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短編小説「定点 ~変わらないもの~」

2010-08-16 00:36:45 | 短編小説
 すれ違う親子を横目でちらりと見ると、父親の持つぴしぴしになったビニール袋を女の子がぎゅっとつかんでいる。女の子の揺れる髪にはさくらんぼのついたヘアピンがとめられていた。覚えのある情景が、匂いとともにふうわりとよみがえりそうになる。なぜか、バイトに行く道すがらのデジャビュ。でも、今はもう未来。どうやったってあんな頃にはもどれなかった。もどりたくもないけれど。

 歩行者信号が点滅しはじめる。その明滅の早さは私の気持ちを急かさせ、同時に危険に対する注意を散漫にもしてくれる。横断歩道を渡りきってしまうと息が乱れた。エネルギーをいくらか消費したことがわかる。この程度で体重が百グラムでも減ってくれたら、嬉しすぎるのに。バイト終わり、売れ残りの揚げ団子をよこしてくれる店長の誘惑に、打ち勝つことができるだろうか。

 とにもかくにも、バイト先に遅刻してはいけない。今日こそは、菓子箱を包む包装紙を破らないようにせねばならない。学校の授業を終えても課題は山ほどあるのだった。自分が選んだからこそ出現する幾多の試練。逃げ出したい気持ちに打ち勝ちたいが、すぐに楽になりたいと願ってしまう。結局、流れに身を任せてしまうから堂々巡りだった。

 気を紛らわせようと、街灯の下をつらぬく歩道を勇んで見やる。その瞬間だった。私の真横を一台の無灯火自転車が猛スピードで駆け抜け、今しがた歩行者を締めだしたはずの横断歩道に突っこんでいったのだ。軽い接触―――。右ひじ、ジャージの生地の上からでも擦ったような痛みが走った。

 ちょっとなに今の? 危ないじゃん! 

 振りかえると、左折車に短いクラクションを鳴らされながらも横断歩道を渡りきって安堵している自転車の主がいる。主はロードレーサータイプの自転車から降り、公園入り口のポストにそれをやおら立てかけると、ハンカチで額を拭いはじめた。

 運転者は高校生くらいの男子、ブレザーを着て画板でも入っているのかというような横長のリュックを背負っていて……。あの紺のブレザーは見覚えがある。袖に二本の朱色の線が入っているのは、私が通う高校の制服の特徴だ。あの男子もどこかで見たことのあるような記憶があった。

 瀬尾だ。間違いない、クラス委員の瀬尾。日没間近、行きかう自動車の光の筋が視界の中で邪魔になってはっきりとは分からなかったけれど、あの時代遅れの刈り上げ頭は忘れようもない。あいつめ。走る凶器だ。でも、何でこの時間にここにいる? ここから高校までだと、自転車で三十分程度の距離。塾の帰り道?

 私はバイトへ向かう足をいつしか止め、赤く点灯した歩行者信号の下で挙動不審の瀬尾を見つめた。瀬尾は制服の内ポケットに手を入れたまま、きょろきょろして落ち着きがない。怪しすぎる。私は反射的に、傍の電柱の陰に隠れた。見守る自分も瀬尾と同様に怪しいなんて、なんだか違和感がある。

 するとその直後だ。瀬尾はまるでグロい深海魚が獲物を捕獲するかのごとき一撃必殺のスピードで、ハガキのようなものをポストに投函したのだ。そして何事か口もとでつぶやくとポストに立てかけていた自転車を私のいる方へ向けた。そのままサドルにまたがろうとした瞬間、バランスを崩して自転車のみを派手に転倒させていく。私はただ唖然とするしかなかった。

 瀬尾は頭を左右に揺らしながら自転車を起こし、今度はゆっくりとサドルにまたがっている。歩行者信号が青になると、さっきまでの勢いが嘘のようにゆるゆるとペダルをこぎだした。私は緊張しながらも電柱の陰を抜けだし、瀬尾が近づいてくるのを待った。一言言わずにはいられなかったのだと思う。

 瀬尾は横断歩道を渡りきると、あっという顔をしてものの見事に私の存在を認めていた。だのに、右手で顔を覆うようにして私の目前で右に曲がったのだ。私はその男らしくない仕草に無性にむかっ腹が立った。

「瀬尾。何してんの。こんなところで」
 普段瀬尾と話したことなんてなかったのに、臆することもなく瀬尾を呼び捨てにできたことは、何とも爽快感がある。瀬尾は画板風リュックをぶるっと震わせて自転車を止めた。わざとらしく振り向いた瀬尾は苦笑いを浮かべ、うなじをかきむしりはじめた。

