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17年間のボッチ自宅介護を振り返る

1人で自宅で認知症の母親を介護、その間、父親も6年間の介護のすえ、どちらも家で看取る。その17年間はなんだったのか? 

15 風やむ

2025-05-23 13:11:35 | 介護
ばあちゃん、2007年暮れの脳梗塞 入院、点滴治療で脳梗塞そのものは完治したものの、病院にすぐ連れていかなかったので、足に軽い麻痺が残った。それからは、ひょこひょこ歩いて自分の好き勝手なとこには行けなくなってしまった。

2007年8月のように、徘徊で帰ってこれなくなり、こっちで探し回るようなことは、もうなかった。

この後も何回か、ばあちゃんがいない、と慌てさせられることもあったが、近場に居て、すぐ見つかった。

2008年2月のある日の夕食時、ばあちゃんが新しい入れ歯(前のは暮れの入院のときになくしてしまった)合わなくて、ネギが噛めないらしく、それを一々口から出して自分の前のテーブルの上に並べていた。それを見たじいさんが、(きたならしいからか?)かっとなって、ばあちゃんを怒鳴りつけた。次に、そのじいさんを一緒に食事をしていた私が、「なんだ、しょうがないだろう」とさらに怒鳴りつけた(苦笑)。

そんな日常だったが、この2008年は、この家、じいさん、ばあちゃん、わたし、にとって、事件らしいことが起こらなかった、あの17年間のなかの凪のような1年だった。

じいさんの手帳を見ても、ほとんどが空欄、ばあちゃんを病院に連れていく日ぐらしか書いていない。だいたい、まだ、じいさんが連れて行ってくれていた。

1月に介護保険の認定調査を受けている。介護保険とのかかわりは初めてのことだろう。私の記憶では、次の年かと思っていたが、脳梗塞で入院して病院で勧められたのかもしれない。私は同席していなかったか。サービスも使っていない。

近くの公園には、2人でよく行っていたようだ。
午後2人で南公園へ 大勢の家族連れで賑わっていた。桜はもう終わった。
と書いている。

出来ることは、出来るだけ自分たちで、面倒なことは私が、という、
”じいさん、ばちゃんごっこ”、おままごとのような時間が何かの表面を滑るように過ぎていった。

この時間がずっと続くとは思わなかったが、じいさんは死なないんじゃないかと思っていた。

2人で血圧を測っている。あんまり続かなかった(笑) この後、こわれるまで私が使っていた。


夏休みに、兄が娘を連れて来ていたのだが、その帰る日。まず、一休み。


駅まで送って、一つ次の駅まで、一緒に乗って帰ってくる。ばあちゃんも、脳梗塞をした後で、よく歩いたもんだ。  右端の方は、誰(笑)?

ばあちゃん、電車に乗ったのは、これが最後になった



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