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新入社員、叱責されて「プチ引きこもり」、母から会社に抗議電話が

2021-08-08 15:30:00 | 日記

下記の記事はヨミドクターオンラインからの(コピー)です

23歳の成田昭夫さん(仮称)は銀行に入行して1年目の社員。支店で明るく働いています。5年先輩の田宮二郎さん(同)と一緒に回っていますが、8月、顧客企業から調査条件の一部変更を急がされたので、独断で処理。結果的にうまくいかない状況になりました。
 「なぜ、処理する前に一言、私に声をかけないんだ!」「損失こそなかったが、ミスを招いた」「一人の判断は早すぎるぞ。僕のミスにもなる!」と厳しい表情の田宮先輩から、キツイ注意を受けました。
「一度も叱られたことはないのに」、母親から抗議電話が
 翌日、母親から直属上司の中川課長(同)に「昭夫が落ち込んでいます」「会社でひどく叱られたそうで……泣いています。厳しく落ち込むほど新入社員を 叱責しっせき するのですか」「息子は、親の私が言うのもなんですが、優秀で叱られたことが一度もない。息子の人権はどうなるの!」と抗議電話がありました。
 課長は「お母さんが言われるように新入社員を厳しく叱責することはないです。言葉の受け止め方が違うことはあるでしょうが……」と答えました。
 母親は「しばらく休ませます。今後のことは、家族で相談するから!」と言って、一方的に切りました。
4日たっても出社なし、課長は産業医に相談
  呆然ぼうぜん とした課長は当事者である田宮さんを呼び、事情を聞きました。彼は「少しきつめに注意したかもしれませんが、仕事の件で、2回注意したくらいで、人格を責めるようなことは言っていません」と主張。当時、近くにいた人に事情聴収をしましたが、田宮さんの意見に近いようでした。
 4日たっても出社しないので、心配した課長が私のところに相談にきました。以下は、そのやり取りです。
課長: 実は対応に悩んでいます。新入社員の件ですが。(事情を説明)
私 : そうですか。注意後に母親から抗議電話があり、4日以上、出社しないわけですね。
課長: そうです。対象者から事情聴取をしたのですが、「職務範囲内のきつめの注意をした」という結論です。今後、どうしたら良いのか、悩んでいます。母親から厳しい抗議電話もあったので。
私 : そのケースは、今、増加している「プチ引きこもり」の可能性が高いです。ストレスや欲求不満などの状態になると、短期間家に引きこもるのです。
課長: 増えているんですか。初めてなので、めったにない状態かと思っていたのですが。(ホッとした表情になります)
私 : 初めて経験した方は、同じように反応し、戸惑いますね。
課長: では、どうしたら良いのでしょうか?
必要なのは母親の話にじっくり耳を傾けること
私 : まず、課長が、“キーパーソン”(問題解決のカギになる人)である母親と話し合うことです。その場合、母親の言いたい点を、じっくり耳を傾け聴いてくださいね。反論したくなるでしょうが、抑えて、抑えてね。専門的には「傾聴技法」と言います。
課長: 反論はできないのか。やりにくいなぁ。
私 : 対応法ですから、ほかに方法がないのです。
課長: 傾聴技法ですか。やってみます。聴けばよいのですね。
私 : コツと経験が要りますね。まずは、相手の言い分を聴くことから始まります。「そうですか、なるほど、それで」などの相づちで、相手の主張に応答してくださいね。それがコツですよ。反論は控えてください。
課長: 相づちで返す、なるほど。
私 : 押さえておきたいのは、母親は息子の主張しか知らないので、怒りの感情を持っていることです。課長は感情的にならないようにね。そういう場合は、じっくり聴く。耳を傾けることですよ。なぜなら、主張すれば母親の怒りが爆発し、こじれますから。
課長: 難しいなぁ‥…。
