2006.04.22(土)入院2日目
2時過ぎに家をでて面会にいく。いろいろ持って行くものが多くて、一度には持って行けない。でも近いので自転車ならすぐだ。
エレベーターで上がり、4階へ。ナースステーションに面会に来たと告げると、きのうの副担当(?この時はそう思っていた)のような看護師が側にいて、いきなり面会時間は守ってくれ、と言う。
??? どういうこと。
こちらとしては、病院のパンフレットに書かれている通りに来たつもりだったので、憤慨した。目の前の掲示板にも示されている。この時間じゃないのかと聞くと、ばあちゃんが昨日入った部屋は特別で、面会時間がさらに限られている、とのこと。それは入り口の所に書いてある、その説明を受けなかったのか、とちょっと厳しい口調だ(こういう時、受けなかったとは言いずらい(苦笑))。
きのうの夜、部屋を出る時に気づけばよかったのだが、う~。無理だろう。いい感じはしない。
病院あるあるの洗礼パンチ。第1発目ということか(笑)。こんなことが今後最後の入院まで、何度となく続く(笑)。
会社勤めとかだと、よくある事か。私は、よくわかりもしないのに、「すいません」と言っちゃうタイプだ(笑)。
このときも、そう言ったか?
ばあちゃんのところにいってみると、今日は、手首のベルトがはずされて、自由になっていた。意識がはっきりしないのか、痴呆ぎみで、胸や脚がはだけていても何も気にしていないようだ。気分はどうかと話しかけると、よくないと言う。全身的に何かよくなさそうだ。大丈夫なのか?これ以上良くならない?と心配になる。
ばあちゃんのところにいってみると、今日は、手首のベルトがはずされて、自由になっていた。意識がはっきりしないのか、痴呆ぎみで、胸や脚がはだけていても何も気にしていないようだ。気分はどうかと話しかけると、よくないと言う。全身的に何かよくなさそうだ。大丈夫なのか?これ以上良くならない?と心配になる。
直ぐに年配の看護師の人がきて、ばあちゃんに話かけた。後でわかったのだが、その人が、そこの婦長らしい。
この婦長(本当は師長)さんは、17年後にまた会う師長さんだったのか? ころころは、私のイメージとしては看護師さんじゃなくて看護婦さんだ。「師長」という言葉も初めて聞いた。他の看護師がそう言っているのに何って言っている?と思っていた。時代が変わっていたことを知らなかった。
すぐ時間になってしまったので、退室した。
入院の手続きをしようと1階に降りて来たのだが、カウンターの前で、
印鑑(なつかしい)と保険証、忘れた!
急いで家に帰って、必要なものを持って病院に戻り、入院手続きカウンターに行って、書類をだす。
お金を払う段なると、5万円だと言う。え!18万じゃの?(個室だと保証金が高い)と不思議に思って、今、個室みたいなところにいるんですが、このお金でいいんでしょうか、とこちらから聞いてしまった。受付の人がもう一度パソコンで確認してみて、5万円で大丈夫だという。とりあえず、初期費用の面では、思ったより安かったので助かった。
後でわかるのだが、あそこは個室ではなかった(救急車で運ばれて来るときそういう話だったから。これも病院あるあるか(苦笑)。しかし、この時点ではどこが個室なのか、わかってなかった。3年後に入ることに)。
夕方、兄から電話がかかってきた。病院でのばあちゃんの様子や今後のことなどを伝える。兄が、親のことで、病院での治療とか、どうするかとか、話合うようなことになったか、と言う。この時は、まだ、私にとって親身に相談にのってくれるいい兄だった。
その日の夕食は、ばあちゃんのいない、じいさんと私だけの初めての夕食だった。じいさんの体調がまだ、かなり悪いので、夕食は私がつくった。と言っても焼き肉ともやし炒め、スクランブルエッグだけだが。ばあちゃんがいろいろ余計(?)なものを買い置きしておいてくれたので、しばらくは、買い物に行かなくても食事にはこまりそうもなさそうだ。(このころは、ばあちゃんか、じいさんが食事を作っていた。ばあちゃんはいなかったが、これが私が親のために作った初めての食事だったか?)
