それからは、寒さのせいもあり、「トイレがちかく」なっていたので、とりあえずトイレに駆けこむこととなった。明香里を待っている間、弥平はこれからの展開に対して警戒感を弱めないように、と気をひきしめていた。
こういうのって、どこかで知らん間にトラブルが起こるもんじゃ。絶対余裕をこいたらいけん。
小さな子供までもが参加するスタンプラリーだ。主催者側のいじわるなひねりが、まだまだ入ることも考えられる。これを純粋にゲームと割り切れないところに、弥平の性格が出てしまう。
いろいろ考えすぎて、疑心暗鬼になる習慣がいつからか、ついてしまった。
明香里のように、楽しむ発想を常に手に入れられたら、あまり考えこまないで済むのかもしれないが。
「どしたん、真面目な顔して」
明香里がハンカチを手に、トイレから戻ってきたところだった。
「油断せんように、と思って。これから先も、スタンプは簡単には手に入らんっていう。今しがたの教訓」
「えー、本気で考えとん? でもさ、色んなステージがあっていいかもしれんよ。アッチのやり方は時にあくどいけど、気分転換にもなるし」
「ほうか? ほうよのぅ。毎駅降りるたびに小難しいと息詰まるよの。明香里、頭いい」
「頭の問題じゃないよ。ものは考えようってこと。やっちゃんがいつもみんなの前で言ってくれよることじゃん。硬いよ、今日のやっちゃん」
「硬い……。そうなのかもしれんけど」
弥平のタイプは明香里、これも硬いんか? 鉄板より硬いんは確かじゃが。
「もーう。楽しまんにゃあ。損するよ」
明香里は笑みを浮かべた口もとのまま、強烈な台詞をはなってくれた。
楽しまんと、損する、か。
弥平は明香里の横を歩きながら、その台詞を心の中で反芻しつづけていた。明香里は一つ目の電停から、いやそれ以前から、楽しむという発想を持ちつづけている。
明香里のようにそれが自然になるには、経験と慣れと、あとなんだろう。そう、信じることが必要なのかもしれない。自分や仲間を。常に不安にもまれながらは生きられない。
わかっていたようなことを、今さら確認している。明香里の前だと楽しめないなんて、そりゃ、損している。楽しめたらとてもハッピーだ。
弥平は楽しむということを、本当は知らないでいたのかもしれない。
明香里のことが、どうだこうだと言うばかりでなく、己が楽しんでいる姿を見せなければいけないのだ。それで明香里も楽しんでくれるなら、なおさらに―――。
弥平は、ちいさな光を見いだしたような気分になっていた。
「あ、みづほからメールじゃ。なんじゃろ……。えー! 結局、一店舗を選んで、みんなでお好み焼きを食べるはめになったんと」
「グルメ共和国で? まじで?」
明香里が立ち止まって携帯をのぞきこむたびに、弥平もそれにならっているような気がした。
「食べ物関係は明香里らも真由美らも、注意しといたほうがいいよ、だって。うわー、これってアタリハズレの世界じゃね。そういう意味じゃ、ウチらはずっとアタリじゃったんかね?」
「そうじゃの。でも、明香里がグルメ共和国に当たっとったら、どうしとった? 店にお金落として食べとった?」
「状況によるけど、そう言われれば、そうかもしれんね。さすがに商店街の時みたいに図々しくは行けんかったかも」
「じゃあ、商店街はその名の通り、『昔ながら』っだったってわけか。ああ、みんなが平等になるように下準備をしっかりしとけばよかったかのう……」
「それは言いっこなしじゃろう。ふりだしに戻るもん。まあ、全てコミコミで楽しめってことなんよ。きっと」
弥平は明香里にそう言われてはみたものの、そういうものなのかのう、としばし自問自答してしまった。しかし、直後にはっとした。ほんの数分の間に、楽しむことを忘れている自分を発見してしまっていたからだ。習慣というのは、かくもおそろしい。
「ウチら、六駅じゃ少なかったかもね」
明香里が少し申し訳なさそうに言うので、弥平も何度かうなずく。明香里は何かを考えているようだったが、今度は真由美たちの動向をメールで探っているようだった。
「はやっ。真由美からじゃ」