私 : それともう1つ。彼の良い点、例えば仕事で頑張っている状況などを話してくださいね。部下を認める姿勢が重要ですから。
課長: 「傾聴技法」に、部下を認める言動がポイントですね。
「叱られたことがない子で」、課長は母親の話を聞いた
 相談後、課長は静かなラウンジを予約し、母親と面談をしました。
課長: 昭夫さんの上司で、課長の中川です。おいでいただきありがとうございます。その後、彼はいかがでしょうか?
母親: 落ち込んでいますよ。部屋からも出ないで。
課長: う~ん。
母親: 叱られたことが一度もない子です。学校の成績も優秀で、学級委員もし、表彰されたこともある、私が言うのも何ですが、自慢の息子です。
 (責める感情で)
どうして厳しく、追い込むほど、叱責をしたのですか!
課長: 叱責と言うより注意ですが。
母親: 調べたのですか?
課長: 調べましたが…。
母親: 息子の気持ちを聞いていないでしょう!
課長: (お互いに感情的になっていくようだ。間をおいて、冷静さを取りもどそう)事実関係より、彼のことが心配です。将来がある人ですから。
母親:(無言のまま)
部下を心配する気持ちと期待を伝える
課長: 昭夫さんが心配です。
母親: 叱られたことが一度もない子ですから、それは、それはショックで。褒められることには慣れていますが。叱られることはないから。
課長: 優秀な息子さんですよ。わが社に入社する人ですから。
母親: 入社して喜んでいました。がんばるぞ、希望した会社に入れたんだからって。頑張りすぎたのでしょうか?
課長: 一生懸命仕事をしています、期待の人材です。
母親: そう、そうでしょうね……。
課長: だから、私も戸惑っています。急に来なくなって。優秀な人だから余計に心配で。
母親: 心配いただき、嬉しいです。(少し間があり、考えながら) 実は息子には過敏な点がありまして。見かけほど明るくはないです。それで過剰反応したのか。親だから、子どもがかわいいから、息子の話だけで、電話でぶちまけました。
課長: お母様と、お話ができ、嬉しいです。
母親: 息子とも、もう一度話してみます。
課長: よろしく。お願いします。皆、彼を待っていますから。
母親: わかりました。
次の月曜日から出社してきた
 次週の月曜日から出社してきました。課長は「やあ、よろしく」と言い、彼も「心配をかけましたが、よろしく」と応答のみで、働いています。
 (課長の報告)
課長: おかげさまで、復帰してくれました。
私 : よかったですね。嬉しいですよ。
課長: だいたいこのような対応で、うまくいくのでしょうか?
私 : 私の経験では半々でしょう。半数は長引きます。
長引くケースが半数存在
課長: どこが違うのでしょうか? 今後のためにも、ポイントを教えてください。
私 : 長引くケースは二つ考えられます。一つ目は、本人の性格などから円滑な対人関係に向かない場合。ビジネスより研究者や芸術家に向いているタイプです。もう一つは、他の疾患がある時です。
課長: なんとなく、わかりますが。
私 : 対人関係に向かず、対人不信が強い場合は、「その根っこ」に母親との関係があります。養育過程で「基本的信頼感・安心感」を子どもに与えられなかった場合です。
課長:難しいですね。
浅い葛藤なので事実関係はスルーした
 今回のケースにはうまく対応ができましたが、それはストレスが先輩のきつい注意だけで、精神的な葛藤が浅かったからです。だから母親との面談でも、職務範囲内の注意だったのか、それを逸脱していたのかというような事実関係を話題にせずにスルーして、「傾聴技法」と部下への期待を表明することに徹したわけです。元々母親には感情的なものがあるので、事実関係を話題にしても「職場VS部下・家族」という感情対立になって、こじれてしまいます。一見「プチ引きこもり」の様相を呈していても、様々な要因が絡み長期化するケースがあるので、専門医に相談していただくのが望ましいと思います。