この多くの買い置きもそうだが、変な事はすでに他にも起きていた。
夕食の後、風呂に入ろうしたら、浴室に敷いてあるマットが裏表反対に置いてあるのに気付いた。あ、これはばあちゃんが敷き間違えたか、ばあちゃんがしたことなのだから、こままにしておこう、とも思ったが、これでは不便なので、裏返した。
このマットで思い出したのだが、そう言えば、この前に風呂にはいった水曜日、やけにばあちゃんが、私が風呂に入っているところを覗きにくるなあ、と思った。最近になってのことだが、どうも私が風呂にいることを確認するために風呂場のドアをあけて見ることがあった。それも大抵は1回だけだが、その日は、いつもと違って、何度何度も同じことをしていたので、ちょっとおかしいと感じた。(これを書いている今、資料のこの記述を読み返して、このことを思い出した。トイレもそうだったか? この時はなんかいやらしいなあ(笑)ぐらいに思っていたのだが、これは認知症の症状だ。慢性硬膜下血腫によるものだったか? 似たような症状が、この10年後さらに酷くなって復活する。本格的な認知症だ。だけど、その時、このことと結びかなかったなあ。)
2006.04.23(日)入院3日目
12時45分ごろ面会にいく。日曜とあって、受付は閉まっている。1階の照明は薄暗い。また何か言われるといけないので、面会時間を確認するためにエレベーターは使わず、ばあちゃんがいる部屋の直ぐ前に出る階段を使うことにした(4階まで(笑い))。そうしたらナースステーションを通らずにばあちゃんの部屋の前まで行ける。それで、その部屋の入り口にはってある面会時間を確認できる。
面会時間は12:30~13:30。面会時間内だ(どんだけ人間ちっちゃいんだよ(笑))。
ナースステーションにまわって面会の希望を伝えると、知っている看護士の人は誰もいなくて、はじめての看護士さんに尋ねてみる。すると、部屋にはいなくて、ナースステーションの前のテレビのある休憩所に他の患者さんたちと一緒の車椅子に座っていた。すぐそばに居たのだ。
まず、いまダイエーで買ってきた(下の売店じゃなかったのかよ~(笑))上履きを出してはかせた。履くのには看護師さんが車椅子を後ろに少し引いて、手伝ってくれる。23.5ではちょっと大きいようにみえたが、履いてみるとちょうどいいようだ。気分はどうかと聞いてみると、いいと言う。食事はどなものを食べているかも、すらすら話すことができる。家のことなど、ちゃんとやっているか心配なようで、そのことも悪くなる前とかわらないように話をすることが出来るようになっていた。じいさんの具合がなかなかよくならないことを告げると、心配していた。もう年だからと、80過ぎていると、自分が80歳を越えていることも思い出したようだ。
昨日に比べると、随分よくなっている。術後2日目だ。(慢性硬膜下血腫、治る認知症のゆえか)。表情もいい。応対も普通になった。かなりホッとした。頭には、病院でかぶせてくれた帽子のようなものもかぶっていた。さっきの看護師さんに一応きいてみて、写真を3枚とった。じいさんと兄に見せたかったからだ(それが前回と今回の写真)。

やはり、15分ぐらいで帰ることにした。ばあちゃんの担当の看護士がいないらしく、部屋に戻れずその場所に1人置いておかれるのは、淋しそうだ。その看護士が戻ってくるまでついていればよかったか。 ばあちゃんを動かしていいのか、さっきの看護士さんには判断できないらしい。荷物を置いていいかと尋ねると、かまわないというので、ばあちゃんのいた部屋にその人の後から入って荷物を置いた。
昨日までは1人でいたちょっと広めの部屋だったが、もう一台ベッドが増えていた。聞いてみると、新しい人が入ったとのこと。 そのベッドの丁度お尻があたる部分が汚れていたのが目に入った。ここは、こういうところなのだと改めて思った。(下の世話どころか上(?)の世話もしたことがない者には衝撃的だったか? まだまだ介護自体始まってなかったんだなあ。)
もう一度、ばあちゃんにさよならをして、今度はエレベーターで下まで降りた。
この日の朝、じいさんと私、それぞれの見た夢の話をした。
まずは私。ばあちゃんの状態が悪くなる少し前のこと、叔父(ばあちゃんの弟)の夢を見た。何かうさんくさいような男4人、何かを囲んで集まっている。みんな若くはなかった。よく見るとその1人が叔父だった。朝方目が覚めたときに、叔父さんに何かあったのだろうかと、思った(叔父には何もなかった。あったのは、ばあちゃんの方だった)。
それを聞いて、じいさんが。
昨日に続いて、今朝も、奇妙な夢を見たと言う。昨日の夢は、ばあちゃんと一緒にどこか綺麗な海岸のようなところを散歩していて、また、一緒に来ようね、などと話していたという。今朝の夢は、誰かの葬式に参列していて、弔辞を読んでいる人が、死者のことを怒っている文面を読み上げていた。その文章が書いてある紙がかなり大きいものだったそうだ。また、大勢の人がみんなで、一つの餅のようなものをこねていたという。
夢は、後に見るようになるせん妄による幻視と何か関係あるのだろうか?
