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短編小説「いつか理屈にはねられたい」 vol.1(3話完結)

2014-01-03 20:37:36 | 短編小説
「あのKEI―WAGONに乗ってた奴はDQNだ。思い出すだけで虫唾(むしず)が走る。消えてなくなれ!」


 なかなか挑発的な言いようだ。


 五年前の八月某日のページで指を止め、書き記していた日記の一文を読みかえす。といっても、その日の文章はそれだけで、書きなぐられたような筆跡から、そうとうな怒りを抱えているのだけはわかる。


 青臭い己の一面が透けて見え、赤面しそうにもなるけれど。


 無理もない。


 その日記を記した日、黒のKEI―WAGONにはねられる交通事故に遭ったのだから(KEIは軽自動車。WAGONはワゴンタイプ。つまり、当時はワゴンタイプの軽自動車、とかしこまって表記するのがはばかられたのだろう)。

 はねられたのは、路線バスも行き交える、比較的ゆったりとした駅近くのT字の交差点だった。午後二時からの授業に間に合うよう、いつものようにアパートを出て、いつものように歩き、その交差点へとさしかかった。そして、何の疑いもなく、青信号の横断歩道を渡りはじめた瞬間、右前方から黒い何かが来て、すぐに記憶が途切れた。

 うつらうつらしていた意識が完全に戻ったのは救急車の中。見知らぬ救護員(当たり前だ)が顔をのぞきこみ、「名前を言えるかな? 君、事故に遭ったんだよ。覚えてる?」と聞いてくるではないか。それは今でも一語一句、そらんじられるほど、激しく鮮明な台詞だった。


 事故? 自分が? ここどこ? え、救急車? まじで?


 軽いパニック状態になったのは言うまでもない。まっさきに家族に連絡を取らねば、と考えた。なんせ当時は一人暮らしの身で、家族もすぐに飛んでこられる距離の範囲内に住んではいなかった。だからか、何か悪いことをしたかのような思いになり、まずは両親に謝らねばと錯乱しかけたのを覚えている。


 しかし、すぐに両親へ連絡を取ることはできず、流れに身を任せるほかはなかった。


 あれよあれよという間に病院に搬送され、CTで頭をスキャンされて異常がないと言われ、頭頂部の裂傷の処置で何針かを縫われた。


 右のふくらはぎが太ももくらいに腫れ上がっているので念のため入院も可能と勧められたが、何とか歩けたのでそれを断ると、痛くなったら深夜でも構わないので救急車を呼んでくださいと、意味深なことを助言された。


 いつの間にか来ていた警察関係者から、こちらの荷物を調べさせてもらったと言われ、ポリ袋に入れられた己の鞄を返された―――。


 我がこととは思えない。夢であってほしい。そう、何度も考える。あの際は、動揺する自分を認めたくなかったのだろう。とにかく、茫然としそうになるのをなんとかこらえるので必死だったと思う。人生最悪の失敗を犯したような自責の念がうずまいていたのだ。

 何が自分の身に起こったのか明確ではなかったので、その警察関係者に事故当時の話を聞くしかない。警察関係者(なぜか記憶の中では関係者、となっている。完全に本職の刑事さんだったのに)の男性もまだ捜査中なんだけどね、と断りを入れてから、目撃者の話としては、という感じで真相の一端を語ってくれた。


 事故の構図としては単純だったらしい。


 青信号で横断歩道を渡りはじめた自分に向かって、対面の方角の右折レーンから右折してきた黒のKEI―WAGONにはねられた、というもの。結果論からいうと、もちろん黒のKEI―WAGONが全面的に悪い。歩行者に対する安全確認を怠ったということなのだから。


 しかし、不可解だったのが、その黒のKEI―WAGONがウインカーを出さずに曲がってきたということだった。


 不可解という表現はしっくりこないのだが、当時大学生で運転免許を持っていなかった身とすれば(実は今も持っていない)、交通法規についてはうとく、自動車運転者にとって右折レーンとはどういうものか、はたまたそこでウインカーを出す義務があるのかすら理解していなかったのだから(今では多少の知識があり、理解ができる)。

 ぼうっとしていた自身が悪いのか? なんて見当ちがいの見解すら導きだしていた。ただ、そこは警察関係者(しつこいが関係者ではなく、もろ現職の刑事さんだ)が自信を持って「君は悪くないよ。車の運転者が右折という明確な専用レーンにいるにもかかわらず、直前から衝突までの間、ただの一度もウインカーも出さずに曲がってきたんだからね」、と訂正してくれたので、めちゃくちゃ安堵したものだ。

 結局、捜査の進展に合わせて、警察署の方へご足労願うことになるのでよろしくお願いします、とその刑事さんに言われ、先方とは裁判より示談が望ましいですよ、とも付け加えられた(先方の顔も知らないのに、裁判? 示談? 意味がわからなかった)。 


 そして、氏名や連絡先などを記入する書類を書かされてから、その日病院からは解放されることとなった。


 もはや、釈然としないことだらけだ。事故の記憶はあいまいだし、車の運転者が誰だか知らないし、包帯を巻きつけたふくらはぎは盛り上がってさらに膨らんでくるし、で。たくし上げたチノパンがストレッチ素材で良かったと、初めて思ったものの、なにの慰めにもならなかったのは言うまでもない。

 
 さらに追い打ちをかけたのが病院を出る前、受付に立ち寄ったときのことだ。治療代その他として、七万円(!)を請求されたのだ。


 七万円! んなの、今持ってるわけないじゃん! ひと月のアルバイト代じゃん! はあ? 俺、はねられたのよ? なんで俺が払うわけ?