 

追記:私にも同じ様なケースがありました。最終的には甘えを許さずほっておきました。結局退社しました。

 


「もう手の施しようがありません」と余命宣告を受けたら、どうしたらいいか?

2021-08-08 13:30:00 | 日記

下記の記事はヨミドクターオンラインからの借用(コピー)です

 末期がんの患者さんのご家族から、「余命宣告」について相談されることがあります。たとえば、こんなケースです。
 「先生、主人が担当医から、『もう手の施しようがありません、余命半年』と言われました。本当に半年しか持たないのでしょうか?」
 私の答えはこうです。
 「いや、半年ということはないと思います。まだ時間はあります。ご主人のしたいことをさせてあげてください」
 どれぐらい生きることができるかを月単位で正確に予測することはできません。ただ、患者さんから相談を受けると、「短めに話をする医者もいる」という印象を持っています。短めに言うことで、患者さんとご家族に、残り少ないということを自覚させたいからでしょう。それより長く生きたとしても、本人も家族もよかったと思うはずです。
余命宣告をする医者、しない医者
 とはいえ、余命宣告に関して否定的な医者もいます。その人がどうなるか実際にはわからないというのが、理由のひとつ。そして余命を言ってしまうと、患者さんのがんばろうという気持ち、生きる希望を摘んでしまうことを恐れるからです。暗示効果で実際にその通りになってしまうことがあります。医者の言葉は患者さんに大きな影響を与えます。見通しを知りたいと思う家族も多いので、見立てを伝えても、患者本人には言わないことも少なくありません。
 「あとどのくらい持ちますか」と聞いてくる患者さんもいます。近年、はっきりと言葉にする傾向が強くなっていると思います。
宣告された余命はあくまで「中央値」
 余命宣告は、医者の勘や経験だけで言っているわけではありません。ある程度の基準はあります。「余命1年」と言った場合、それは、生存期間の中央値が1年ということです。中央値というのは、同じ程度に進行した胃がんなら胃がんの患者の集団において、「50%の患者が亡くなるまで」の期間のことです。つまり、同じ胃がん患者が100人いた場合、50人目が亡くなった時点が胃がんの余命と考えられています。 
 その生存中央値が仮に1年だとしても、3年、5年と生きる人がいる一方で、それよりも早く亡くなる患者もいるのが現実です。そう考えると、中央値をとって「余命1年」と伝えるのも、あまりあてにならない話です。ただし、末期がんで入院中の患者さんで、主治医から「あと1、2週間ぐらいでしょう」と言われた場合は、おそらくその通りになります。病状から、かなり正確に判断することができるからです。
ズバリと厳しいことを言う医者も
 これ以上の治療に効果が期待できない、となった時、医者としても伝え方には苦労をします。難治性のがんで手の施しようがない時、ベテランの医者なら「完治は難しいですね」というような言い方をし、患者さん本人ではなく、まずご家族にそれとなく告げると思います。そうして、「先生、なんとかお願いします」と言われたら「最善を尽くします」と答えるでしょう。
 しかし、経験が浅い医者などに「完治は無理です。手術しても無駄です。持って半年です」などとあっさりと言われてショックを受けたという話も耳にします。「当て逃げのようながん告知」と言った人もいますが、まさにそんな感じでしょう。私たち医者も、ちょっとした言葉の配慮で与える印象が変わってくることを十分に理解している必要があります。
平均余命を考えに入れて医療を受ける
 国は毎年、簡易生命表を発表しています。令和元年では平均寿命は男性81.41歳、女性87.45歳となっています。正確に言うと、この数字は調査を元に統計的に出したゼロ歳時点の平均余命です。年齢別の平均余命も発表されていて、60歳なら男性は23.97年、女性29.17年と、年齢にプラスすると、いわゆる平均寿命よりもやや長くなっています。平均余命を知っても切迫感はありませんが、70歳(平均余命男性15.96年、女性20.21年)、75歳(12.41年、15.97年)と年を重ねるに従い、漫然と生きるのではなく、きちんと人生と向き合っていこうという思いが強くなります。
 日本では、手厚い健康保険制度などで、医療費負担の上限が低めに抑えられているため、「できるだけの治療を尽くしたい」と考えがちです。そのため回復の可能性は低く、苦痛を長引かせるだけのような治療すら行われてきました。
 一方、アメリカなどでは余命を示して、治療を選択するかどうか患者に考えてもらうこともあるようです。
 60歳の男性なら、がんを治療しないことで、84歳ぐらいまで生きられない、あるいはがんの症状や合併症が出現する可能性はどれぐらいあるか。こういう視点で治療を受けるかどうか決めるということです。これが85歳だと平均余命は男性6.46年、女性8.51年です。考慮に入れる期間はかなり短くなります。
時間を頭に入れて、有意義に過ごしたい
 末期がんの余命告知の話から少し離れましたが、生存期間の中央値や平均余命は、一般論なので個人にひきつければ当てにならないところもあります。しかし、どんな医療を受けるのか、あるいはやり残したことを処理する時間の目安などひとつの参考になります。
 最後は多くの人が、回復は望めず、体や心を楽にしておくのが最良の選択という状態が訪れます。それまでの時間を、こうした数字も参考にしながら、自分なりに有意義に使う方法を考えたいものです。(富家孝 医師)
富家 孝(ふけ・たかし)
医師、ジャーナリスト。医師の紹介などを手がける「ラ・クイリマ」代表取締役。1947年、大阪府生まれ。東京慈恵会医大卒。新日本プロレス・リングドクター、医療コンサルタントを務める