「あらっ、ウチのクラスの杉本さん? どうも。たはは。いや何もないよ。うん。たはは」
「こっちは今横断歩道で、あんたに当て逃げされそうになったんだよ?」
「あらっ、本当に? たはは。ジーザス、なんて、たはは」
 そのたははっていうムカつく笑い方をやめろ。それにどこの純日本人がジーザスって言葉を闇が迫る国道で口走る? 無言で一発張り倒したかった。

「いやあ、時間が押し迫ってて。で、自転車の調子が今ひとつで。うん、乗れてないっていうか。あ、気分が乗れてないっていう意味もあるんだけど。たはは」
 私のイライラは急速に臨界点に達しようとしていた。家を出たころは、外気のあまりの冷たさにジャージのジッパーを完全に締め切っていたが、今は全開にしてもいいくらい。身体が火照っているようなのだ。だが瀬尾にすごみながらジッパーをジーっと下げたとき、一瞬にして鎖骨あたりが冷気に襲われたため、ジッパーを上げなおした。

 瀬尾はそんな私に迷惑しているのか、ずっと路面を見つめ、ブレーキをギギギと鳴らしつづけていた。

「もう、いいかな。家に帰る途中なんだけど」
「私だって、バイトに行く途中なんだけど」
「それは……、ご苦労様としか言いようがないけど」
 私はおちょくられているようで、いよいよ気分が悪くなってきた。このままバイトに突入すれば、愛想が悪いとクレーマーに小言を頂戴するだろう。でも瀬尾がいけない。素直に謝ればいいものを、責任回避の方向に舵を切りだしている。私は大きくため息をついた。

「こっちは無灯火で馬鹿みたいなスピード出してたあんたと接触したの。もっと大きな事故になっていたかもしれないの」
「当たった? すれちがっただけだと思ったけど」
「右ひじに、確かに軽く当たったの」
「こっちはそんな感触は無かったけど。うーん。杉本さん、見かけによらずきついんだねえ。学年の役員にでもなればいいのに。お、話がちがうか。それはこっちに置いといてぇ、みたいな? たはは」

 瀬尾は両手で宙に箱を描き、それを右から左へ移すマネをしていた。この期に及んで言い訳じみたギャグを、しかも全然っ、くだらないギャグをやってのけるその神経。私はこれ以上この馬鹿げたやりとりを続ける意志は毛頭なかった。

 青白い街灯に照らされた、瀬尾の憎たらしい顔をにらみつける。彼の黒ぶち眼鏡が見慣れてきたという事実だけでもいまいましい。瀬尾の鼻の穴からは鼻毛が何本か飛び出している。そりゃあ鼻毛も飛び出すわ。行こう。相手にするだけ無駄だ。

「杉本さん! 世の中には気のせいということが往々にしてあると思うんだ!」
 立ち去ろうとした私に向かって、瀬尾は大声でまくしたてた。気のせいでいられることだぁ? あんたの鼻毛が飛び出していることとか? そうかもね。ああああ、ばかばかしい。私はバイトに向かう。あんたのことは記憶から抹殺する。

「待って、待ってくれないか、杉本さん。ああ、ちょっと、ほんとにお願いです。待ってください!」
 今までになく嘆きに力がこもった瀬尾の声。謝ってくれるのだと思った。でも、振りかえった私が馬鹿だった。

「ヘルメットをしないで自転車に乗ってたことは学校に内緒にしとってくれよ!」
 つくづく、腹立たしい男だ。わなわなとつま先からこみ上げてくるこの無用な怒り。言われなくとも、そんなみみっちいことをチクッたりするか! そんなことより、せめてこの場で、メガトン級のハンマーで、太平洋沿岸までぶっ飛ばさせてほしい。

 勢いこんで、瀬尾にキモイッ! と言おうとしたら、瀬尾はもうペダルをこぎ始めていた。その逃げ足の速さにはあきれるしかなかった。無灯火のまま、いつしか闇の中へ消えていく。悔しさだけがつのっていく。もういい、認めよう。あいつはイタクてキモイ男なんだと。関われば徒労感に襲われるだけ。うん、以上。

 はあ、なにやってんだろ。瀬尾にかまわなければよかった。なんかもうバイトに行く気がしないよ。バイトで五時間労働したあとよりも気疲れしている感覚だ。ため息をつきながら、その場で天を仰いだ。闇へとかたむく空に、少しの星と扇形のくすんだ黄色の月が見える。

 こんなときに夜空の様相の意味を見出してしまったら、全世界を敵に回すようなものだ。自分が広大な空に対してちっぽけな存在であることを肯定したら、真理であるとしてもむなしくなる。ここはひたすらいたずらに強くあるべきだ。何事もなかったかのように、つやの無い黒い歩道を進んでいく。数歩歩いたところで、おなかのむしが鳴いてきた。

 いつだって決まった位置にいる。どこまで飛び出せば、私は変わって見えるのだろう。


《おわり》


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