の症状に関するリスク要因をさらに理解するため、緊急の調査が必要であり、そうすることで、統計的にも臨床的にもリスクにさらされている集団に、より適切な治療を提供できるだろう〉

 コロナ感染の後遺症で倦怠感や味覚・嗅覚障害などに悩まされている人もいる。

 注意してもし過ぎることはない。いと指摘。こう結論付けている

コロナ重症者だった医師が語る 後遺症を防ぐ退院後の行動

「わたしの体にはすでにしっかり抗体ができています。今後新型コロナウイルスのワクチンを打つ必要はありません」

 仕事場のクリニックでこう語るのは日本大学医学部大学院講師で、みかわしまタワークリニックの岡野匡雄医師(75)だ。

 実は岡野氏は4月に新型コロナウイルスに感染し、ICUを含め3カ月間の入院治療を経験した重症患者だった。

 新型コロナの治療では、英国、米国などでワクチンの接種が始まっているが、国内で接種が開始されるのは来春の3月以降になる。そのため国内の重症者を含めた感染者の治療は、治療薬の選択肢が限られるなかでやらざるを得ない。その中心となっている治療が、10月に承認申請され患者の了解と医師の判断で使用されているアビガン(富士フイルム富山化学)になる。

 重症の新型コロナ患者だった岡野氏はアビガンの投与で一命を取り留め、医療現場に復帰した一人だ。岡野氏が体調の異変を感じたのは4月17日。自宅で39度の高熱に見舞われ、日大板橋病院に行きPCR検査で陽性反応が出て新型コロナウイルスに感染していることが判明、そのまま入院した。どんな治療だったのか岡野氏に聞いた。

「入院直後の2日間は1日1回アビガン1800ミリグラム(1錠200ミリグラム)を服用し、それを2日続け翌日から800ミリグラムを1日1回服用しました。39度が続いた高熱も入院4日目には36度まで下がりアビガンは効くとその時思いました。ところが高熱は治まったものの5日目に急に体調が悪化しICUでの入院治療となったんです」

 岡野氏が続ける。

「副反応ではなくウイルスの影響で肺炎を起こしたんです。食欲はなく、呼吸が苦しくなり鼻からチューブを入れて400ミリグラムのアビガンを粉末にしてとかし服用しました。CTを見ると両肺が真っ白になり間質性肺炎になっていました。呼吸が苦しい状態が続き、酸素吸入器で10リットルの酸素投与が続きましたが、2週間後に呼吸も正常に戻りICUを退院し一般病棟に戻りました。アビガンは2週間で1万3200ミリグラム使いましたが副反応は全くありませんでした」

ICUから戻った時、体重は10キロ減ってトイレに行くのも息が切れていたという。しかし、2週間ほどのリハビリで体調は徐々にもどってきた。新型コロナウイルスの感染から完全に回復したことを証明するのは、PCR検査で日にちをあけ連続2回の陰性反応が必要。岡野氏は2回陰性が出て退院したのは8月1日、感染発覚から3カ月以上の闘病だった。

 退院後に懸念されている後遺症は全く見られず、退院の1週間後にはテニス、ゴルフを始め10日後にはクリニックでの治療を再開している。岡野氏に後遺症にならないポイントを聞いた。

「糖尿病や肺炎など既往歴のある人や喫煙者は後遺症の確率が高い。私は既往症がなくたばこも吸わない。何より効果のあるのはリハビリ中の運動です。免疫力を高めることが後遺症を避ける大きな秘訣です」

 ファイザーの新型コロナワクチンが国内での製造販売の承認を申請された。治療の選択肢が増えることで一日も早い新型コロナの終息を期待する。

(ジャーナリスト・木野活明)

新型コロナ「軽症だったのに急に悪化して死亡」を防ぐ準備

 新型コロナウイルス対策で注目を集めているのが、「パルスオキシメーター」だ。昨年までは高額で気軽に手に入れられなかったが、今はネットで購入でき、値段はだいたい数千円だ。

 コロナでは、無症状や軽症だったのに、急に容体が急変して亡くなるケースが相次いで報告されている。パルスオキシメーターを手に入れておくことで、それを食い止められるかもしれない。

「パルスオキシメーターは、血液中(動脈)のヘモグロビンにくっつく酸素の割合を測定し、呼吸がうまくできているかどうかを調べる機械です」(国際医療福祉大学熱海病院検査部・〆谷直人部長=以下同)

 指先に挟むだけで測定でき、だれでも簡単に使える。「サチュレーションモニター」「経皮的酸素飽和度計」「血中酸素測定器」「SpO2測定器」という名称もあるが、いずれもパルスオキシメーターのことだ。

コロナ関連のニュースで「酸素飽和度」という言葉がよく出てくる。この酸素飽和度が、パルスオキシメーターで測定できる「血液中のヘモグロビンにくっつく酸素の割合」になる。

「普通、酸素飽和度は96~98%くらい。これが95%未満になると、正常より体の中の酸素が少ない状態で呼吸不全の疑いがあり、90%以下になると呼吸不全と言えます。酸素飽和度90%未満は在宅酸素療養の適用です」

■幸せな低酸素血症

 コロナ関連ニュースで「酸素飽和度」と並んでよく出てくる言葉が「低酸素血症」で、酸素飽和度が90%を下回った状態を指す。動脈血に溶ける酸素の量が著しく少なくなるため、体の隅々に酸素を送れなくなり、最終的には命に関わる。

 コロナ感染で無症状や軽症だったのに急に容体が悪くなるケースをアメリカの学術雑誌「サイエンス」が「ハッピーハイポキシア(Happy hypoxia=幸せな低酸素血症)」と呼び、世界中に広まった。

「もともと航空医学で使われている言葉で、パイロットに起こることがあります」

 低酸素血症になると、今までできている行動が取れなくなったり、判断能力が鈍ったりする。この症状を「多幸感」といい、とても具合がよく、素晴らしくいい気分になるといわれている。これを「幸せな低酸素血症」と呼ぶ。

 通常は、酸素飽和度が90%を下回ると、息苦しくて仕方なくなる。ところが、「幸せな低酸素血症」に陥った場合、苦しさを感じないため、自分が低酸素血症になっていると気付けず、初期症状を見逃してしまう。結果、気付いたときには重症化しており、死亡リスクが高くなる。

「低酸素血症の人が全員『幸せな低酸素血症』になるのではありません。一部ではあるものの、コロナに感染していたことが分かり、軽症と診断されたけれど『幸せな低酸素血症』になってしまうのではないかと心配な場合は、低酸素血症を視覚的に判断する方法としてパルスオキシメーターを使用する手があります。パルスオキシメーターは簡易的ではありますが、早期に低酸素血症かどうかを判断できます」

低酸素血症を起こしていると、前述の通り酸素飽和度は90%を下回る。そこまで待たず、95%未満ならば医療機関に連絡し、医師の指示を受けるべきだ。高齢者はもともと酸素飽和度が低い場合が多いので、すぐに低酸素血症に達してしまう可能性がある。感染者数が爆発的に増え、また感染力が高いといわれる変異種が登場した今、事前に準備をしておくに越したことはない。

 ちなみに、記者が自分用と老親用にネットで購入したパルスオキシメーターは、送料込みで3980円だった。