「自死をチラつかせて皇室を恫喝」小室佳代さんの"暴露記事"は何を狙っているのか

2021-08-08 11:00:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

新潮が報じた小室圭さんの“逞しい姿”
秋篠宮眞子さんが小室圭との結婚を成就させるための「最後の闘い」に動き出した。
最近、そう思わせる2つの報道が相次いで週刊新潮と週刊文春の兄妹雑誌、文春WOMAN(夏号)に掲載され話題になっている。
ニューヨークにいる小室圭の情報は、フォーダム大ロースクールの中でも頑張っている、学内誌に彼がインタビューした記事が掲載された程度のものはあったが、彼のプライべートな情報はこれまで、ほとんど漏れてこなかった。
だが、週刊新潮(6/24日号)が、珍しい圭のニューヨークでのほほえましくも逞たくましいエピソードを報じたのだ。
語っているのは圭のフォーダム大の同級生である。
「あの日、私は遅い時間の授業を終えた同級生たちと帰路についたんです。一緒にフォーダムの校舎を出たグループの中にはケイの姿もありました。
そして、私たちがすっかり日の暮れた街を談笑しながら歩いていると、通りの反対側から言い争うような声が聞こえてきた。
そこで目にしたのは、小柄なアジア人男性に執拗に絡む背の高い男の姿でした。その男は、嫌がるアジア人男性に冷やかしの言葉を投げかけてまとわりつき、逃がそうとしなかった。
身なりからしてホームレスだったと思います。アメリカではアジア系の人々に対するヘイトクライムが後を絶ちませんが、私たちはまさにその現場に居合わせてしまったのです」
危険も省みずアジア人男性のもとに駆け寄った
今年の3月にはジョージア州のアトランタ周辺のマッサージスパ施設が続けざまに襲撃され、計8人が死亡している。
犠牲者のうち6人はアジア系の女性だった。
ニューヨーク州では、昨年1月に改正保釈法を施行して、暴力事件以外はたとえ重罪であっても被疑者を拘置所には入れずに、裁判が終わるまで足首にGPSを付ける条件で保釈するようになったという。
だが保釈後に被疑者が新たな犯行に及ぶケースが相次いでおり、治安の悪化が問題になっているそうだ。
そんな中では、面倒ごとに首を突っ込むという考えはなかなか出てこないのに、小室圭は違ったというのである。
「周囲の同級生を尻目に、ケイだけが絡まれているアジア人男性のもとに駆け寄ったんです。自分の身が危険に晒されることも厭わずにね。揉めているふたりの間に入って、状況を打開しようとしたわけです。ホームレス風の男がケイに注意を奪われていると、アジア人男性はその場から立ち去ろうとしました」
「それを見た男は苛立った様子で、より攻撃的になったんですが、ケイに動じる様子はなかった。相手が落ち着くまで冷静に、優しく話しかけ続け、どうにか事なきを得たんです。
ケイにしてみれば、同じアジア系として放っておけなかったのかもしれません。ただ、ケイは間違いなく人間的な強さと、思いやりを兼ね備えた人物だと感じましたよ」(同級生)
いい話ではないか。
母・佳代さんは記者に初めて口を開いた
皮肉屋の週刊新潮は、母親の佳代が、圭が大学時代にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学するとき、「ホームレスには近づくな」といったのに、その「教え」に背いたと書いているが、本心からではあるまい。
こうした小室圭の“素顔”がもっと伝えられれば、眞子さんとの結婚に対する国民の目も違ってくるに違いない。
次は、元婚約者との金銭トラブルの当事者だが、これまで一切メディアには話をしてこなかった小室佳代が、文春WOMANの記者に初めて口を開き、現在の心境や秋篠宮眞子さんへの思いを語ったのである。見事なスクープである。
記者は佳代の話を聞きたいと1年にわたって接触してきたという。だが、佳代から話を引き出すことはなかなかできなかった。
昨年9月ごろ、記者は自分の素性や経歴を話している時、幼い子供がいることを伝えると、「突如、佳代さんは歩みを止めて、こちらを振り向いた。『男の子ですか? 女の子ですか?』」。そこから少しずつ話を交わすようになったという。
「今の洋菓子店はアルバイトではなく正社員で、今年で十五年になる」「圭に勉強しろと叱ったことは一度もない」「うちの息子はバイオリンの天才ですなんていったことはない、あの子、全然下手ですからね」
