昨日は通夜、今日は父の告別式だった。
父が亡くなってから、悲しんでいるよりも先に、何もかも初めての事ばかりをあれやこれやとやってきて、逆にやらなければいけないことがたくさんあったからよかったんだけど、出棺前の最期のお別れに父の棺のそばに立ち、冷たくなった父の顔に触れた時、初めて泣いた
いつまでも父の顔を焼き付けておこうと見つめてたのと同時に、顔は写真を見ることができるけど、父の声はずっとずっと忘れないように、いつでも目を閉じれば頭の中で父の声が聴こえるようにしていたいと強く想った。
昨年大ヒットした「世界の中心で愛を叫ぶ」じゃないけど、愛するひと、大切なひとの肉声を録音して残して置くって、やったほうがいいよねえ
今日は父のことを語らせてもらいたいな。
父は本当に、誰にでもとてもやさしいひとだった。
病気をして仕事を辞めるまでは、ひとから頼まれごとの多かった父は、ひとのためにお金と労力を使うことを惜しまなかった。ケチがキライで見栄っ張りだったから、ひとに御馳走になることが大嫌いで、ひとにご馳走して大盤振る舞いをしてにぎやかにすることが大好きだった。でも子どものころからそんな父をみていてカッコいいと想った
学生のころはバンドをやっていて、ドラマーだったそうだ。ほんとに~!?っと想ったけど
そして、ダイビングの選手だったり、ソシアルダンスの先生もしていたそうだ。
見た目からは信じられないんだけど、昔はけっこうモテたらしく、父宛てのラブレターを父の妹たちが勝手に読んで返事書いたりしてたらしい
弔問には祇園のお茶屋さんの芸子さんだったかたや、神楽坂の芸者さんのお姉さん方もたくさんきてくださった。
父は面白いひとで、お酒が一滴も飲めないのに、毎晩のように宴会や接待で家にいたためしがなかったんだけど、そんな場所にsaeが小さいときから、祇園のお茶屋さんや、神楽坂のお座敷、銀座のクラブに私たち家族をよく連れて行ってくれて、踊りをみにいったり、saeもお座敷や銀座のクラブで歌わせてもらったりしてた
そして、父は・・歌わせると変な踊りやフェイクつきでお笑い系だった
太っていて90キロ以上あった父が、病気をしてから日に日に痩せ細り、そんな父の背中を時折切なく想いながらみていたけれど、今日は父が元気でバリバリ活躍していたころのことをたくさん想い出した
肺ガンになって、ダメ!!といってもかくれて吸っていたタバコを、
saeは亡くなる10日くらい前にとりあげてしまった
点滴をして酸素マスクをしながら「タバコが吸いたいなー」と言っていたのに、吸わせてあげられなくて、ごめんね、パパ
棺の中には、お花と同じくらいタバコを入れてあげた。天国で思う存分吸えるようにね
このBlogを読んでくださってるみなさん、
このところしめっぽい日記ばかり書いてごめんなさい
saeのめちゃくちゃ憧れている93才のマダムに、ひとには暗い話はしないと教えられたのに、書いちゃいました
ますますアクセス数減っちゃうなー
これからはLIVEや秋からのs a e 2005 終盤にむけて、ゲンキにモリモリ
頑張りマッスル
みなさん、これからも応援よろしくお願いします
父が亡くなってから、悲しんでいるよりも先に、何もかも初めての事ばかりをあれやこれやとやってきて、逆にやらなければいけないことがたくさんあったからよかったんだけど、出棺前の最期のお別れに父の棺のそばに立ち、冷たくなった父の顔に触れた時、初めて泣いた
いつまでも父の顔を焼き付けておこうと見つめてたのと同時に、顔は写真を見ることができるけど、父の声はずっとずっと忘れないように、いつでも目を閉じれば頭の中で父の声が聴こえるようにしていたいと強く想った。
昨年大ヒットした「世界の中心で愛を叫ぶ」じゃないけど、愛するひと、大切なひとの肉声を録音して残して置くって、やったほうがいいよねえ
今日は父のことを語らせてもらいたいな。
父は本当に、誰にでもとてもやさしいひとだった。
病気をして仕事を辞めるまでは、ひとから頼まれごとの多かった父は、ひとのためにお金と労力を使うことを惜しまなかった。ケチがキライで見栄っ張りだったから、ひとに御馳走になることが大嫌いで、ひとにご馳走して大盤振る舞いをしてにぎやかにすることが大好きだった。でも子どものころからそんな父をみていてカッコいいと想った
学生のころはバンドをやっていて、ドラマーだったそうだ。ほんとに~!?っと想ったけど
そして、ダイビングの選手だったり、ソシアルダンスの先生もしていたそうだ。
見た目からは信じられないんだけど、昔はけっこうモテたらしく、父宛てのラブレターを父の妹たちが勝手に読んで返事書いたりしてたらしい
弔問には祇園のお茶屋さんの芸子さんだったかたや、神楽坂の芸者さんのお姉さん方もたくさんきてくださった。
父は面白いひとで、お酒が一滴も飲めないのに、毎晩のように宴会や接待で家にいたためしがなかったんだけど、そんな場所にsaeが小さいときから、祇園のお茶屋さんや、神楽坂のお座敷、銀座のクラブに私たち家族をよく連れて行ってくれて、踊りをみにいったり、saeもお座敷や銀座のクラブで歌わせてもらったりしてた
そして、父は・・歌わせると変な踊りやフェイクつきでお笑い系だった
太っていて90キロ以上あった父が、病気をしてから日に日に痩せ細り、そんな父の背中を時折切なく想いながらみていたけれど、今日は父が元気でバリバリ活躍していたころのことをたくさん想い出した
肺ガンになって、ダメ!!といってもかくれて吸っていたタバコを、
saeは亡くなる10日くらい前にとりあげてしまった
点滴をして酸素マスクをしながら「タバコが吸いたいなー」と言っていたのに、吸わせてあげられなくて、ごめんね、パパ
棺の中には、お花と同じくらいタバコを入れてあげた。天国で思う存分吸えるようにね
このBlogを読んでくださってるみなさん、
このところしめっぽい日記ばかり書いてごめんなさい
saeのめちゃくちゃ憧れている93才のマダムに、ひとには暗い話はしないと教えられたのに、書いちゃいました
ますますアクセス数減っちゃうなー
これからはLIVEや秋からのs a e 2005 終盤にむけて、ゲンキにモリモリ
頑張りマッスル
みなさん、これからも応援よろしくお願いします