駐車場から入り口までは遠く、白い息を吐きながら、俯きながら、向かう。
受付を素通りし、診察開始前の待合室を横目にエレベーターへと足を速める。
1階は日常で、生のにおいすら嗅ぎ分けられない。
人差し指で3を押す。
使用意図が不明なエレベーター内の大きな鏡、その中の己と相対する。
音が聞こえる、音が聞こえる。溜息を一つ。
ドアが開く。途端に死のにおいが鼻を衝く。
平静を装い、その階へと足を踏み入れる。
車椅子に乗せられた老婆。何故か男性よりも女性の印象が強い。
そこに居ると、私の思考は常に根源的な問題に終始する。
不謹慎な表現しか思いつかない独特の臭いと、静寂の中の間断的な会話と、
気丈に振舞う看護師と看護師と、点在する偉大なる老人達。
彼等は、彼女等は私の2、3倍の年月を過ごし、ついぞそこへと生き付いた。
人は老いる。老い方は選べない。
私は歩く。未だ頑丈な両足で、思考を活性化させるにおいを嗅ぎながら、
大切な人が横たわる部屋まで、珍しく背筋を伸ばし、歩く。
恐らくは、抗いたいのだろう。
大切な人は、眠っていた。
私は暫く彼を見ていた。
白い壁に白いベッドに白い布団、それに囲まれ、包まれる彼を見ていた。
例えばの話だ。
生きる事を全うする、その終点間際に私が築いてきた様々なもの、
それを徐々に忘れながらこの世界から飛散してしまうのならば、
私はそれを拒否する術を考え、実行するのかもしれない。
生かされる者の辛さ、生かし続ける者の辛さ、
忘れる事への底知れぬ恐怖、忘れられる事への理解と絶望。
彼は起きない。起こさない様に新聞と洗濯物を置き、手を振り、部屋を出た。
エレベーターまでは遠く、ただただ呼吸をしながら、俯きながら歩く。
抗えない。
生きていて欲しい。死んで欲しくない。
その願いを嘲笑う様に、起きている時の彼との会話が蘇る。
彼も自我を失う事を酷く恐れ、削られ飛散するのならば、いっそ、と。
ただただ白いものに囲まれ、生かされ続けるのならば、いっそ、と。
私は考えているだけの傲慢な人間で、彼は長く重ねた年月を切に失いたくないと感じている真摯な人間だ。
私はお気楽な生活の中で、1年先のビジョンも無いくせに、死への準備を漠然と考える。
いや、その3階に居る時のみ、薄漠では無く、濃密に思考を巡らす。死は誰にでも寄り添ってくる。
1階に着き、日常に戻り、足早に去る。
外は寒い。息が白い。車に乗りエンジンをかける。
後ろを気にしつつ、バックで切り返す。
事故は起こしたくはない。死にたくは無い。殺したくも無い。
暫し運転中も考える。何かがきっかけでそれを止める。
そして音が耳に戻る。
私は今、忘れずに生きている。
今は、忘れずに生きる事が出来ている。
3階へと向かえば、私の生と死への思考はまた深度を増すだろう。
彼に対する私自身の願いのエゴに、苦悩も納得もするのだろう。
今はただ、それを受け入れる。
2012年 2月25日
ーーーーーーーーーーーーー
沢山の方々の尽力により、2月22日の産経新聞に私の記事が載りました。
遅ればせながら、皆様本当に有難う御座います。
恐縮ながら記事へのURLを貼らせて頂きますので、読んで頂ければ幸いです。
ではでは、若干暖かくなって参りましたが、体調管理には充分心を砕いて、
日々を穏やかにお過ごし下さい。
勝手ながら、皆様の健康を願っております。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120222/kmt12022212570000-n1.htm
受付を素通りし、診察開始前の待合室を横目にエレベーターへと足を速める。
1階は日常で、生のにおいすら嗅ぎ分けられない。
人差し指で3を押す。
使用意図が不明なエレベーター内の大きな鏡、その中の己と相対する。
音が聞こえる、音が聞こえる。溜息を一つ。
ドアが開く。途端に死のにおいが鼻を衝く。
平静を装い、その階へと足を踏み入れる。
車椅子に乗せられた老婆。何故か男性よりも女性の印象が強い。
そこに居ると、私の思考は常に根源的な問題に終始する。
不謹慎な表現しか思いつかない独特の臭いと、静寂の中の間断的な会話と、
気丈に振舞う看護師と看護師と、点在する偉大なる老人達。
彼等は、彼女等は私の2、3倍の年月を過ごし、ついぞそこへと生き付いた。
人は老いる。老い方は選べない。
私は歩く。未だ頑丈な両足で、思考を活性化させるにおいを嗅ぎながら、
大切な人が横たわる部屋まで、珍しく背筋を伸ばし、歩く。
恐らくは、抗いたいのだろう。
大切な人は、眠っていた。
私は暫く彼を見ていた。
白い壁に白いベッドに白い布団、それに囲まれ、包まれる彼を見ていた。
例えばの話だ。
生きる事を全うする、その終点間際に私が築いてきた様々なもの、
それを徐々に忘れながらこの世界から飛散してしまうのならば、
私はそれを拒否する術を考え、実行するのかもしれない。
生かされる者の辛さ、生かし続ける者の辛さ、
忘れる事への底知れぬ恐怖、忘れられる事への理解と絶望。
彼は起きない。起こさない様に新聞と洗濯物を置き、手を振り、部屋を出た。
エレベーターまでは遠く、ただただ呼吸をしながら、俯きながら歩く。
抗えない。
生きていて欲しい。死んで欲しくない。
その願いを嘲笑う様に、起きている時の彼との会話が蘇る。
彼も自我を失う事を酷く恐れ、削られ飛散するのならば、いっそ、と。
ただただ白いものに囲まれ、生かされ続けるのならば、いっそ、と。
私は考えているだけの傲慢な人間で、彼は長く重ねた年月を切に失いたくないと感じている真摯な人間だ。
私はお気楽な生活の中で、1年先のビジョンも無いくせに、死への準備を漠然と考える。
いや、その3階に居る時のみ、薄漠では無く、濃密に思考を巡らす。死は誰にでも寄り添ってくる。
1階に着き、日常に戻り、足早に去る。
外は寒い。息が白い。車に乗りエンジンをかける。
後ろを気にしつつ、バックで切り返す。
事故は起こしたくはない。死にたくは無い。殺したくも無い。
暫し運転中も考える。何かがきっかけでそれを止める。
そして音が耳に戻る。
私は今、忘れずに生きている。
今は、忘れずに生きる事が出来ている。
3階へと向かえば、私の生と死への思考はまた深度を増すだろう。
彼に対する私自身の願いのエゴに、苦悩も納得もするのだろう。
今はただ、それを受け入れる。
2012年 2月25日
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沢山の方々の尽力により、2月22日の産経新聞に私の記事が載りました。
遅ればせながら、皆様本当に有難う御座います。
恐縮ながら記事へのURLを貼らせて頂きますので、読んで頂ければ幸いです。
ではでは、若干暖かくなって参りましたが、体調管理には充分心を砕いて、
日々を穏やかにお過ごし下さい。
勝手ながら、皆様の健康を願っております。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120222/kmt12022212570000-n1.htm