「息子は全部自分で決めてやるタイプ。十八年に留学してからはそれほど連絡を取っていない」「さまざまなことを書かれ、二年ほど前には周りの人たちに『さようなら』と別れを告げていなくなろうと思った。いつ死んでもいいと思うこともあった」
これまで報じられた心ないメディアの報道には心底傷ついたとも話している。
「お相手の方を同じ女性として大尊敬しています」
小室圭の文書が出ることは事前に知らされていなかったという。
その後、元婚約者と解決金について話し合うといいながら、そのままになっているのは、長期入院していたからだそうだ。
元々具合が悪く、4月上旬に手術を受けたが、「傷のアガリが悪く」(佳代)1カ月以上入院していたという。
秋篠宮眞子さんについては「お相手の方」といういい方をしている。
「お相手の方はとても立派な方で、曲がったことや嘘はお嫌いで真実のみを信じて、ご自身の意見もしっかり持っていらっしゃる。僭越ながら同じ女性として尊敬……大尊敬しています」
続けて、「うちの息子にはもったいないくらいです。以前、お会いした時には、『私は完璧な母ではないです』『ちゃんと息子を育てあげていないので』と、不安な気持ちを正直にお伝えしたんですが、それでも受け入れてくださって。こんなに長きにわたってお相手の方が息子のことを信じて、愛してくださっていることに、私は本当に感謝の言葉しか申し上げられません……」と語っている。
息子が結婚する予定の女性とはいえ、皇族とのやりとりをここまで赤裸々に明かすことに、眞子さんの了解はとっているのだろうかと心配になるほど、饒舌である。
一方、金銭トラブルについては…
とりわけ息子の圭を眞子さんは「信じて、愛してくださっている」といい切っているのは、よほどの“確証”がなければいえないことだと思う。
だが一方で、結婚の障害になっている金銭トラブルについては、
「十二年九月に向こうの方から婚約破棄を告げられた時は、あまりに突然のことでビックリしました。私がその場で『理由を教えてください』と言っても、『それは申しません』と、その繰り返しで、私は気が動転して『私のお料理の味が悪かったんですか』とよく分からないことを口走ってしまったくらいです。
お金についても『今までのもの、清算はどうすればいいんですか』と聞いたら、『差し上げたものです』『まったく結構です』とおっしゃって」
と、小室圭が2度の文書で説明した内容を繰り返すだけだった。
この2つの“報道”をどう考えるかは後で触れるとして、特に小室佳代の独占告白には、各メディアも驚きはしたが追及の手を緩めることはなかった。否、さらに厳しい論調になったのである。
ここへきてなぜ“露出”を解禁したのか
金銭問題は勝手に強制終了させ、これまでの息子を操る強権的な母親というイメージから、息子に一本立ちされ、弱みを持った女性へと“キャラ変”していると報じているのは女性自身(7/13日号)で、その理由をこう推測する。
「元内親王の義母ともなれば、新年など折に触れて皇室の方々と会うことにもなります。結婚が現実味を帯びてきたことで、佳代さんは“天皇家の親戚”になることを意識し始めたのかもしれません。
また、佳代さんが“メディア露出”を解禁したことで、今後さらなる告白があるかもしれません。婚約延期に至るまでの秋篠宮ご夫妻とのやりとりなども、明らかにされる可能性があります」(宮内庁関係者)
秋篠宮夫妻が息子と眞子さんの結婚を邪魔立てするのなら、こちらにも覚悟がありますよという佳代の“宣戦布告”ではないかというのである。
女性セブン(7/15日号)はさらに深読みをしている。
やはり宮内庁関係者が、「佳代さんの『告白』には、自分の主張を長々と連ねた小室圭さんの文書に近いものを感じました。“お騒がせしてすみません”の一言がないんです。徹底して自分の非を認めない。それどころか、自分がいかに大変な思いをしたかを強く主張する。これを読んだ国民がどう思うのか、それが心配です」と指摘する。
「自殺願望」発言は秋篠宮家への“恫喝”か
女性自身同様、こうもいっている。
「眞子さまとのプライベートなやり取りが明らかにされました。“暴露された”と言ってもいいでしょう。本来ならば、皇族ご本人の口以外からは許可なしに語られてはいけない内容なのです。
もし眞子さまが小室家に嫁がれることがあれば、佳代さんはさらに皇室のプライベートを知りうる立場になります。それなのに、皇族方との私的なやり取りを公にすることの重大さを理解していないのは、本当に恐ろしいことです」(同)
