森川博之 「私的な遊戯」

私的に色々綴って行きます。
曲↓http://www.myspace.com/morikawahiroyuki

参が導く死生観

2012-02-25 02:30:15 | Weblog
駐車場から入り口までは遠く、白い息を吐きながら、俯きながら、向かう。

受付を素通りし、診察開始前の待合室を横目にエレベーターへと足を速める。
1階は日常で、生のにおいすら嗅ぎ分けられない。

人差し指で3を押す。
使用意図が不明なエレベーター内の大きな鏡、その中の己と相対する。
音が聞こえる、音が聞こえる。溜息を一つ。

ドアが開く。途端に死のにおいが鼻を衝く。
平静を装い、その階へと足を踏み入れる。
車椅子に乗せられた老婆。何故か男性よりも女性の印象が強い。

そこに居ると、私の思考は常に根源的な問題に終始する。
不謹慎な表現しか思いつかない独特の臭いと、静寂の中の間断的な会話と、
気丈に振舞う看護師と看護師と、点在する偉大なる老人達。

彼等は、彼女等は私の2、3倍の年月を過ごし、ついぞそこへと生き付いた。
人は老いる。老い方は選べない。
私は歩く。未だ頑丈な両足で、思考を活性化させるにおいを嗅ぎながら、
大切な人が横たわる部屋まで、珍しく背筋を伸ばし、歩く。
恐らくは、抗いたいのだろう。

大切な人は、眠っていた。
私は暫く彼を見ていた。
白い壁に白いベッドに白い布団、それに囲まれ、包まれる彼を見ていた。

例えばの話だ。
生きる事を全うする、その終点間際に私が築いてきた様々なもの、
それを徐々に忘れながらこの世界から飛散してしまうのならば、
私はそれを拒否する術を考え、実行するのかもしれない。

生かされる者の辛さ、生かし続ける者の辛さ、
忘れる事への底知れぬ恐怖、忘れられる事への理解と絶望。

彼は起きない。起こさない様に新聞と洗濯物を置き、手を振り、部屋を出た。
エレベーターまでは遠く、ただただ呼吸をしながら、俯きながら歩く。

抗えない。

生きていて欲しい。死んで欲しくない。
その願いを嘲笑う様に、起きている時の彼との会話が蘇る。
彼も自我を失う事を酷く恐れ、削られ飛散するのならば、いっそ、と。
ただただ白いものに囲まれ、生かされ続けるのならば、いっそ、と。

私は考えているだけの傲慢な人間で、彼は長く重ねた年月を切に失いたくないと感じている真摯な人間だ。
私はお気楽な生活の中で、1年先のビジョンも無いくせに、死への準備を漠然と考える。
いや、その3階に居る時のみ、薄漠では無く、濃密に思考を巡らす。死は誰にでも寄り添ってくる。

1階に着き、日常に戻り、足早に去る。
外は寒い。息が白い。車に乗りエンジンをかける。

後ろを気にしつつ、バックで切り返す。
事故は起こしたくはない。死にたくは無い。殺したくも無い。
暫し運転中も考える。何かがきっかけでそれを止める。
そして音が耳に戻る。

私は今、忘れずに生きている。
今は、忘れずに生きる事が出来ている。
3階へと向かえば、私の生と死への思考はまた深度を増すだろう。
彼に対する私自身の願いのエゴに、苦悩も納得もするのだろう。

今はただ、それを受け入れる。

                                2012年 2月25日 
  
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沢山の方々の尽力により、2月22日の産経新聞に私の記事が載りました。
遅ればせながら、皆様本当に有難う御座います。

恐縮ながら記事へのURLを貼らせて頂きますので、読んで頂ければ幸いです。
ではでは、若干暖かくなって参りましたが、体調管理には充分心を砕いて、
日々を穏やかにお過ごし下さい。
勝手ながら、皆様の健康を願っております。

http://sankei.jp.msn.com/region/news/120222/kmt12022212570000-n1.htm

削除しました、7億なんぞ当たりません

2012-02-03 08:02:44 | Weblog
お早う御座います、昨日初めてブログを書いて削除した男です。

内容は置いといて、その行為に到った経緯を何となく書いてみます。
一度は行って良し、と判断した作品を迷い無く削除。
理由はあります。言い訳とも言います。

私は基本的に何かを作った時、一晩寝かせて翌日に必ず改めて眺めます。
作った日の感性の具合と翌日のそれは、単純に言ってしまえば主観と客観だと考えます。
私は曲も作りますので、メロディや歌詞、そういうのも翌日聴いたり唄ったりします。
まあ、形や職種は違えど、こういう作業は誰しも行うとは思います。

初めて、かなりの嫌なギャップを感じました。
大抵は勿論自分の作品が大好きですし、臆病故に発表前かなり吟味しますので、
翌日違和感はあっても、私的な水準への納得までは至っておりました。

いやあ、新鮮でした。翌日読んだ瞬間消してしまえ、と。

先ずくどかった。元来くどいが、嫌なくどさ。
後は単純に自分で読んで全くつまらなかった。
後者は致命的です。書いた日の自分を罵倒したい位です。

そこに書いた内容で、必要なのは「皆本当に有難う」だけでした。
まあ、それを色んな角度からくどくど書くのが私の趣味なんですが、
今回のは歪に感じられ、消すに至ったという運びです。

どうでも良いですね、綴って己に決着をつけたかっただけです、はい。

という訳で上から政治を語ります。
宝くじの上限が7億5千万に引き上げられたそうですね。
いよいよこの国の偉い方々は、現状の日本を理解した上で、
終わらせにかかってますな。

何故そちらへ行くのでしょうか?
その1本の糸よりも、1万円が75000本、10万円が7500本、
後は微妙だけど100万円が750本、ローリターンでお願いしたい。
今日本は夢より現実です。
最近の若者に「夢とかあるの?」とおっさん臭全開で伺うと、公務員ですと即答で
返ってくる時代です。それ現実ね、若者よ。「正解」と言いますが。
ならば、当たりそうと思わせるライン、そこまで射幸心のハードルを
下げるべき、だと思うんですけどねえ・・
選択式でも構いません。1等7億のくじか、1等100万のくじか。
ああ、ありましたね、直ぐ無くなりましたけど。
継続して下さい、お願いします。

夢が観れない時代です。
夢、という言葉は正直あまり好みませんが、色々と「取り返せない時代」に
成ってしまったのは事実です。
高い目標に失敗した時、日本はその人をもう一度引き上げる体力がありません。

では、どうするか?
体力をつけるには、沢山の人にお金を使わせるのが一番です。
沢山の人というのが肝ですね、やはり。
そこでローリターン宝くじ。単純明快。

うーん、どこかの政治家の常套句みたいだ。
まあ、結局は力なんでしょうね。オカネとも言いますが。
わかってはいるけども、その見えない大きな力によって、そうなってしまう。
正に頂で巻き起こる負のスパイラル。
相変わらず復興の寄付金の使い道や詳細もあやふやだし、グダグダです。
お偉いさんの引責問題なんぞどうでもよいです。
その時間をどこどこに幾ら、こういう復興の為に使わせて頂きました、
有難う御座います、みたいな放送してみて下さい。
支持率と好感度上がりますから。

二極化、進んどるなあ・・
説得力無いなあ・・
椎名林檎の「ありあまる富」位の説得力が欲しいです。
書きましたかね、お金持ちが唄ってあの唄は活きるんです。
皮肉じゃないです。大好きです、あの唄。本当に素晴らしい。

だから、地位もお金も持っている偉い方、私も細々勤しみますので、
英断をお願い致します。

ほら、祈った。