二分と間を置かず、明香里の携帯へ真由美からの返信があったらしい。明香里が再び立ち止まる。一〇時三〇分から『アントキノイノチ』をご鑑賞するお客様にお伝えします、というアナウンスがその場に聞こえてきた。待機スペースで顔を上げる客の姿がちらほらと見える。
「『閉店が決まっているデパートの屋上階にいます』。屋上階だって。で、『無名のアイドルユニットの握手会に突入……、オスゴリラが興奮しています』。じゃって。何がメインなんかわからんけど」
「まあ、うまくやっとんじゃないんか」
「みたいじゃね。なんか、ウチら以外のみんなの方が、エピソードを持って帰ってきてくれそうじゃね」
「かものう。まあ、みんなが楽しそうなんは良かった」
二人がしばらく沈黙していると、シネコンの階は急に人通りが多くなってきた。新たに映画の上映が始まるからだろう。
「このまま映画観ようか、余裕かまして」
「明香里、今観たいのあるんか?」
「ないようね。冗談。でも、最近映画館で映画観てないなあと、ふと思ったんよ。優待券とは別で、今度みんなで来れたらええね」
「八人で趣味の合う映画ってあるかのう?」
「はは。それもそうじゃね。じゃあ、ここにおってもしょうがないけえ、下りよっか?」
「うん、そうしよう」
明香里は少しだけ惜しむように後ろを振り返り、下りエスカレーターの方へ進んでいった。彼女は、行きの上りのエスカレーターでもそうしたように、鏡面を見ながら髪やマフラーを気にしていた。
三階まで下ってきたとき、明香里は二階の方へ向かわず、そのまますっとエスカレーターのラインを外れていった。
「下りんのんか?」
「ごめん。ちょっと見たいもんがあるんじゃ。ほんとっ、ほんとっ、これが最後じゃけえ。いいかね?」
明香里が懇願するように手を合わせ、弥平を見あげてくる。明香里はそう聞きながらも、お尻の方からすすす、と進んでいるようだったので、拒むわけにもいかない。
「ええけど。ちょっとだけで」
「ありがとう、やっちゃん! 携帯のね、カバー見たいんじゃ」
明香里はそう言うやいなや、どこかの売り場へと走りだしていった。小動物のようなその俊敏さは、なんだかあきれるくらいかわいい。弥平はますます、明香里しか見えなくなりそうだった。
≪つづく≫
にほんブログ村
こういうのって、どこかで知らん間にトラブルが起こるもんじゃ。絶対余裕をこいたらいけん。
小さな子供までもが参加するスタンプラリーだ。主催者側のいじわるなひねりが、まだまだ入ることも考えられる。これを純粋にゲームと割り切れないところに、弥平の性格が出てしまう。
いろいろ考えすぎて、疑心暗鬼になる習慣がいつからか、ついてしまった。
明香里のように、楽しむ発想を常に手に入れられたら、あまり考えこまないで済むのかもしれないが。
「どしたん、真面目な顔して」
明香里がハンカチを手に、トイレから戻ってきたところだった。
「油断せんように、と思って。これから先も、スタンプは簡単には手に入らんっていう。今しがたの教訓」
「えー、本気で考えとん? でもさ、色んなステージがあっていいかもしれんよ。アッチのやり方は時にあくどいけど、気分転換にもなるし」
「ほうか? ほうよのぅ。毎駅降りるたびに小難しいと息詰まるよの。明香里、頭いい」
「頭の問題じゃないよ。ものは考えようってこと。やっちゃんがいつもみんなの前で言ってくれよることじゃん。硬いよ、今日のやっちゃん」
「硬い……。そうなのかもしれんけど」
弥平のタイプは明香里、これも硬いんか? 鉄板より硬いんは確かじゃが。
「もーう。楽しまんにゃあ。損するよ」
明香里は笑みを浮かべた口もとのまま、強烈な台詞をはなってくれた。
楽しまんと、損する、か。
弥平は明香里の横を歩きながら、その台詞を心の中で反芻しつづけていた。明香里は一つ目の電停から、いやそれ以前から、楽しむという発想を持ちつづけている。
明香里のようにそれが自然になるには、経験と慣れと、あとなんだろう。そう、信じることが必要なのかもしれない。自分や仲間を。常に不安にもまれながらは生きられない。
わかっていたようなことを、今さら確認している。明香里の前だと楽しめないなんて、そりゃ、損している。楽しめたらとてもハッピーだ。