その上、佳代の「自殺願望」発言が、秋篠宮家側に衝撃をもたらしたと見ている。
「もし結婚ができないとなれば、佳代さんが最悪の事態を引き起こしてしまうかもしれない。そう考えれば、この自殺願望の告白は“結婚できなければ大変なことになる”という“恫喝”のような恐ろしい響きも持っているのです」(別の宮内庁関係者)
この“恫喝”によって、「今後ますます皇室側から破談は言い出しづらくなるでしょう。かといって、現状では結婚させることも難しい。もう今後何年もこの膠着状態が続いていくのかもしれません」(皇室関係者)
女性セブンは、「佳代さんの『告白』は、結果的に眞子さまのご結婚の日を遠いものにしたようだ」と結んでいるが、そうだろうか。
母子の印象を変える記事が出た本当の理由
これ以外にも、週刊女性(7/13日号)は、秋篠宮が、コロナ禍のために遅れていた「立皇嗣の礼」の関連行事である三重県の伊勢神宮や、奈良県の神武天皇山陵を訪問することを検討していると報じている。
だがそれは、「秋の結婚はやむを得ず見送る」ためで、そうなれば年末年始は皇室行事が立て込むから、「結果的に来年2月以降まで“結婚を阻止”できる」(皇嗣職関係者)というのだが、秋篠宮ともあろう人が、そのような姑息なことを考えるとは、私にはとても思えない。
そこで、ここからは私の推測になるが、小室圭のニューヨークの武勇伝はともかく、それと時を置かずに母親・佳代の告白が出たのは、何らかの意図があるのではないかと考えている。
共に、これまでメディアが伝えてきた2人のイメージを少なからず変えるインパクトを持ったものである。
それも、小室母子を最も厳しく追及してきた週刊新潮と週刊文春の兄妹誌に掲載されたのは、偶然にしては出来過ぎているのではないか。
私は、この一連の動きの裏に、ある人物の“影”を感じるのだ。
これまで発表された2回の小室文書の内容に、秋篠宮眞子さんが深く関わっていたことは、これまで何度も報じられている。
1回目の文書の内容を眞子さんが知っていたことは、小室圭の代理人の弁護士が認めていた。
2回目の長文の小室文書を、事前に眞子さんが承知し了解していたことは、皇嗣職大夫がそのことを裏づける発言をしている。
結婚への最後の勝負を挑んだのではないか
眞子さんは昨年11月13日に発表した「お気持ち」の中で、「私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です。
今後の予定等については、今の時点で具体的なものをお知らせすることは難しい状況ですが、結婚に向けて、私たちそれぞれが自身の家族とも相談をしながら進んでまいりたいと思っております」と、高らかに結婚宣言している。
彼女が10月23日の誕生日を迎える前に小室圭と結婚したいと考えていることも、メディアが何度も報じている。
だが、秋篠宮夫妻は沈黙したままで、眞子さんとの会話もほとんどないといわれている。
小室圭はニューヨークで7月末に行われた司法試験の勉強で手一杯だろうし、母親・佳代の金銭トラブルも進展せず、佳代に対する世間の評判も相変わらず甚だ芳しくない。
このままいけば、東京五輪が終わるまで事態はほとんど動かないことになるかもしれない。
焦りもあるのかもしれないが、決断力のある眞子さんが、小室圭と佳代にメディアに露出してもいいと密かにGOサインを出し、秋篠宮と母親の紀子さん、結婚に反対している多くの国民に対して、「私は小室圭と一緒になります」「結婚は既定路線です」と、最後の勝負を挑んできたのではないかと考えているのだが、穿うがちすぎだろうか。
悲痛な魂の叫びのように聞こえる
さらに、女性セブンが「恫喝」とまでいっているが、自死という言葉は小室家側にとって禁句のはずである。
それをあえて佳代が「いつ死んでもいいと思うこともあった」と口にしたのは、何とかこの膠着状態を打破したいと考えている眞子さんと佳代の間で、何らかの合意があったからではないのか。
私にはこの言葉が、死を賭してでも小室圭と結婚したいと願っている秋篠宮眞子さんの悲痛な魂の叫びのように聞こえるのだが。
この流れからいけば、小室圭が司法試験に合格した時点で、2人が何か仕掛けてくるはずである。
2人連名での結婚宣言か、結婚会見を開くのか。どちらにしてもこの結婚が成就に向けて動き出したことは間違いない。
もう誰にも止められはしない。(文中一部敬称略)
元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。