この婦長(本当は師長)さんは、17年後にまた会う師長さんだったのか? ころころは、私のイメージとしては看護師さんじゃなくて看護婦さんだ。「師長」という言葉も初めて聞いた。他の看護師がそう言っているのに何って言っている?と思っていた。時代が変わっていたことを知らなかった。
すぐ時間になってしまったので、退室した。
入院の手続きをしようと1階に降りて来たのだが、カウンターの前で、
印鑑(なつかしい)と保険証、忘れた!
急いで家に帰って、必要なものを持って病院に戻り、入院手続きカウンターに行って、書類をだす。
お金を払う段なると、5万円だと言う。え!18万じゃの?(個室だと保証金が高い)と不思議に思って、今、個室みたいなところにいるんですが、このお金でいいんでしょうか、とこちらから聞いてしまった。受付の人がもう一度パソコンで確認してみて、5万円で大丈夫だという。とりあえず、初期費用の面では、思ったより安かったので助かった。
後でわかるのだが、あそこは個室ではなかった(救急車で運ばれて来るときそういう話だったから。これも病院あるあるか(苦笑)。しかし、この時点ではどこが個室なのか、わかってなかった。3年後に入ることに)。
夕方、兄から電話がかかってきた。病院でのばあちゃんの様子や今後のことなどを伝える。兄が、親のことで、病院での治療とか、どうするかとか、話合うようなことになったか、と言う。この時は、まだ、私にとって親身に相談にのってくれるいい兄だった。
その日の夕食は、ばあちゃんのいない、じいさんと私だけの初めての夕食だった。じいさんの体調がまだ、かなり悪いので、夕食は私がつくった。と言っても焼き肉ともやし炒め、スクランブルエッグだけだが。ばあちゃんがいろいろ余計(?)なものを買い置きしておいてくれたので、しばらくは、買い物に行かなくても食事にはこまりそうもなさそうだ。(このころは、ばあちゃんか、じいさんが食事を作っていた。ばあちゃんはいなかったが、これが私が親のために作った初めての食事だったか?)