 何怒ってんの? って言いたいくらい、無機質な表情の受付の女性。怒りをそのまま叫びそうになった。でも、あちらは一歩も譲らないかまえ。あくまでお仕事ですから、という感じで。


「本日、全額のお支払いが無理なら、とりあえず千円でも二千円でもかまいません。ただ設定された期日までにお支払いただけないと、後日延滞料を課せられますよ」


 だから、何を怒って、何の権限があってこっちを睨みつけてんの? 


 場ちがいだけど、本気で腹立たしかった。断然納得できなかった。冷静に考えれば、被害者のショック状態をあまりにもひきずっていた自分が動揺しすぎただけなのだけれど。 

 ただもう、いくらかでも払わないと解放されないことが明白だったので、言われるままに千円を支払い、残額は後日支払うことを約束する書類を受けとった。あの受付のお姉さんの冷たい表情だけは、一生忘れられない(それは今でもそうなのだから、これから何年たってもそうなのだろう)。


 人生の残酷さに打ちのめされ、病院の出入り口である自動ドアの前で我に返る。思いだしたように両親に電話をすることとなるのだ。


 まず日頃から話すことなどなかった父から。一瞬、母から、なんて甘い考えがよぎったが、今ここでこうしていられるのは父のおかげなのだから、と思い直したのだ。

 仕事中だった父は、最初驚いたように声を上ずらせ、でもどこか喜ばしいようでもあった。だが、事故に遭ったことを伝えると、携帯の電話口でも父の血相が変わったのがわかった。あの時はさすがに、こちらも血の気が引いた。

 
 自分が被害者なのに、父にはひたすら謝ったのをよく覚えている。つまり、学費のかかる都会の私立大学へ行かせてもらいながら、一番「かけたくない」迷惑をかけてしまったことが痛恨だったのだ。

 父は取り乱し、しきりにこちらの無事を確認してきた。なんせ、交通事故に遭った、のだから。下手をすれば、死んでいてもおかしくない、そんな状況に我が息子がいる。そりゃ、気が気ではないだろう。当然だ。

 いつか、自分にも分かる日が来るだろうか、あのときの父の気持ちが。現時点ですら、想像できない。情けないが、あれが生まれて初めて、父の存在を大きく認識した瞬間だったのかもしれない。

 こちらがとりあえず、無事で自力で動けることを伝えると、父は「明日仕事を休んでそっちに行くから。いいか。無理するなよ。絶対に安静にしておけよ。何も心配することはないからな」と熱い調子で、まくしたてた。唾が耳もとへ飛んできそうだった。

 母には、なぜか父から電話してもらい、当然直後に母から電話をもらった。母も血相を変えていた。一歩まちがえれば、泣きくずれそうな、そんなはかない母が脳裏に浮かんでは消えていく。それが繰りかえされた。だから、もう、必死で謝った。大丈夫だから。ごめんなさい、と。

 やはり、母も父と同様の言葉をかけてくれた。「後のことは心配しなさんな。とにかく無事で良かった。それだけで、本当に良かった」と。母もあくる日に父と一緒に来てくれることとなった。泣けてきそうだった。


 いくつになっても、成人しても、子供はなぜ親にこうにも迷惑をかけてしまうのだろう。


 通話を終えても、自分のふがいなさを責めつづけてしまった。


 いつのまにか、頭に白いネットがまかれていたのを、その時になって気づいた。頭頂部の感覚が微妙に戻っていなかったからだ。うんざりしながら、包帯をまかれた右足を見すえ、それを重たくひきずるようにしてようやっと病院を出た。


 外の時間は止まっているように思えた。


 青い緑の木々が揺れるのを目にしても、街の喧騒を聞いても、夏の日差しの熱さを感じても、この世に己がいること自体、嘘かもしれなった。


 ひょっとしたら、現実ではないのだろうなんて思っていた。病院の駐車場内をとぼとぼ歩きながら、あ、大学行くんだった、なんてぼんやり考えていたのだから。でも、アパートにはいったん帰った方がいいのか、とも思いなおしたりして。

 それらを実行に移すのにも、タクシーという移動手段すら思い浮かばなかった。土地勘もない場所にある病院から、徒歩で方々へと行けると信じこんでいたのだ。

 で、なんだか最後は、どうして生きてきたの、今まで。なぜ今も生きているの。そんな無意味な自身への問いかけに、ただただ絶望を味わう。ふわふわして、かつもやもやしていた。傍から見れば近寄りがたい人物に映っていたにちがいない。

 そうして、意味もなくこの場でもう一度倒れてもいいんじゃないか、なんて考えていた時だったと思う。前方から見覚えのない四十代前半の男性が近づいてきたのだ。

 すぐに目についたのが髪型。どちらかといえば短髪で、(今思えばだが、いい歳して)茶髪。眉も(いい歳して)少し整えていて、薄く細い。目つきがすこし鋭く、一見、不良っぽいまま中年になった、もと不良という感じ。

 黒いTシャツに、金のラインの入った黒ジャージ、サンダルという姿だった。背の高さは170くらいあっただろうか。こちらより、やや低いように思えた。


 誰? このあやしいやつ。


 瞬時に思った。関わりたくない匂いがする、と。


「大丈夫だった? んなわけないか。包帯してるもんな。痛いか?」


 少しニヤつくかんじで声をかけてきたではないか。名を名乗るでもなし。


「失礼ですが、どちらさまですか?」


 久しぶりに大きな声を出そうとしたからなのか知らないけれど、自分のものとは思えないほど弱々しく、かすれている声しか出ない。一度、咳払いをして同じことを再度聞いた。正体不明の人間に対して緊張している。直感的に悟った。



≪つづく≫
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