ストレスの9割は刷り込み・思い込みで決まる、上手に逃げる力とは

2021-08-08 08:30:00 | 日記

下記はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です

「ストレス社会」といわれる現代。さらに、コロナ禍での生活が長期化する中、以前よりもストレスを強く感じる人が増えているのではないでしょうか。実は、同じ原因に対してストレスを強く感じやすい人とそうでない人がいます。その違いはどこにあるのでしょうか。そこで今回は、精神科医・和田秀樹さんの新刊『ストレスの9割は「脳の錯覚」』(青春出版社)から、人が「ストレス」を感じる仕組みについて抜粋紹介します。
ストレスはなぜ生まれるのか
 まず、ストレスがなぜ生まれるのか、について考えてみましょう。たとえば、こんな悩み、多くの人が抱えているのではないでしょうか?「あのパワハラ上司、そばにいるだけでストレスで…」しかし、この言い方は、ストレスというものに対する誤解がひそんでいます。
 ここでストレスと呼ばれているのは本来、「ストレッサー」と言われるものです。ストレッサーとは、「人にストレスを与える刺激」のこと。たとえばパワハラ上司、失恋や失業など、ストレスの原因にあたる物事や人物が、ストレッサーです。
 一方、「ストレス」は、ストレッサーによって生じた、心や身体の反応のことをいいます。ここで大切なのは、「同じストレッサーでも、強いストレスを感じる人もいれば、まるで感じない人もいる」ということです。ストレスは、その人の感じ方、すなわちストレッサーの解釈の仕方によって大きく左右されます。
これは、ストレスを考える上で非常に重要なポイントです。たとえば、「最近仕事ができるようになったね」と上司に声をかけられて、素直に喜ぶ人と、「じゃあ以前は仕事ができなかったのか…」と落ち込む人がいます。「女性の話は長い」と言われて傷つく女性もいれば、「女性のほうがものをよく考えるんだから、話が長くなるのは当然でしょ」と余裕しゃくしゃくの人もいます。
 ストレスの発生の9割は、その人がどんなスキーマ(刷り込み、思い込み)を持っているかで決まります。他人の目にはほんの小さなストレッサーでも、当人の解釈しだいで、うつ病を引き起こすほどのストレスが生じることもあるのですから。
 もちろん、個人それぞれの「解釈の仕方」とは無関係に、どんな人にも大きなストレスを与えるストレッサーもあります。例えば、「トラウマ」と呼ばれるものは、耐え難いストレスを与える強烈なストレッサーが原因で生じます。戦争体験や虐待はその最たる例ですが、職場で長時間労働を強いられ、睡眠時間もロクにとれない、といった身近なものもあります。
 こうしたストレッサーは、脳に直接的なダメージを与えてしまいます。さらには、配偶者や親族や友人の死、失業やリストラ、離婚、自分自身や家族の病気などは、耐えがたいストレッサーとなるでしょう。
 しかし、「上司に仕事のミスを注意された」とか「奥さんと口論になった」とか、誰もが経験するようなことでも強いストレスを感じているのだとしたら、それは自分のスキーマに、原因の一つがあると考えるべきでしょう。
ストレス耐性とは「ストレスから上手に逃げる力」
 本来、ストレス反応というシステムは、人類が野生動物に襲われそうな危機が迫ったときに、交感神経の興奮を促し、「敵と戦うか」あるいは「敵から逃げるか」の非常事態モードになるために作動すると言われています。つまり、ストレスは私たちに危険を知らせてくれる警告の意味があるのです。
 現代の日本では野生動物に突然襲われるようなことはほぼありませんが、そのかわりに「パワハラ上司」や「わがままな取引先」や「クレーム客」という“敵”が現れました。あるいは、「仕事が納期に間に合わない」とか「満員電車ですし詰め状態」とか「社内での出世競争」とか、非常事態モードにならざるを得ない状況があちこちにあります。危険を知らせてくれる警告が、鳴りっぱなしなのです。
 本来は、「危険から身を守るため」のシステムであるストレス反応も、適量を超えて交感神経が働きすぎると、胃潰瘍になったり、血圧が高くなったり、うつ病になったりと、その人にダメージを与えます。
