活き桜 ~桜のいさぎよさ~   

2020年東京オリンピック!!

おおつごもり

2011-12-31 08:34:57 | Weblog
月の終わりを いわゆる月末のことを つごもりと言います。で 12月、一年の終わりの月末だから おおつごもり と言うのです。去りゆく年と 来るべき年を心静かに受けとめましょうね。では みなさ~ん 来年も よろしく。みなさ~んにとって来年も 良い年でありますように。

大掃除

2011-12-30 09:52:50 | Weblog
毎年 おしつまってから いろんなとこ汚れてるからキレイにして 年越そうと思うんやけど… なんせ さぶいし、冷たいし…テレビは面白いし… 結局 だきょってしまうんよね。いやいや これではイカンイカン せめて トイレと風呂場だけでも… よし まず 雑巾がけして…と。ちめた~い 、雑巾しぼるの ちめた~い。うん 別に汚れてても 年越せるし、死にゃあせんし。よし コーヒー飲んでテレビでも見よ。では 良い お年を。

25年ぶり

2011-12-23 17:25:49 | Weblog
最初に桜高で担任した子が長野県からやってきて 25年ぶりに会った。4人の子持ちで 未亡人になっていた。いろいろ苦労したらしい。長野に移り住んで20年、なんとか頑張ってますとのこと。4人全員男の子、しかも長男は旦那の姉さんの子、私生児で生まれ、10歳で母親と死別、しかたなく養子としてひきとったらしい。その長男も28歳となり東京の出版社に勤めてたが、今は鬱になって、ひきこもってるという。次男は長野で小学校の代用教員、三男は浪人生、四男は高校二年生、で旦那は四年前に亡くなったという。なんか苦労の塊やん、でも 負けてられないって 元気でしたよー その子は 初めて担任して、一年間だけの担任やったけど いまだに 頼ってくれるって なんか嬉しいし やっぱり教師って責任ある仕事だよなあ~って感じた再会でしたー

忠臣蔵6

2011-12-21 07:45:04 | Weblog
なぜ これほどまでに忠臣蔵が後の世まで受け継がれ人気を博すのか…忠義を尽くす臣下たちの厚い魂、勧善懲悪の構図もうかがえますね。今や廃れつつある日本人のコアが描かれているんじゃないでしょうか。ひとまず終わります。

忠臣蔵 5

2011-12-20 13:47:48 | Weblog
朝廷と幕府の間をとりもつ役職の筆頭が 吉良上野介と言いましたが、その年の回り役目が浅野内匠頭であったのである。江戸城中に朝廷の勅使を迎える仕事を承った浅野内匠頭が吉良上野介の指導、助言をうけ、その任にあたったのであるが、吉良上野介に対する謝礼が鰹節二本だけという誠に質素なものであったため(その他の諸大名は千両箱)、吉良上野介が憤慨し、ことごとく浅野内匠頭に意地悪をするのである。度重なる吉良上野介の行動態度に我慢の限界をこえた浅野内匠頭が殿中において刃傷に及ぶのであるー 続く。

忠臣蔵4

2011-12-19 16:24:02 | Weblog
吉良上野介の家系をしらべていくと 徳川家康や 上杉謙信も 血のつながりがあるんですよ。ですからたかが石高は4200石なんですが 武士の位階は すごく高い地位を拝受されているのです。そして吉良上野介の役職は 高家筆頭といって、朝廷と幕府の仲を取り持つ役目のトップリーダーなんです。有職故実に精通し、何百万石の諸大名でさえ一目置く4200石の武家だったのです。慣例しきたりを重んじた武家社会にとっては重鎮であったはずです。ですからこの松の廊下刃傷事件、義士討ち入りなどが起こらなかったら これほどまでに敵役として有名にならなかったのではないでしょうかー 続く。

忠臣蔵3

2011-12-18 14:23:59 | Weblog
なぜ 浅野内匠頭が禁忌を犯してまで 殿中で刀を抜き吉良上野介に切りかかったか? よほど腹がたったんでしょうね。ものの本によると浅野内匠頭は癇癪もちだったと言われています。案外 浅野内匠頭の乱心による刃傷事件というのも強ち間違ってないのかも。続く

吉良上野介

2011-12-17 07:07:22 | Weblog
今日は、いわゆる仇役の吉良上野介にスポットをあててみましょう。なぜ彼が赤穂浪士に首を討たれねばならなかったか? そもそも事件の発端は討ち入りの一年十カ月前の殿中松の廊下における刃傷沙汰である。浅野内匠頭が吉良上野介を殿中にもかかわらず刀を抜いて切りかかったのである。刀を抜くことじたい言語道断、すぐに取り押さえられ、評議の末、切腹となる。ここで なぜ浅野内匠頭が禁忌を犯してまで吉良上野介に斬りつけたのか、についても説明を要する、…こんなん聞きたい?