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17年間のボッチ自宅介護を振り返る

1人で自宅で認知症の母親を介護、その間、父親も6年間の介護のすえ、どちらも家で看取る。その17年間はなんだったのか? 

8 再発、再手術、再入院、再退院

2025-03-28 11:44:13 | 介護
前回、2006年5月8日夕方、じいさんの帰りを待っていた、というところまで書いたが、実は、その後の私が書いた記録が全くない。仕事の方が手間がかかることが多く、こっちの事を書いておく余裕がなかったと、ずっと後になってから弁解しているが、のんきに山なんかには行っていた。

前日7日(日)の記録だと、体調はいいようだが、正座すると脚が痛くなり痺れのようなものを感じる、そして、物忘れがまたひどくなってきたようで、病院にいつ行くのか、どこの病院に行くのか、分からくなり混乱していると書いている。もしものために入院の準備をしておいてくれと言うと、それがまた混乱の種になっていたようだ。

じいさんもこんな状況をみて、紹介状をもらっていた大きな病院に連れて行ったのか(私はそれでも反対だったが、結果的にはじいさんが正しかった)?

私の書いたものはないのだが、探したらじいさんの手帳が出てきて、それにじいさんが詳しく書いていた。今回、初めて読んだ。私の記憶と、それによって補うと・・・

まず、じいさんが認知症の紹介状をもらって来たのは〇✕医院ではなく△△診療所だった。じいさんは大の医者好き薬好き、ばあちゃんと私は大の医者嫌い薬嫌いだ(笑)。じいさんは常時、2つの医者(△△診療所(内科)と〇✕医院(整形))にかかっていて、毎日薬を山ほど飲んでいた。あんまり薬の量が多いので、その日、何を飲んだかわからなくなることがよくあった。飲まなくても同じだったんじゃなえの(笑)、多分。

ばあちゃんのメモ帳というのもたくさん残っていて、ばあちゃん、だいたい3月坊主で、毎年書いてあるのは3月ぐらいまで、後はほとんど白紙(苦笑)。これは若い時から(笑)。それが、この年あたりから、1日分の隅に小さく、床洗い(床掃除のことか)、髪洗い、風呂、洗面キ洗い、タオルケット、シーツなどと年末まで書かれている。ばあちゃん本人に認知症の自覚はなかったと思うが、日々の生活の中でのばあちゃんなりの工夫と不安の痕跡か。


じいさんは、その日(5月8日)の夕方、暗くなってから帰って来た。

じいさんが言うには、タクシーで紹介された隣の市の大きな病院に朝早く行ったのだが、大病院らしく散々待たされたらしい。待つのが苦手なばあちゃんには苦痛だったろう。待てないばあちゃん手を焼いたじいさんは、待合でばあちゃんを怒鳴りつけたらしい(苦笑 じいさんは人の世話が出来ない人だ)。

それでも、診察となって、MRI検査などを受け、慢性硬膜下血腫が再発していることがわかった。それで認知症どころではなく、まずこっちの治療ということになった。その大きな病院でも出来たのだが、遠いい(その当時、タクシーで片道2860円とメモしてある)ので、そこで、地元の元の病院を紹介してもらうことになったそうだ。

その病院を出たのが昼過ぎ(大病院で初診ならありがち)で、また、今までの病院に戻って、再入院の手続きをしたり、夕方5時ごろ荷物をとりに家へ一度戻って、また病院へで、へとへとになって帰って来た。この時、じいさんも84歳で、自分の体調もいいとは言えずさぞ大変だったろう。

その後、ばあちゃんは、5月23日(火)まで入院した。じいさんは毎日見舞いに行ったが、私は休みの時ぐらいしか行かなかったようだ。この時、じいさんが下着類などちょくちょく替えさせていたと書かれているが、今まで私は知らなかった。

じっとしているのが苦手なばあちゃんは、勝手(? 目的はあったようだ じいさんを探していた様)に病室を出て病院内を歩き回るなど大分看護師さんを手こづらさせていたようだ。病院で借りている衣類など嫌がって着ないので、じいさんがわざわざパジャマを買っていったとも書かれている。

何故か、この時(1回目の入院から)の病院から出ている書類(治療計画書、診療明細書、退院証明書、領収書など)が残っていない。ぽつんとあるのは、2回目の入院の時、じいさんが書いた入院申込書だけだ。こんなことは、これで終わりだからと、捨ててしまったのだろうか。

その、じいさんが書いた入院申込書と手帳

じいさん、「患者と関係」に長男って! 夫だろうが(笑)。確かに、11人兄弟姉妹の長男ではあったが。

この後、病院の脳外科外来に2~3週間に一回通っている。それも8月14日(月)までだったようだ。

予約制で一応時間も指定してある。 5月30日は、10:30~11:00なのに、ばあちゃん9時ごろからそわそわしだして、待ちきれず1人で先に家を出てしまったらしい。ばあちゃんの足じゃ、20分はかかったろう。それでも、1人で行けて、病院の手続(係の人に聞いたんだろう)きもやって脳外科外来の前の待合の椅子に座っていた、とある。

このように1人で外出もできるようになり、買い物も普通にするようになっていた。午後2人で公園を散歩した、という記述もある。

認知症の診断は、じいさんが死んで、ずっと後になってから受けたが、結局、治療は受けることはなかった。




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