弥平は楽しむということを、本当は知らないでいたのかもしれない。
明香里のことが、どうだこうだと言うばかりでなく、己が楽しんでいる姿を見せなければいけないのだ。それで明香里も楽しんでくれるなら、なおさらに―――。
弥平は、ちいさな光を見いだしたような気分になっていた。
「あ、みづほからメールじゃ。なんじゃろ……。えー! 結局、一店舗を選んで、みんなでお好み焼きを食べるはめになったんと」
「グルメ共和国で? まじで?」
明香里が立ち止まって携帯をのぞきこむたびに、弥平もそれにならっているような気がした。
「食べ物関係は明香里らも真由美らも、注意しといたほうがいいよ、だって。うわー、これってアタリハズレの世界じゃね。そういう意味じゃ、ウチらはずっとアタリじゃったんかね?」
「そうじゃの。でも、明香里がグルメ共和国に当たっとったら、どうしとった? 店にお金落として食べとった?」
「状況によるけど、そう言われれば、そうかもしれんね。さすがに商店街の時みたいに図々しくは行けんかったかも」
「じゃあ、商店街はその名の通り、『昔ながら』っだったってわけか。ああ、みんなが平等になるように下準備をしっかりしとけばよかったかのう……」
「それは言いっこなしじゃろう。ふりだしに戻るもん。まあ、全てコミコミで楽しめってことなんよ。きっと」
弥平は明香里にそう言われてはみたものの、そういうものなのかのう、としばし自問自答してしまった。しかし、直後にはっとした。ほんの数分の間に、楽しむことを忘れている自分を発見してしまっていたからだ。習慣というのは、かくもおそろしい。
「ウチら、六駅じゃ少なかったかもね」
明香里が少し申し訳なさそうに言うので、弥平も何度かうなずく。明香里は何かを考えているようだったが、今度は真由美たちの動向をメールで探っているようだった。
「はやっ。真由美からじゃ」
二分と間を置かず、明香里の携帯へ真由美からの返信があったらしい。明香里が再び立ち止まる。一〇時三〇分から『アントキノイノチ』をご鑑賞するお客様にお伝えします、というアナウンスがその場に聞こえてきた。待機スペースで顔を上げる客の姿がちらほらと見える。
「『閉店が決まっているデパートの屋上階にいます』。屋上階だって。で、『無名のアイドルユニットの握手会に突入……、オスゴリラが興奮しています』。じゃって。何がメインなんかわからんけど」
「まあ、うまくやっとんじゃないんか」
「みたいじゃね。なんか、ウチら以外のみんなの方が、エピソードを持って帰ってきてくれそうじゃね」
「かものう。まあ、みんなが楽しそうなんは良かった」
二人がしばらく沈黙していると、シネコンの階は急に人通りが多くなってきた。新たに映画の上映が始まるからだろう。
「このまま映画観ようか、余裕かまして」
「明香里、今観たいのあるんか?」
「ないようね。冗談。でも、最近映画館で映画観てないなあと、ふと思ったんよ。優待券とは別で、今度みんなで来れたらええね」
「八人で趣味の合う映画ってあるかのう?」
「はは。それもそうじゃね。じゃあ、ここにおってもしょうがないけえ、下りよっか?」
「うん、そうしよう」
明香里は少しだけ惜しむように後ろを振り返り、下りエスカレーターの方へ進んでいった。彼女は、行きの上りのエスカレーターでもそうしたように、鏡面を見ながら髪やマフラーを気にしていた。
三階まで下ってきたとき、明香里は二階の方へ向かわず、そのまますっとエスカレーターのラインを外れていった。
「下りんのんか?」
「ごめん。ちょっと見たいもんがあるんじゃ。ほんとっ、ほんとっ、これが最後じゃけえ。いいかね?」
明香里が懇願するように手を合わせ、弥平を見あげてくる。明香里はそう聞きながらも、お尻の方からすすす、と進んでいるようだったので、拒むわけにもいかない。
「ええけど。ちょっとだけで」
「ありがとう、やっちゃん! 携帯のね、カバー見たいんじゃ」
明香里はそう言うやいなや、どこかの売り場へと走りだしていった。小動物のようなその俊敏さは、なんだかあきれるくらいかわいい。弥平はますます、明香里しか見えなくなりそうだった。
≪つづく≫
にほんブログ村