この多くの買い置きもそうだが、変な事はすでに他にも起きていた。
夕食の後、風呂に入ろうしたら、浴室に敷いてあるマットが裏表反対に置いてあるのに気付いた。あ、これはばあちゃんが敷き間違えたか、ばあちゃんがしたことなのだから、こままにしておこう、とも思ったが、これでは不便なので、裏返した。
このマットで思い出したのだが、そう言えば、この前に風呂にはいった水曜日、やけにばあちゃんが、私が風呂に入っているところを覗きにくるなあ、と思った。最近になってのことだが、どうも私が風呂にいることを確認するために風呂場のドアをあけて見ることがあった。それも大抵は1回だけだが、その日は、いつもと違って、何度何度も同じことをしていたので、ちょっとおかしいと感じた。(これを書いている今、資料のこの記述を読み返して、このことを思い出した。トイレもそうだったか? この時はなんかいやらしいなあ(笑)ぐらいに思っていたのだが、これは認知症の症状だ。慢性硬膜下血腫によるものだったか? 似たような症状が、この10年後さらに酷くなって復活する。本格的な認知症だ。だけど、その時、このことと結びかなかったなあ。)
2006.04.23(日)入院3日目
12時45分ごろ面会にいく。日曜とあって、受付は閉まっている。1階の照明は薄暗い。また何か言われるといけないので、面会時間を確認するためにエレベーターは使わず、ばあちゃんがいる部屋の直ぐ前に出る階段を使うことにした(4階まで(笑い))。そうしたらナースステーションを通らずにばあちゃんの部屋の前まで行ける。それで、その部屋の入り口にはってある面会時間を確認できる。
面会時間は12:30~13:30。面会時間内だ(どんだけ人間ちっちゃいんだよ(笑))。
ナースステーションにまわって面会の希望を伝えると、知っている看護士の人は誰もいなくて、はじめての看護士さんに尋ねてみる。すると、部屋にはいなくて、ナースステーションの前のテレビのある休憩所に他の患者さんたちと一緒の車椅子に座っていた。すぐそばに居たのだ。
まず、いまダイエーで買ってきた(下の売店じゃなかったのかよ~(笑))上履きを出してはかせた。履くのには看護師さんが車椅子を後ろに少し引いて、手伝ってくれる。23.5ではちょっと大きいようにみえたが、履いてみるとちょうどいいようだ。気分はどうかと聞いてみると、いいと言う。食事はどなものを食べているかも、すらすら話すことができる。家のことなど、ちゃんとやっているか心配なようで、そのことも悪くなる前とかわらないように話をすることが出来るようになっていた。じいさんの具合がなかなかよくならないことを告げると、心配していた。もう年だからと、80過ぎていると、自分が80歳を越えていることも思い出したようだ。
昨日に比べると、随分よくなっている。術後2日目だ。(慢性硬膜下血腫、治る認知症のゆえか)。表情もいい。応対も普通になった。かなりホッとした。頭には、病院でかぶせてくれた帽子のようなものもかぶっていた。さっきの看護師さんに一応きいてみて、写真を3枚とった。じいさんと兄に見せたかったからだ(それが前回と今回の写真)。

やはり、15分ぐらいで帰ることにした。ばあちゃんの担当の看護士がいないらしく、部屋に戻れずその場所に1人置いておかれるのは、淋しそうだ。その看護士が戻ってくるまでついていればよかったか。 ばあちゃんを動かしていいのか、さっきの看護士さんには判断できないらしい。荷物を置いていいかと尋ねると、かまわないというので、ばあちゃんのいた部屋にその人の後から入って荷物を置いた。
昨日までは1人でいたちょっと広めの部屋だったが、もう一台ベッドが増えていた。聞いてみると、新しい人が入ったとのこと。 そのベッドの丁度お尻があたる部分が汚れていたのが目に入った。ここは、こういうところなのだと改めて思った。(下の世話どころか上(?)の世話もしたことがない者には衝撃的だったか? まだまだ介護自体始まってなかったんだなあ。)
もう一度、ばあちゃんにさよならをして、今度はエレベーターで下まで降りた。
この日の朝、じいさんと私、それぞれの見た夢の話をした。
まずは私。ばあちゃんの状態が悪くなる少し前のこと、叔父(ばあちゃんの弟)の夢を見た。何かうさんくさいような男4人、何かを囲んで集まっている。みんな若くはなかった。よく見るとその1人が叔父だった。朝方目が覚めたときに、叔父さんに何かあったのだろうかと、思った(叔父には何もなかった。あったのは、ばあちゃんの方だった)。
それを聞いて、じいさんが。
昨日に続いて、今朝も、奇妙な夢を見たと言う。昨日の夢は、ばあちゃんと一緒にどこか綺麗な海岸のようなところを散歩していて、また、一緒に来ようね、などと話していたという。今朝の夢は、誰かの葬式に参列していて、弔辞を読んでいる人が、死者のことを怒っている文面を読み上げていた。その文章が書いてある紙がかなり大きいものだったそうだ。また、大勢の人がみんなで、一つの餅のようなものをこねていたという。
夢は、後に見るようになるせん妄による幻視と何か関係あるのだろうか?


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