 わたしが精神科医として、大前提としてお伝えしたいのは、「ストレスは我慢しない」ということ。ストレス耐性という言葉がありますが、これは文字通りに「ストレスを我慢する力」ととらえてはいけません。ストレス耐性は、「ストレスから上手に逃げる力」だと、わたしは考えています。
 根性論が好きな国民性というべきなのか、日本人はストレスが大きいときに「逃げる」という選択肢を取りたがりません。ブラック企業で働き続けるのも、いじめられっ子がそれでも学校に通い続けるのも、「逃げ場なんてない」「逃げるのは恥ずかしい」と思い込んでいるためです。
 しかし、そんなときは休んでいい、会社や学校をやめていい、精神科にかかってもいい、カウンセラーに相談するのもいいと、「こうあるべき」から逃げる先が用意されていれば、かなりの部分、ストレスは回避できます。
「我慢すべき」という不合理なスキーマを捨てて、「つらいときは逃げてもいい」という新たなスキーマに置き換えてみる。行動しなくとも、そんな風にスキーマを書き換えるだけで、だいぶ、気持ちもラクになるでしょう。
「ファジーな発想力」こそ、これから求められる力
 スキーマは、時代によってコロコロ変わるものでもあります。また1つのスキーマにとらわれて前例から抜け出せないでいたら、個人も社会も発展は望めません。
 時代の変化とともに、移り変わるスキーマの例を挙げ始めると、いくらでもでてきます。例えば、江戸時代までの日本は、性的に奔放な国だったことで知られています。性を恥ずかしいものとして扱い始めたのは明治以降のこと。それ以降は、処女性をありがたがるような文化に変わっていきます。すべてのスキーマが悪だとは言いませんが、本来もっと自由にストレスなく生きられる私たちが、わざわざスキーマに縛られるのはもったいないと思うのです。
 また、旧態依然としたスキーマにいつまでも縛られていると、「時代遅れ」との批判にもさらされてしまいます。「男尊女卑」のようなスキーマを持っている人がいまだにいますが、女性の社会進出が進む現代には、明らかにふさわしくないスキーマです。「女性の話は長い」と発言した森喜朗元首相のように、即刻、社会的地位を失いかねません。
 スキーマはいわば、情報処理の「型」です。型があるから、あれこれと迷わず、すばやく答えが出せるというのがスキーマの利点ですが、その「型」が硬直化し、ほかの答えが出せなくなると、時代の変化にもついていけないのです。
 では私たちはスキーマとどう付き合っていけばいいのでしょう。そこで思い出されるのが「ファジーコンピュータ」です。0か1かしか扱えなかったそれまでのコンピュータとは違い、0か1かでは割り切れない、数値化しにくい曖昧な表現を扱うことのできるコンピュータとして、登場したころは大きな話題となりました。
 人間もファジーコンピュータのように、答えを白か黒か決めつけず、あれもある、これもあるというふうに「ファジーな答えも出せる」というのが理想です。ITの時代からAIの時代に移り変わり、それはますます必要になってくる考え方だと私は思います。
 ITの時代は、人間がITに合わせる必要がありました。つまり人間がITの使い方を学ばないといけない。AIの時代はその逆です。AIのほうが人間に合わせてくれるのです。人間がうまくオペレーティングできなくても、AIが人間のニーズをくみ取り、レコメンドしてくれます。
そんな時代の、人間の役割は「AIにさまざまな命令ができること」ではないでしょうか。さまざまな命令をするには、発想が柔軟で、いろんな可能性を想像できる力が必要です。つまり、ひとつのスキーマにとらわれない、ファジーな考え方です。
 AIロボットのドラえもんではなく、スキーマに縛られない要求ばかりしてドラえもんを困らせる、のび太くんのような発想力が大事になってくる、ということです。
監修/国際医療福祉大学大学院教授(臨床心理学)、川崎幸病院精神科顧問、和田秀樹こころと体のクリニック院長 和田秀樹
◎和田秀樹(わだ・ひでき)
 1960年大阪府生まれ。精神科医。東京大学医学部卒業後、東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー等を経て、現在、国際医療福祉大学大学院教授(臨床心理学)、川崎幸病院精神科顧問、和田秀樹こころと体のクリニック院長。